イメージはどこから発生するのか・・・?
そのことについてこの数年、いろいろなアプローチを行ってきているように思う。
まず、自分の遺伝子に組み込まれている記憶。
記憶というのか性質(たち)というのか趣向というのか志向というのか、嗜好というのか・・・。親から(2人)そのまた親から(4人)そのまた親から(8人)さらにそのまた親から(16人)・・・・と倍々に増え続ける関係因子の体験が生物的な遺伝子を通して体内に伝えられてきたもの・・・
次に自分自身が、生まれてからこれまでに接してきた環境や関係や情報やショックなどから受けた体験や記憶、意識、認識・・・社会的な遺伝子ともいうべき地域社会や情報メディアを通して受け継いできたもの・・・
そして今回のような別の他者、場、価値観等との出会いによる化学反応のような状況・・・
様々なズレや違和感のなかからイメージが発生するのではないかということについてはこの3年ほどしつこいほど話しをしてきた。
自分の中に潜む何者かに対する違和感。
自分の接してきた外側に対する違和感
今そこで対峙する他者に対する違和感
これらがすべてイメージを立ち上げる種になり、表現に繋がる宝物となると考えている。
今回はその「イメージが立ち上がる状況」を作ろうとした。
対話することで、いままで出会ったことのない状況で出会ったことのない人と出会い、ぶつかる状況をつくることで、それぞれの参加者の中にこれまで見えなかったイメージの影が生成される
のではないかと思った。
そのイメージの影がイメージの種となり・・・
ある程度の熟成期間を経て発芽する場合がある。
その土壌はもしかするとこの筑前深江ではないのかもしれない。
しかし、その土壌を豊かにしつつ、いつでも発芽できる状況をつくっておくこと・・・。
そんなことが大切なんだと思う。
しかし、この筑前深江アーツキャンプのプレゼンテーション、面白かったな。
実は僕自身がいちばん勉強になった。
さてここからさらに深くて楽しくて興味深い状況を作らなければ・・・。
どうなることやら・・・夏の陣に続く。