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スクープ!「野豚を追うヤセ犬」の真実に迫る!

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京都市の西の端の竹林と柿木畑の中にある京都市立芸術大学のすぐ裏側に京都縦貫道路から東名高速道路に繋がるインターチェンジが計画されているらしい。

それに伴い周辺の景観や環境が変化することに対して何かアクションを起こそうとはじまったのが「大枝アートプロジェクト」だとか。

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その企画のひとつで実現したのが1986年にパプアニューギニアセピック川の上流で出会った民族学研究者の山田陽一さんとの20年ぶりの再会そして対談。

僕の表現の多くの種がパプアニューギニアで発生したもので、そのさらに基本となる考え方や視点を与えてくれたのが山田陽一さん。

で、当時山田さんは島根大学にいたとおもうが、めぐり巡って僕の母校の音楽学部の教授となっているという不思議な縁


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その対談で僕はいくつか聞いてみたいことがあった。そのひとつは僕が1987年から1996年まで制作し続けた101匹のヤセ犬にまつわる物語「野豚を追うヤセ犬」について。

この話は僕の「美」に対する基本的な重要な考え方を説明するのに1988年以降様々な場所でおそらく数百回は語ってきた物語。ある事実を記憶するために文章を残し、その文章が基本コンセプトとなって東京の取り壊される住宅の柱から…あるいは水害で崩壊した倉庫の柱からヤセ犬を彫り続けた。



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最初のヤセ犬を作ってから10年目の1997年にヤセ犬10周年の誕生会を北九州のギャラリーSOAPで行ったとき、そのオープニングのレクチャーの中で話したのが…『「野豚を追うヤセ犬」の物語が僕にとって事実だったのか、それとも記憶の中で作られた虚構だったのか』という疑問。

レクチャーのために当時の記録をいろいろ探していたが、何か不自然な記録しかでてこないのだ。「野豚を追うヤセ犬より」というタイトルのついた詩のような記録がノートに書かれているだけで、通常だったら記録するはずの出会いの詳細の記述が見当たらない。

当時、ふとしたことから、個人にとっての現実は記憶によってつくられ、記憶は記録と自分の中のイメージの反復によってつくられるという現象に気づき、その個人の現実をさらに表現することにより社会的な現実へと繋がってゆくということにも興味を持ち始めていた。

逆に記録も記憶もないことはいくら事実として存在しても、時間とともに記憶の薄れとともに存在はうすれ、事実がなかったものとなる。

記録するということと表現することと、記録、表現がどのように編集され再構築されてゆくかということは個人の活動とその周辺の受ける影響を考える上でも重要であるし、表現活動を行っている立場として避けれない重要な問題だと考えている。

当時、ヤセ犬の物語が実は熱さでうなされたパプアニューギニアの幻覚だったのではないかという疑問を持ちはじめ、そのイメージの源が山田さんとの出会いの中で発生したのではないかという仮説が僕の中で拡がっていた。


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なんとも不思議な縁をつなぐ大枝の蔵の中での山田さんとの対談は僕にとってその真実を探る興味深いもので、さらにその場を移して行った「大枝楽座」での飲みながらの第2部もまた人生最高の充実した時間だったように思う。

またまた不思議な縁でややこしくなるので省略したが、この蔵を借りているのはなんと福岡の糸島で緊急入院したことのあるこれまた縁の深い椎原保さん。それをプロデュースしたのは岡山時代からいろいろと縁の深い井上明彦さん。会場には何重にもいろいろな縁がからまった深い関係の観客。

興味のある活動をしている人たちと興味のある会話を重ねることのできる大切な時間。ほんとにありがたい。

実行委員の皆さん本当にありがとうございました。

こちらにも報告があります。
by fuji-studio | 2006-07-19 23:39 | ・講座/対話/研究会