走れ!アートバス。
2007年 11月 22日
無事終了。
今回は朝の10時に福岡県立美術館に集合し、アートバスについて考えるためのアートバスの実験。
2000円で特別なランチボックスとお水もついているお得な値段設定。もちろんそれぞれの入館料、バス旅行代・・・全部こみ。
しかもアイランドシティの福岡ビジネス創造センターの見学とそこでのパネルディスカッションがもれなくついてくる。
西鉄の大型観光バス2台に分乗し、僕が進行役をつとめるというパネルディスカッションに連れ込まれるという設定そのものがまさにアート(=ありえない)。・・・つまり、常識を超えている。・・・そこに感動があったかどうかはわかりませんが…。
例によって僕の独自のアート解釈とツアー解釈によるアート×バス×ツアーについての軽いイントロダクション。
本当は取手のバスツアーの話しだとか、桜島のプロジェクトの例だとかツアーそのものを表現のツールとして使った例を紹介する写真も用意していたが…
僕が話し始めるとパネリストの出番がなくなるので、ここは遠慮して、ゲストの話しを伺う。
西鉄旅行もいろいろ面白いバスツアーを企画していることを知り面白かったが、別府で2000年あたりから行っているという「オンパク」の話しははじめて聞いて新鮮だった。
地域主導の活動はそこまで熟していたんだなー。…と、しみじみ。
オンパクは構造もいいし活動もいいし、いろいろなディテールがユーモアもあってなかなかいい。
ただ…、オンパクというネーミングからは伝わりにくい面があるのだろうか…いままでオンパクという言葉は幾度となく聞いているものの、その実態を知ることがなかった…。
オンパクはまさに地域素材の再編集のプラットホーム。
僕としてはアートバスツアーを3種類に読み替えている。
1、バスそのものが常識を超えているアートな存在のものでツアーすること。(バスがシアターになっているとか、バスがツールボックスになっているとか。ドハデなラッピングがされているとか・・・)
2、普通のバスでアートスポット、アートサイト、アートプロジェクトなどのアート名な現場を訪ねるもの。(越後妻有とか直島とか、青森まで行くツアーとか・・・、昔のスキーバスを思い出すなー)
3、ツアーそのものがありえない表現ツールとして編集されたバスツアー。(海の家や廃墟で宿泊し、パフォーマンスになっているツアーだとか、なべの材料を収穫して宴会するツアーとか、地引網をやりながらおもちゃのかえっこを行うツアーだとか・・・仮装してまわるとか、合唱してまわるとか・・・、そういえば昔、宮島くんも叫びながらはとバスで廻っていたような・・・ちがう?)
すべてに可能性があると思うが、僕個人としては最後のバスツアーそのものが現在常識では考えられないような感動を生み出す表現手法として扱われたものに興味がある。
僕自身がこのバスツアーをツールとして使えないかと考えたのは、福岡のアジア美術館でアジアの作家が来ていきなり行うパフォーマンスをもったいないと思ったことに発するように記憶する。
もったいない・・・
とてもありえない質の高いパフォーマンスだったが、ほとんど観客もいなくて、なんでもない雑踏の路上で展開されていた。
僕はそのパフォーマンスを玄界灘に面した海沿いの廃墟で夕日をバックに行うとどれほど凄いだろうかと夢想した。
それを可能にするとすればアートバスツアーというツールが使えないかと考え、徳永君にも相談したことがある。
オーストラリアで夜の動物園(Night Zoo)のツアーがお酒と食事と踊りとついて妙に楽しかったのを思い出し、ボートで急流を下るツアー体験も思い出した。
90年代カフェの日常空間でいきなり始まる演劇を体験したことも思い出した。
そういえば85年ゴジラの散歩もツアーという編集で行った作品だったし、97年のスタジオツアーも05年のTAPトラベルも…僕自身、ツアーというものを表現のツールとして使ったことが何回かあることに気づく。
ツアーは編集。いろいろな使われていないところをそのときだけ、時間限定で繋ぐことができる。
様々な地域素材、人材、ツール、時間を過剰につかうための編集がツアーという切り口でいろいろできそうな可能性を感じる。
もっといろいろな人と編集会議やりたいなー。合宿形式で。
今回のパネリストの経営コンサルタントの遠藤さんはビジネスという視点で見ると厳しいと批判的。
アートが商品にはならない。そこが面白い。そこのところをもっと突っ込みたかったなー。
アートの要素をどれだけ潜伏させ、商品として成立させる編集方法に知恵とアイデアが必要で、そこを考えることにいろいろな面白さがあるように予感する。
で、ツアーを見て行くと、40人とか50人とか、定員が限定されるのも興味深い。
1000人の価値に届くものが求められているのではなく、50人に届く価値が100通りあればビジネスとして成立するのかもしれない。
それもまたバスツアーというツールの魅力。
しかし、今回徳永君が本気でコーディネートしたアートバスは本当にとんでもないものが溢れる空間につれてゆく。
ありえないもの、ありえないこと、ありえない音がそこにある。
まさにアートバス。
福岡市内から1時間ほど離れた山里に潜む100年前~40年前の名品の数々。
これらがそべて当時の状態で音を聞かせてくれる。
50年、あるいは100年のタイムスリップ。
まさにツアー。
たぶん人生でいままで体験したことのない音の体験。
一見、何でもなさそうだが、そのひとつひとつがすごいし、ちゃんと使われているのが凄い。
個人コレクターの力は凄いと思い知らされる。
この存在そのものがアート(常識を超えている・・・)。
もうひとつのアートの拠点、共星の里では地元の人が神楽を披露してくれる。
昔の木造校舎で薪ストーブで暖をとりながら、その雰囲気を楽しむ。
神楽を楽しみながら、ツアーを楽しむ側の可能性ではなくて、あらためて地域で活動を作っている側の立場でアートバスツアーを考えてみる。
古くからの伝統的な活動を伝えようと努力している人にとって、あるいは新しい活動を作り出そうとしている人にとって・・・、そこに観客を持ってくる仕組みとしてツアーには可能性がある。
地域で面白い活動を作り出そうとしている人といっしょにディスカッションを重ねることでさらに面白いことが発生する予感がする。
あの神楽ももっともっとよくなりますしね・・・。
そこがツボですね。
徳永君、オープンディスカッションやりましょうね。合宿で。
今回の参加者も是非また参加してください。
ディスカッションできなかったもんね。今回は・・・。
おまけ。エジソンの最初のレコードの音。