鹿児島市立美術館についての鹿児島の新聞記事。
a0010575_1295510.jpg父親のお別れ会の為に鹿児島に行くと、数人の知人から鹿児島大手の地元新聞に僕の美術館に対しての意見が載っていたとの話を聞く。

実家にある新聞に目を通すと・・・確かに。こりゃ目立つ。

そういえば、先日東京にいたときに鹿児島の新聞社から電話がかかってきて、入館者数が伸び悩んでいる鹿児島市立美術館に対する意見を聞いてきたので、話せば2時間ぐらいかかりそうな内容について省略しつつ、早口で急ぎつつ、20分程度、意見を述べた。

それがなんだかクローズアップしされている。

新聞にその内容のほんの一部が紹介されていたが、少しはここでフォローしようかな・・・と思うが、・・・大変になりそうなのでやめておこうかな・・・。

でもちょっとだけ。



現在のあり方の美術館というものそのものが日本においては歴史がない。まず、そのことは知っておいたほうがいいと思う。

美術という概念そのものが明治以降のものであり、西欧化の波とともに輸入されたものなので、美術館自体、生活に近いところにあったわけではない。

しかも、西欧においても、絵画・彫刻に類する美術作品が建物に組み込まれた不動産の一部だったものから切り離され、額縁に納められて動産として流通の対象となったのは歴史的にそう古いことではない。

日本においては美術館以前の美術(明治以降、日本美術と呼ばれてきたものに類するもの)は生活に密着したところにあったということにぜひ注目してほしいのだが、そんなことを電話で質問してきた新聞記者に説明することなどできなかった。

つまり、仏像として、寺社、仏閣の建築物の一部として、庭として、あるいは襖絵、天井画として、もしくは祭祀、儀礼のツールとして、民芸や工芸、生活習慣や生活様式の中に、浮世絵や歌舞伎、浄瑠璃、能、大衆芸能などのなかに・・・以下省略・・・日常に対する非日常への導きとして数多く存在していたが、西洋から美術の概念が導入され、白人男性の価値を中心とする美術観が権威として構築されてきたために、これらのものと別のありかたで美術が捉えられるようになった。

簡素化していえば、額縁にいれ、美術館に収めることで、日常より高いレベルの価値へと高める貨幣経済と連動した仕組みがつくられた・・・ということかな。

わずかに僕の祖父母が生まれて以降の世代の出来事でしかない。・・・ちなみに僕の祖父は1880年代生まれ。・・・

その権威の構築に大きな役割をはたしたのが全国各地にできた日本における第一世代の美術館と会員制度を持つ美術展業界、国立大学美術教育系学部、そして地方の大手新聞社だったといえる。ついでに額縁屋と画材屋の役割も大きかったが・・・。

その仕組みは昭和の世代に強靭に熟成し、1970年代までは次の世代の活動へと連鎖を生み出す上でとても重要だった点には注目したい。

現在の鹿児島市立美術館は、もうすでに第2世代の美術館が発生しつつあった80年代半ばに立て替えられたものの、そのありかたについては第一世代のコンセプトをそのまま引き継いだために西洋美術を根拠とする鹿児島の美術業界の権威を裏付けるものとして今も存在し続けている・・・のかな?

余談ですが・・・僕が高校2年生のときに最初にギリシャ彫刻の石膏デッサンの講習会という形で西洋美術の洗礼をうけたのは立て替えられる前の鹿児島市立美術館でした。当時の美術館は荘厳でありながらも、夏休みに鹿児島県内各地から100名を超えて集まってくる高校生のデッサン講習会に一週間以上も展示室を開放するというおおらかなものだったなー・・・。そこに影響を受けて今の僕自身が存在して活動をしているわけだから、個人的にはそのような僕を本気にさせた美術館の存在に感謝しているんです。

その美術館の入場者が減っているとすれば、その権威構造に変化が生じているということなのかな?

