世代年について。
2008年 04月 01日
確かに20歳で子どもを生むことはあるし、40歳で孫がいてもおかしくない。
20年で時代の価値観は変化してゆくかもしれない。
僕がたまたま父親が33歳のときに生まれた子どもであり、僕が33歳のときに一人目の子どもが生まれた。
そこから33年=一世代説の立場をとってきたし、3世代99年で計算するほうがよりリアルに感じる。先祖代々といってもほとんどの人は3世代遡った祖祖父や祖祖母が4人ずついたなんて認識したこともないし、その8人の名前を知っているひとなんてほとんどいない。
先日、太宰府天満宮の宮司の西高辻さんとお会いしたときに彼は39代目だと話していた、息子が40代目なのだとか。自分が何代目といえることがすごい。
菅原道真の時代が800年代半ばなので彼の例をとると一世代は訳30年弱の計算になる。
そういえば、朝日新聞の小川さんに環境についての原稿を頼まれたのでこの世代年についての考えを少しだけ紹介した。
その文章をここに掲載しときます。
以下、朝日新聞への文章。(一部校正されて違うところもあります。)
97年1月、妻と相談し、自宅から出るすべてのゴミを完全分別してためる「家庭内ゴミ・ゼロ・エミッション(排出)」を始めた。「自分はどれだけのゴミを出しているのだろう」「ため続けたらどうなるのか」。増え続けるゴミを前に、そんな疑問や違和感を無視できなくなったのだ。
生ゴミは裏庭の畑の土へと分解できた。紙ゴミは廃品回収へ。2年後、膨大な量になったのが、食品トレーや容器などのビニールプラスチック系のゴミだった。それらを何らかの素材として再利用するしくみをつくり、地域活動にもつなげようと決意した。子どもたちが不要なおもちゃを交換する「かえっこバザール」はそんな発想から生まれ、全国に広がっている。
石油から作られ、現代にあふれるビニプラ素材。僕が生まれた60年ごろにはまだ珍しかった。これらは、僕が老人になるころまで存在し続けるのか。そんな疑問の中から思いついた「世代年」という考え方を紹介したい。
平均的な寿命の人間の一生を三つに区切り、便宜的に33年をひとつの単位「1世代年」ととらえてみる。
人は33歳ごろまでの1世代年目は、自分を取り巻く周辺を理解し、活動をはじめる。2世代年目は子どもを育てる時期に重なり、活動がその時代をつくることになる。そして3世代年目は、自分たちがつくった時代を検証し、次の世代にアドバイスする責任を負う。3世代年を生きた人間は、大きく変化する3種類の時代を目撃する。
たとえば、明治初期に生まれた僕の祖父が子どもの頃は車も電気もなかった。彼は奄美大島で大工として神社や船をつくり、西洋・近代化の波と闘う2世代年目を生きた。
その時代に生まれ育った僕の父親の2世代年目は、大量生産による経済成長をめざし、原油と電気の消費を拡大させ、車や家のローン返済のために働き続けた。
同じ時代、僕の妻の父親は太陽光発電の原理に興味を持ち、企業人としてそのf実用化のために生涯をささげたと聞く。
僕は公害が問題となるその時代に喘息とともに生まれ、スーパーやコンビニエンスストアの発生を目撃しつつアレルギー体質で育ち、いまここにいる。
祖父が僕の時代の価値観を予想できなかったように、僕が、孫たちが目撃する22世紀の価値観を想像するのは難しい。
ただ人の日常の活動が、次の時代の価値観を変え、その環境をつくることは確かであり、それぞれの世代年の人が果たす役割は大きい。
今も大量にたまり続けるビニプラゴミ。そろそろなくなって欲しいのだが、さて、どうしましょう。