九州大学の建築学科での授業、
美術館をつくるという設計課題の最終講評会があった。
学生にとってははじめての設計課題で思い思いの提案をおこなう。
いや、とても新鮮で刺激的。
いや、なかなかバリエーションがあり、それぞれの特性が垣間見れて本当に面白かった。
まさにイメージが発生してくる現場。
まだまだ未熟であるがゆえに可能性だけは大きい。
学生の提案を見ていると、以前のような権威的な構造を持つ・・・というより…、権威を作り上げる装置として美術館を捉えている学生はいなくて、美術館が日常に開かれていたり、入り易かったり、溶け込んでいたり・・・ほとんど広場感覚で美術館を捉えているのに驚いた。
これは僕が最初に妙な話をしたという影響も大きいとは思うが、彼らにとって美術館はすくなくとも高尚ナニモノカがありがたく飾られているところなのではない。
日常の延長にありながら、日常に刺激を与えたり、日常を超える空間であることは理解しているところが興味深い。
でも、人生を狂わせてしまうほどの空間体験をした人は少ないんだろうな・・・。
インターネットで作家のことを皆それぞれにリサーチし、美術館というものを既存の価値観にとらわれずに何の先入観もなく展開する。
これが建築の設計の授業でなく、僕のアートプロジェクトの授業ならばまったく違う話をしていたに違いない。
「空間が人にどのような行動を与え、そこから何が生まれてくるか! その装置を考えよ!」・・・とか・・・面白そう。
色がいいとか形がいいとかの問題ではなく、かといって人がどのように生きるべきかの問題でもなく、・・・
人と人が関係することで何が起こるのかの問題…。
そんなことをつらつら考えながら、改めて建築のあり方と可能性について思いをめぐらしていた。
この学生の中から、将来一緒に仕事をする人がまたまた発生してくるのかな。
きっとそうなんだろうな。
今までもいつもそうであったし・・・。