そんなピラミッドの構築に重要な役割を担っていた新聞社が疑問を投げかけているということは、もうすでに「西洋美術だから価値があるんだ!」という上から目線の指導的態度に、魅力が薄れてきたからか、あるいは一世代前までは保持されてきた地方の近代化の構造がすでに崩れてしまっていたことの現われなのか。

西洋美術だから価値があった時代は日本において確かに存在した。いまだに東京、上野の美術館での印象派系作家の作品展や権威の頂点にいる作家の作品展は数万人の入場者を動員できるし、美術史にとって重要だとされる作家の展覧会は「有名観光地の名所・旧蹟の来場者数」と比例して観客が多い。

しかし、西洋美術の様式を踏襲しているからといって全部の作品に価値があるわけではないのも事実。

作品に価値があるとすれば、その作品が、それぞれの時代の価値観を変えてゆくほどの重要なきっかけを作りだし、その当時の価値観が大きく変化したという事実を裏付けることができるので、結果として価値が高くなってしまったものたちだと思う。

その意味でも、作品の価値はそれぞれの時代における相対的な関係性に因るものであり、作品が物としての絶対的な価値を所有しているわけではない。そこについてなかなか理解してもらいにくい。

それと、博物館類は、社会教育に位置するというシステムの点で、過去における宝物殿とは少し違うところで存在している。・・・らしい。

教育基本法で決められた社会教育の概念にのっとって、すべての国民が平等に文化的な生活を行うための仕組みとして法律的に存在している。

国や地方公共団体は「豊かな人間性と創造性」や「伝統の継承」の振興に努めるために・・・美術(博物)館を運営しているということになっている。・・・法律的には・・・。たぶん。


西欧化、近代化そのものが文化的な生活そのものだった時代はそれでよかったのだと思う。ところが、西欧化自体が地域の独自の文化の醸成に弊害となり、近代化そのものが持続可能な将来の地域社会に害となってしまっていることが明確な現在、それらの価値観を教育的視線で「興味を持て!」というほうがおかしい。

極端な話、女性の裸を美として公衆にさらけ出そうとする白人男性視線の価値観そのものが女性の人格を無視する差別的視線になってしまったことは否めない。西欧的価値観を押し付けること自体が伝統の継承にあたらないし、創造性や個性を導く方向性にはないことも明らかになっている。

地域社会を見つめ、人々との対話や関係性を再構築し、環境、エネルギー、福祉、教育・・・さまざまな現在の問題について、文化的な解決を探る視線を提供する場として、あるいはさまざまな文化的対話が交わされ、さまざまな地域における文化的、実験的活動の発生を促す場として開放される方向に・・・つまり時代の価値観に対応しつつ美術館のシステムが変化することが大切なのだと思う。

全国のホールや美術館などの公共施設がそうであるように、その流れはもうすでに止めることができなくなってきている。

もう人々の興味は近代の西欧化に位置する情報ではなくなってきた・・・ということだと思う。

研究者はしっかりとその本質を見極めながら、過去の時代の、あるいはこの時代の美術、芸術についてしっかり論じてほしい。

新しい美術館OS(オペレーションシステム)についてのアイデアやイメージはいろいろあるが、話すとまた長くなるので今日はこの辺で。


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以前芦屋市美術博物館についてのコメントを求められて回答したものがネット上にまさあるようです。興味のある方はこちらをご覧ください。



僕は展示室は街に広がるべきだと思っているんですよ。で、収蔵庫は地震や災害に強靭なものでありながらエネルギーのかからない正倉院方式のものを国立公園などの人の安全な場所へ。それとデジタルデータの保管が重要になってきているがそれに対応する美術館がまだ少ない。デジタルデータを保存管理できる地下貯蔵庫が必要になってくると思う。

学芸員は研究者として作品についてちゃんと研究する立場であることに変わりはない。それ以外に外部キュレイター、プロデューサー、編集者による展覧会がプロジェクトとして外部組織と協力しながら駅、病院、学校、役場、福祉施設などの公共施設に併設されているべきホール、工房、スタジオ、ギャラリーなどと連携して開催される・・・というのはどうか。

日常的にギャラリー規模の展覧会やワークショップ、ディスカッションやレクチャーが若いキュレイターやアーティストの実験場として地域内各所で年間数百の規模で開催され、それらのディレクションやアドバイス、あうりは評論、分析を美術館の専門家が行う・・・

このような美術館イメージについてはちょうど10年ほど前に芦屋市美術博物館の存続が危なくなったときに意見したものなので、もう古いかな。・・・。

そういえば、最近、金沢21世紀美術館とか、水戸芸術館とか、福岡アジア美術館とか、直島の地中美術館とか、美術館が街中で展開するアートプロジェクトの拠点として動き始めているな・・・。

次はどう動くかな。・・・今、動いていないところは、将来において最先端の動きをする可能性もあるということ・・・。楽しみですね。
by fuji-studio | 2008-11-19 23:54 | ・思索雑感/ImageTrash


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