遺伝子の騒ぎどころ!
a0010575_22231237.jpg奄美大島の大熊(だいくま)というかつおの漁港の集落。

僕の父も母もこの集落の出身で、両親の記憶の限り父方祖父祖母も母方の祖父祖母もこの集落の出身であるらしい。そのさらに上は定かではないが・・・。


a0010575_22595843.jpg戦争がなければそのままその集落で暮らしていたのかもしれない。

とにかく父親の世代は戦争で人生の多くが変化させられ…、結果として両親とも奄美大島を離れて暮らす人生を歩んだ。


a0010575_2305530.jpgとにかく自分の遺伝子のなかに組み込まれたいろいろな認識できない感情や興味、趣味、志向はこの地域に多く潜在しているのかなと・・・。

僕の祖父 藤三太郎(…漫画のような名前だが…)がこの集落の大工だったことは話に聞いていて、その三太郎じいさんが若い頃に建てたと聞いているのがこの集落の山手にある龍王神社


a0010575_23130100.jpgそこにある手水鉢に龍の細工モノがある。昔はなかったような気がするなー。

この地域はキリスト教が盛んで、僕の祖祖父の時代は皆キリスト教徒だったとか。それが原因で先祖の墓を祀るという習慣が断絶されたというのは父達の話。


a0010575_2323322.jpg海岸になびくコイノボリ・・・ではなくカツオノボリ!

なるほど!

そうそう。田中一村が通っていた大島紬の工場や魚の写生をしていた魚屋もこのあたりにあったという事実は直接の関係はないが・・・なんだかうれしい。


a0010575_2372631.jpg集落の端にわずかに残された自然の海岸。

おそらく僕の遺伝子にはここで遊んだ記憶がかなり重層に組み込まれているのだろう。


a0010575_2392195.jpgそこで戯れるカラスを眺める。

なんだかとても自然な不思議な情景。

心騒ぐ。


a0010575_930234.jpg集落の端に墓地があった。 

そこに藤家の墓を見つけ気になってみてみると大正時代になくなった藤都喜安さん他2名が入っているだけの様子。そのあたりでは一番小さく古いお墓。

僕の父親の名前は藤都喜二で叔父が都喜七なのでかなり近いはずだが、父親に聞いても・・・???の表情。

都喜元さんという名前は3世代遡るところで聞いた気がするが…

先祖の霊を大切にすることよりも経済成長のほうが大切だった世代の人だからあまり興味がないのかもしれない。

子どもの頃いったいどの墓をお参りしていたのだろう?

で、ふとまわりを見渡すとせいぜい数百程度の墓。

一世代遡ると2家族の遺伝子を受け継いでいるという事実を単純計算してみると7世代遡るともう128家族の先祖の数になるので、このあたりの墓の数に等しい。
藤家の墓の意味を考えるよりもこの墓地全体をお参りすることの意味を感じつつ、気になる墓それぞれの全体におまいりする。 


a0010575_23104472.jpgで、村を出たところにある大きなカエルの石像。

親子で「無事カエル」だって・・・。

なんだかな・・・

龍、さかな、カラス、墓、カエル・・・

まいったな。
by fuji-studio | 2006-11-01 22:16 | ・思索雑感/ImageTrash


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