AIT企画の「環境・術」での「ファンタジー」トーク
2008年 11月 22日
P3の芹沢さんは十数年前よりいろいろな現場でご一緒することが多く、僕自身も東京でサラリーマンをしていた時代から、かなり興味を持っていた良き先輩。
安冨歩さんは今回はじめてお会いできましたが、予想をはるかに超えて面白かった。
芹沢さんが第一部で彼自身の体験してきた1950年以降の時代の変化のキーワードトーク。
環境問題は環境の問題なのではなくて、環境に対する接し方の問題・・・つまり関係性の問題なのだということを、女性問題というときに、女性に問題があるわけではなくて、女性との関係性に問題があるのだというたとえ話を持ち出したのが僕の中でヒット。
想像力、イマジネーションする力をいかに身につけるのかということに話が向かう。
人のイマジネーションの力はいろいろな情報も含む生活環境の因子によって実は大きく変化していることを確認。
芹沢さんの話をうけて安冨さんがいきなり雑談開始。
興味深い話にふんふんと観客側に廻っていたが、いきなりふられて動揺。そうだった、僕もパネラーだった。流れをうけて僕も雑感からつらつら話す。
そのうちに話が飛び回り、・・・安冨さんはかなり意図的に話を飛ばしていた気がする・・・。僕のこれまでの表現へと話が流れる。(これは予定されたものだったにちがいない。)話の流れから、なぜかあまりこれまで紹介したことのなかった「松ノ木の憂鬱」の作品の話へ。
大学院修了後、1985年に「がまくんとカエルくんの紙芝居」を経て、僕としてはそれなりに大きな表現として行ったのが「松ノ木の憂鬱」。
ある方向だけに成長することを背負わされた存在に対する疑問を長さ30mの老松のヌイグルミをつくり、1985年当時住んでいた京都上桂の自宅に展示するという表現。
長さが30mの松ノ木のヌイグルミは、家の庭から部屋に入り込み、芝生が敷き詰められた和室を横切って階段を2階へ上り、寝室の窓から飛び出していた。
当時はひたすら成長に対する疑問を持ちつつ、それを超えるイメージがほしかったのだと思う。
僕の場合、意識と行動がズレながら展開し・・・それを後悔することなく・・・結構楽しんでいたりする。
その後の僕の紆余曲折の活動の連鎖の話をさわりだけ行う。
イメージの連鎖の話をするうちに、安冨さんが「それはファンタジーですね」と切り込んでくる。
まさか自分の表現をファンタジーと呼ばれるとは・・・。
とっさにその言葉に対して、どちらかといえば拒否反応を抱いたが、よく考えてみるとじわじわと染みてくる。
いろいろな因子に出会いつつ、そこでいろいろな物語が発生し、予期せぬ方向に向かい、・・・たまに魔術の代わりに美術を使い・・・時には問題を解決したような気になりつつ、問題をずらして行きつつ、次のステージへと向かう。
その時々の感動とか、面白さとか・・・あるいは挫折とか。
まさにファンタジーなのかな。
確かにファンタスティックという言葉には共感するし、ファンタスティックな状況を作り出すことが芸術であるとも信じているところもある。
そういえば芹沢さんが白川静の字典解釈による「術」の分析を紹介していたが、これにも呪術のときに使う道具のような話も出ていた。
しかし、安冨さんの話、僕が現在考えていることにやたらとシンクロするのが不思議。
時代の流れなのかな・・・。
同世代の人はやはり同じ時代を過ごしてきているので、そのぶん共感するところも多いが、最近20代の頃には会話できなかった・・・つまり言葉にできなかった物事をそれぞれがそれぞれの経験の中でそれぞれの方法で言語化し、それなりに経験を重ねているので、・・・最近ますます面白くなってきている事に気づく。
それそれの言語化のしぐさがやはり違うし、そのズレがまた面白い。
20代の頃は勢いだけで空回りしていたりして。言葉にできないもどかしさと苛立ちが先にたち、それほど面白くなかったけどな・・・。
年月と経験を重ねるという喜びはこのあたりにあるのかな。
とにかく、安冨さんの本、読みたくなりました・・・。
もっともっとまだまだ知らないけど興味深い人や共感できる人がたくさんいるんだろうな・・・。
とにかく予期せぬところで興味深い人と出会い、深みのある話と活動の連鎖を楽しみ、なんとなく希望がもてて・・・これが生活の喜びなんですよね。
興味深い時間の深まりをありがとうございました。
※後半の写真は1985年当時京都の自宅での展覧会「上桂森下1-115」や横浜市民ギャラリーでの「今日の作家展」、多摩美術大学での「TAMAVIVANT」に出品展示した藤浩志作品「松ノ木の憂鬱」「カメハニワ」の部分写真。