編集。そこにあることと、どのようにあるかということ。
a0010575_15444479.jpg存在と存在性の問題というと、その字面だけでどうも引いてしまう人が多い。

あるいはいろいろ勉強している人にとっては、その言葉の持つそれぞれの意味や歴史が重なるので、さらにややこしくなる深い問題なのかもしれない。・・けど、そんなことだと思う。


a0010575_15452774.jpgしかし、そこにあるためにはそれを認識している人がいるからそこにある。

つまり関係の中にある。関係がない、つまり、無縁であると「そこにある」ことすらない場合がある。見えなかったり、無視されていたり・・・。

存在はしていても、ゴミとして存在する場合もあれば、厄介者として存在する場合もある。


a0010575_15455632.jpgとにかく、そこにあるかないかの問題ではなく、どうあるのかということが問題なのだと確信する。

つまり、僕にとっての問題は、「どのようにあるかという状態」をつくることが大切なのだな・・・と感じつつひたすら繋ぐ作業を続ける。

そこに意思を作用させたり、想像力と利用したり、編集という作業によってそにあるものはある状態を作り出すことになる。つまりどのようにあるかが変わってくる。

価値のなかったものが、あるいは存在すらなかったものが、存在し、新しい役割が与えられ、関係性のかなで価値が見出されてゆくプロセスがはじまるとしれば、その地道な編集作業の延長にある・・・と感じている。

今、ここで、具体的に、問題にしているのは、元山下家という旅館の廃墟のなかに捨てられていた壊れた座卓と汚れた刺身盛ようのまな板のことですが・・・。
by fuji-studio | 2009-03-08 23:00 | ・思索雑感/ImageTrash


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