ストラクチャル・アート?
2008年 10月 23日
吊ものをじわじわいじったり、ライティングをいろいろいじってみたり、映像をつくってみたり、部屋の中で流す環境音のようなものをつくってみたり・・・
手伝いに来てくれた宇野沢君と越智君と三人で空間制作を楽しむ。
やっぱりこの作業時間は僕自身好きな時間。
まさに日常の喜びなのかな。
実はこうやってなんでもいいので並べてみたり、配置してみたりして、納得の行く空間をつくるのが僕にとっての喜び。
並べるものは実は食器でもいいし、本でもいいし、柄でもいいし、石ころでも木切れでもいいのかもしれない。
その意味で、僕にとって「喜び」の部分ではおもちゃである必要はない。
空間をさわりながら、今回の出品作家が表面的な見え方(スキン)だけでも面白いのだが、・・・空間の成立を読み解くことで、そのストラクチャーがとても深く興味深いことに気づく。
おもちゃでなくてもいいのだが、おもちゃであるのはストラクチャ的に今回はそれでなくてはならないから・・・ということになる。
つまりどうやって素材が集められたのだとか、どのようにして展示されたのだとか・・・どうやって撮影されてどうやって形になったのだとか・・・
形になる前のプロセスにかかわるこことであり、表現行為が作品として編集されるときの構造の問題なのではないかと・・・。
そのプロセスの構造(ストラクチャー)がとても深く、興味深く、面白い作家が出品してるんじゃないかな・・・。
このブログでもたまに、ストラクチャーとスキンのことを口にすることがあるが、ストラクチャーがしっかりしているとスキンはその結果としてできてくる。
今回の出品作家を語る上でこのストラクチャとスキンの関係から作品性を語ることが重要なのではないかと思えてくる。
それぞれのストラクチャーがいわゆる美術システムの内部にあるか、その外部にあるかを見てゆくことでも面白い。
もしくは学校で教わる美術のストラクチャとはいかに無関係にあるかも重要かもしれないし、地域社会との関わりや家庭生活への介入性にストラクチャルなものを感じるものもある。
もちろん今回の展覧会タイトルにもある「日常」の中にそのストラクチャーの核のようなものが関与しているかどうかも興味深い。
ところで、この作家は折り紙作家の神谷さん。
一枚の紙を折り紙してつくるという普段はなかなか出会えない出品作家。
出品作家のジャンルがさまざまであるのも面白い。
日常に関係しながら、実はその表現のレイヤーが、あるいはコンセプトやテーマ、ストーリーがまったくばらばらで、バリエーションに富んでいるのも面白い。
つまり多種多様の価値観ということ。
「・・そこをそうやっていじるのね・・・」とやたらと納得するものが多いのは僕の性質のせい?
日常には多種多様な価値観があふれていることの証明?
日常はまだまだ捨てたものじゃない。
日常の些細な行為が多種多様に拡張増幅されているんだな・・・きっと。
僕にとってはおいしい作家ばかりだったが、特にこのイスラエルの作家、ガイ君にはやられてしまった。
僕の中で久しぶりのヒット。映像は全部必見です。
常々、面白くて、深いこと! を求めたり、探したり、作ろうとしたりしているが、まさに面白くて深いものが集まってきたというかんじでしょうか。
ストラクチャル・アートという言葉はないと思うが、明らかに過去のコンセプチャル・アートとは違い、90年代、00年代を経て発生しつつある表現の領域にかかわる傾向として、そのようなものが自然発生しつつあるのかな・・・。
これまでもいろいろな時代のいろいろなところにそのような作品はあったのだろうが、そのような視点や切り口で編集されてこなかったのかな。
ということで、まただれかこのあたりについて、しっかり論じて下さい。
いや、実はちゃんと論じ尽くされているのに、僕が知らないだけなのかもしれないな。