アリゾナの砂漠を走りタレルのクレーターへ。
2008年 06月 23日
もう20年近く前にはじめて話を聞いて気になっていはいたが、実際の現場をみるのはもちろんはじめて。
まさか見れるとは・・・。
水戸芸術館とタレルとの関係のおけげで実現する。
なかなか凄い現場。
砂漠をずっと走ってアプローチするというそこから作品が始まっている。
クレーターの中に月や太陽を見るためのトンネルが仕掛けられていたり、クレーターの真ん中に空を楽しむ仕掛けがいろいろ配置されていたり・・・
日本だと、直島の地中美術館とか、越後妻有とか、21世紀美術館にあるタレルの作品の総本山的な場所。
まだ公開されていないゲストルームや今後計画中の宿泊施設、作品プランなどの作品も説明してもらい、砂漠の真ん中にぽっこりとあるクレーターを堪能する。
もともとある火山の噴火のあとのクレータを太陽や月や空や星と深く関わる大掛かりな装置をつくる・・・というもの。
特に夏至、冬至の周辺や毎日の・・・特に日の出、日の入りの時間の空の移り変わりを堪能するための巨大装置。
まだ計画の4分の1もできていないのだとか。
ああ、スケールが違うなー。
楕円にくりぬかれた空と円形にくりぬかれた空、クレータの外、途中におまけのようにある小さな円の空を移動しながら、タレルの空と現実の空の違いを堪能する。
しかし、現場で案内してくれたスタッフのおじさんがなんともいい雰囲気の人。
彼はアーティストに興味があるらしく、やたらと僕の作品について尋ねてくるが、この30年がかりのクレーター作品を前にして・・・というかクレーター作品の中で・・・自分自身のちっちゃな活動について語れるわけがない。
ああ、アメリカのスケール感はこの旅のプロセスがないと体感できないのかもしれないなー。
この巨大な大掛かりの装置の中にいながら、これをシステムとして見せることができるのではないかとずっと考えている自分がいることに気づく。
装置としてはアメリカの巨大な砂漠の中のここにあって確かに正解だと思うが、空自体は地球上のどこから見ても・・・湿度とか天候とかの違いはあるが・・・かわりはない。
星空も、夕暮れも、朝焼けも、金持ち、貧乏に関わらず、地球のどこでも獲得できる平等なもの。
スモッグがそれを遠のかせている地域もあるが・・・
とすれば、タレルの空の同質のものは実は装置という表現手段ではなく、シクミという表現手段で世界に配布できるのかもしれないなー・・・と考えている自分に気づく。
最終的な問題が質感の問題だとすれば、そこがユーザーがいじれるいちばん面白いところ。
しかし、「~と」の関係を考えると、タレルとの関係、アリゾナとの関係、タレルスタッフとの関係、砂漠との関係性が変わってくるので、当然同質のものにはならない。
しかし、それはそれでまた新しい可能性もあるのかもしれないなー・・・。