どうもだまされているような気がして仕方ない。
a0010575_12501193.jpg30代半ばまでは単なる情動から来る違和感でしかなく、それに対してひたすら根拠なき反抗をするか、自分を言い聞かせて服従するかの選択でしかなかったような気がするが、最近は自分の違和感の正体がそれぞれの現場でなんとなく見えるようになり、それに対する応じ方の作法のコツがつかめてきたような気がする。


a0010575_12504217.jpgそれなりに社会経験も蓄積され、認識のボキャブラリーが増えてきたからなのか、反抗をすることで生じる摩擦で消耗するエネルギーが少なくなってきたのか、もしくはインターネットにより多くの情報や知識をブラウズできるようになったからなのか・・・。


a0010575_12511019.jpgとにかく「常識だ」とされることに立ち向かうも面白くなってきた。とりわけ大きなお金が動き、ほとんどの人が多くの経験をすることのない弱み・・・つまり冠婚葬祭的なモノゴトに関して、相当なお金が動くことが常識とされている。


a0010575_12513465.jpg「みなさん、多くの方はこのようになさっていますよ。」とか、「昔からのしきたりですから。」とかの言葉をついつい疑い、本当はどうなのだろう? と考えてしまい、僕なりの解を出そうとする。

どうもだまされているような気がして仕方ない。


a0010575_133297.jpgまあ、お金を持っていないので疑ってしまうのは必然的なことなのだが・・・。

本当のことを求めることに意味があるかどうかはおいといても、とにかく騙された気がしたまま、自分を騙して動くことはできない。

せめて清らかな虚を・・・ということか。


a0010575_12522653.jpg父親が購入した墓地に墓を建てるという自然の流れを自分自身でどのようにとらえて、特に戦後流通した商品や様式に騙されることなく、父親の遺骨を、あるいは自分の遺骨をどのような空間に収めるのか。

その問題を考えるだけで、いろいろなモノゴト、現実が見えてきて面白い。


a0010575_12525829.jpg僕自身の祖父祖母の墓も父親の世代につくったもので、昔から伝わる墓なんて知らないし、僕ら庶民には実は先祖代々の墓なんて縁がないということを意外と認識していない。

そもそも先祖の数を計算する話からすれば、祖祖父は4人、祖祖母は4人いて・・・祖祖祖父は8人、祖祖祖母は8人いてと考えると先祖は無限大の数の・・・鎌倉時代まで遡ると当時の日本の人口よりはるかに超えた数の先祖になるし・・・かといって、社会の圧力・父系列をたどる選択をとって考えてみると無名の起源の一人にたどるしかないのかもしれないし・・・


a0010575_12532231.jpg太宰府天満宮の宮司の西高辻さんは菅原道真の39代目ということらしいが、さらにそこから8代遡ると無名だったわけだし・・・


a0010575_1254499.jpgとにかく、人間が無限と感じれる長さがせいぜい99年の三世代程度で、祖祖父母程度、ひ孫までのことでしかなく、その縁に対してどのように接するか。その接し方の態度と行動を導き出すシステムをいかにつくるかということなのかな・・・と。

いろいろ調べているとウェブ上に墓をつくるという荒技も登場・・・そこまできたか。

ウェブサイトでの葬儀や焼香などももっと流通するのかな。

しかし、石は重いな。


a0010575_12542991.jpg態度として、今の常識のシステムに反抗することなく、かといってそのまま受け入れるわけではなく、ささやかに変換、超訳しつつ、システムにのっかりながらも、清らかに納得できるところで形にしてみよう。

代々残すというよりもは、次の世代にはまた変換されるかもしれないという余韻を残しながら。

この写真は1880年代生まれの祖父母と1920年代生まれの父と1960年代生まれの僕と。3世代が移っている珍しい写真。
by fuji-studio | 2009-01-04 23:12 | ・思索雑感/ImageTrash


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