鹿児島の傘焼き第二弾
2008年 07月 13日
去年は鹿児島市内の高校の美術部学生や地域の子ども達の手を借りてまさに実験を行いそれなりの成果をあげたと思っていた。
そして今年はその展開としてもうすこし募集して参加の幅をひろげる努力をするのだろうと期待していたが・・・。
ところがどうも組織的な問題なのだろうか・・・、開催者の間で認識のズレが生じ、実は去年終わったあとが大変だったと聞いた。・・・だからもう僕の出る幕はないのだろうな・・・と。
でも、最終的に・・・、やはり今年も行うとのこと。
実験ならばそれなりに前回の反省を活かした形でのさらなる実験を行いたいところ。
・・・ところが去年程度におこなうとの消極的なオーダー。
せっかく傘を広げるならば、そのままそれを使って何か面白いものをつくりたいとの発案から傘を利用した飾りつけの実験が始まったのだと思う。・・・しかし、動員された子ども達は・・、いわれるままに傘を広げて・・・、その直後にあわてて片付けさせられて、歴史の講和と薩摩琵琶を聴いておしまい。
なんだかもったいない。
興味をもってもっと関わりたい人達は少なからずいると思うのだが・・・そこにつなげる活動が大切。
ところで、一週間前の今日、傘を開くイベントだけを子ども達を動員して開催する必要があるのかな・・・。
実は本番前日の19日にそのまま参加したい高校生や中学生、もしくは地域をこえて参加したい子ども達や家族達と楽しみたい。
傘焼きの現場の前にある維新ふるさと館のガラス面の中のディスプレイは去年好評だったとかで今年も行うことに。
去年は試しに僕がひとりで制作してみたが、今年は古い友人が教えている高校の美術部生徒の有志が参加してくれてワークショップ形式でその空間制作を試みる。
来週の20日が傘焼きの本番だが、その前日にまた去年のように灯明を使ったワークショップを行うとのこと。
ワークショップという要素についてただ、参加者に手法を伝えるだけではなく、参加者の主体的な活動を引き出すワークショップの仕掛けが行いたいところ・・・。
その部分が重要なのだが、関係者にそこの部分を実現しようとする意思がどこまであるのか・・・。というか、その必要性をどこまで感じているのか。
地域実験としてではなく、どうしてもイベントとしてのつくりこみをしがちなのが問題かもしれない。
これは全国各地の現場で抱く違和感でもある。
新聞やテレビがせっかく取材にきていたというのに、来週の展示への参加を呼びかけてくれないのさびしい。
あくまでも伝統行事に触るのではなく、伝統行事を盛り上げるための周辺の地域実験だという認識がキーになっているのだが、どうしても理解が難しいらしい。
さて、これが将来どうなるか。楽しみ。
7月19日の前夜祭の和傘と灯明の飾り。20日の傘焼き本番は去年並みの実験。
そして来年は・・・?