描くことに理由が必要である理由。
描くことに理由が必要になったのはおそらく小学校の低学年ぐらいからなのかなー。

もっと幼い頃は描くことに理由なんてない。

a0010575_8344969.jpgいじることの延長の不思議な現象として「描くこと」があったのだと思う。

しかし、小学校の頃からある社会的価値観の外側のことは「無駄なこと」「余計なこと」として生活の中から排除され・・・なんのためにもならない時間を費やすこと自体が非難される対象とされ・・・とにかく、無駄に描いていると「おこられる」ようなきがするし、唯一上手に役に立つ絵を描くことのみが「ほめられる」ような気がしてきた。

現在でも多くの子どもたちが描くことにさえ理由を求められているのだろうな。

かわいそうに・・・。

理由なく描ける人をうらやましいと思ってきたが、実は自分と描くことの関係性を守るために相当社会的な外圧と戦ってきたのかもしれないなー。もしくは守られてきたか・・・。あるいはそれぞれの理由を編集し続けてきたか・・・。


a0010575_8353781.jpgとにかく、僕にとっては多くの人もそうであるように描くことには理由が要る。

この年齢で、ただ描いているだけの時間を過ごすことは「おこられ」そうな気がする。

ということで、この数日間、久しぶりに描き続けながらそんなことを考え、いろいろな「いいわけ」を自分の中で考えている。
・・・おとめ座 A型、末っ子長男の性(さが)なのかもしれないなー・・・

いくつかある「いいわけ」で、もっともわかりやすいもの・・・

子ども達が小学校の高学年になって以来使わなくなってしまった使い古しの鉛筆。

これがやまほどストックされている。例によってくっつけて鳥にしてみたりしたが、なんだかまだまだ絵が描けるので、もったいない。でも生涯つかっても使い切れないぐらいの量の鉛筆がある。(ペンもあるんですけど・・・)

とにかくこの鉛筆を使いきるために描く。

これは社会的に正当な理由に違いない!

・・・そうでもない?・・・
by fuji-studio | 2008-05-13 23:08 | ・思索雑感/ImageTrash


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