活火山「桜島」での拠点作り開始!
2006年 11月 28日
僕はその噴煙を浴びながら高校までをすごしたが、その桜島で廃墟となったホテルでの活動の拠点作りがはじまった。
鹿児島からフェリーボートで海を渡り、桜島に入る。
数ヶ月前に公開ディスカッションを行い、ぼちぼち時間をかけながら方向性を探ってゆく現場になるのかな…と思っていたが、持ち主がやはりそのまま放置しておくわけにもゆかないと急ぎ始めたのと、NHKなどのメディアが珍しいネタとして放置してくれずに、何かのアクションを起こさなければならなくなった。
メディアが運営者にプレッシャーをかけてきている、
しかし、なぜ皆完成形を求めたがるのだろう。
まあ、当然のことといえば当然のことであるが、これまでのモノゴトのつくりかたの作法がそうであったということで、僕等がおこなってきたプロセスから生まれる変化してゆく結果の作り方が特殊なのだとは思う。
しかし、もうそろそろその手法や作法や思考が一般的なものとして普及してきてもいいのかなと思うが、僕等が日常付き合っている人たちがどちらかといえば特別だったんだろうな。
とりあえず、壁をはがして、天井をはがしてみてみないと、どのような空間をつくるかはわからないし、そこで「何か面白い空間を作ってみよう」とか「なにか面白い活動を作ってみよう!」とか考える感性豊かで経験未熟な若者が張り付いてみないと、その場がどういうことを求めているかとか、どういうことができるのかなんて分かるわけがない。
現場主義というか、サイトスペシフィックというか・・・そんなこと20年以上前からの常識なのに、まだまだその価値観すら伝わっていないのだなと不思議に感じる。
結局、対話をしようとしていないのではないか。
作品制作の基本は対話であることはだれでも知っている基本中の基本のことだと思う。
絵画はキャンバスとの対話であり、絵の具との対話であり、モチーフとの対話であり、自分自身との対話であるし、彫刻は石なり木材なり、その素材との対話の連鎖が結果としての作品を生み出す。
同じように地域活動は地域の住民や地域の持つ様々な素材、人材、組織、環境、そして自分との対話が基本となり、そのプロセスそのものが活動となる。
高度経済成長期に欧米からの美味しそうな(本当はたいして美味しくないのだが)えさを目の前にぶら下げて走らされた時代の感覚が、いまだに社会の仕組みをつくるところに蔓延しているようだ。
今日のNHKのディレクターの横柄な態度とつくり方のセンスはまさにそれを象徴しているようで滑稽だった。でもきっと僕も含め、彼らもまた被害者なんだろうな。
そう、そう。素材との対話、現場との対話、周辺との対話を、そして自分との対話を基本とすることを忘れないようにしなければならないのに・・・時間のなさか、周辺からのプレッシャーからか、・・・見失うことは多いよな。
で、桜島の現場、僕がそこに張り付きたい気持ちでいっぱいだが・・・実際に時間的に無理。
で、結局、仕方ないので、とりあえず、僕がなけなしの資金を負担して浦田さんを東京から呼び寄せ、会場整備と仕組みの整備と構想、いくつかのワークショップを仕掛けるようにする。
ああ、これNHKに請求したい気持ち。まあ、将来的に回収するとしてとりあえず、あの場所に貸しとくことにしよう。
彼女は今年の春僕に連絡をとってきて、筑前深江アーツキャンプのボランティアスタッフを申し出て、数ヶ月間まったくの無給で生活に苦しみながらも数ヶ月間、僕の家族と家で暮らしていた。
その後僕の勧めで越後妻有アートトリエンナーレのボランティアスタッフとしてまた無給で越後に張り付き、その後取手アートプロジェクトの出品作家として選ばれたものの、やはり、一ヶ月ぐらいほとんど無償でがんばってきた。
この一年間の体験を集積してこの場作りを任せられる唯一の人材かなと考えて僕のかわりに張り付いてもらう。
資金すくないけど、がんばってね。
さあ、対話・対話・・・っていいながら・・・人にやらせるなんてひどい!
はい。ごめんなさい。
でも僕がやるよりきっと効果的ですよ。それはいえる。
もう、そういう世代になってしまいましたね。
ああ、残念。
しかし、なんで僕がお金を負担してるんだろう…。マネジメントしっかりしてね。