第0回 +artsなオープンディスカッション開催。
○○+artsという考え方。

あくまでもartsを主語にするのではなく、○○が主語となり、既成概念にとらわれない常識を超えた手段で○○に対峙し、○○に関わる手法としてのarts

それを探求しようとする視点。

artsは人間の作り出す様々な技術の中に含まれる。

a0010575_6173838.jpgハイテクノロジー、ローテクノロジー、適正技術、伝達術、表現術、描写術、再現術、制作術、コミュニケーション術、段取り術、運動術、発声術、演奏術、振舞術、所作術、笑顔術、説得術、切捨て術、料理術、企画術、生活術、編集術、整頓術、分類術、移動術、就寝術、…etc.

・・・あー、きりがない。・・・

その様々な技術の中でも、一般的で常識的な技術を超えて、だれもが予想できないような突拍子もない技でありながら…しかも、感動を伴う技術について、人は芸術だ!と呼んでいるような気がする。

そのような、相対的な関係において「超えている技術」をartsと呼ぶのかもしれない。

体操の世界において以前、ムーンサルト(月面宙返り)という技術は芸術的だったが、(ちょっと古い?) その技術が流通してしまった現在、観客はそれを超える技を求めてしまうように、常に流通している技術との相対的な関係において、感覚的なところで芸術性は評価される。

ラーメン屋の世界でも、一昔前まで「一蘭」や「一風堂」というラーメン屋はラーメン屋の一般常識をを超えて芸術的だったかもしれないが、(そうでもない?) これだけ流通してチェーン展開されてしまうとそれを芸術的だと感じる感覚は失われてしまうものだ。

しかし、それらが以前は確かに常識を超えた感動を伴う存在…芸術的な(artsな)存在…であり、人の心を捉えたから、結果的にその技術が流通し、その世界の時流をかえて行ったのだと思う。

そこに+artsな価値はあるのだと思う。

そのように常にartsは感覚的な相対的なところにあり、人の心を捉えることができるかどうかというところにある。

そのような技術を個人の生活の内側、あるいは延長にある様々な事柄・・・つまり○○にぶつけてみる概念が+artsといえるのではないかな。

じゃあ、○○のところ挿入される身の回りの事柄は何か・・・。

僕として現実的に関係が深いのは…生活、家族、老人、子ども、田舎暮らし、自然、収入、祭り、…etc.

基本計画書的には福祉、教育、防災、環境、商業、工業、農林水産業、環境、医療、経済…etc.

場という視点でとらえると、都市、サイバー、山林、海、河川、道路、住宅、橋、広場、たまり場、…etc.

他にも…メデイア、こそだて、ともいく、屋台、ペット、散歩、巡礼、サイン、移動、旅行、食事、おやつ、お茶うけ、体力、気力…etc.

あーきりがない。

そうそう。そんな○○+artsなことについてディスカションをする場を関西にもうけることになりました。

今日はそのディスカッションの為のディスカッションが開催され、今後毎月一回ぐらいのペースで開催されることになりそうですので、興味のある方は是非ご参加ください。
by fuji-studio | 2007-06-19 23:59 | ・思索雑感/ImageTrash


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