e-space garden の運営
2006年 04月 17日
1988年にパプアニューギニアから帰国して、東京で会社員として勤め始め、鹿児島に帰る用事がなくなったことを自覚した。
そのことがきっかけとなり、意図的に両親や兄弟と何かをつくり続けようと、生まれ育った住宅を手作りで改装してカフェをつくり、それを運営してゆこうとするところから始まった現場。
当時、僕は両親や兄弟と対話する内容が見出せないでいた。年末に実家の鹿児島に苦労して帰ってみても、特に会話すべきことを見つけられずに、ひととおりの近況報告のあと、年越しのお決まりのテレビ番組歌合戦を見ながら、どうでもいいような会話をする時間が耐えれなくて喘息が出た。
僕がゼーゼーいい始め不機嫌になると、家族の中に黒い雲がかかり、一刻も早くその空間から逃げ出したくなったのを記憶している。
僕は対話が苦手だった。友人との対話も苦手だったし、兄弟との対話も両親との対話も苦手だった。特に会話を作り出そうという努力もしていなかったし・・・。
パプアニューギニアでの2年間の生活で、僕の中であらゆる価値観が変換され、つまらない対話がいかに楽しく重要で、価値あることであるかを思い知って、そんなことが実家の家族たちとも可能なのかと思い始めた。
そんなときにたまたま空き家になっていた生家を改装して始めたのがe-space。
それからかれこれ17年。紆余曲折、四苦八苦、右往左往ありながら、未だにプ「イイスペイス」をつくるプロジェクトは続いている。
おかげで運営しなければならない空間は拡大し、莫大な借金もでき、それを返済しなければならない責任もできて、80になる父親と75になる母親や3人の姉達との深い対話や価値観のぶつかり合い、言い争いの類は未だに絶えることがなく、大切な時間を過ごすことができている。
ということで、紫原で2004年から運営を始めたe-space gardenは当分の間、カフェ、レストランの営業を停止して、パーティや発表会、演奏会等の貸し会場として、あるいは1週間単位で利用いただける貸しギャラリーとして静かに運営してゆくとこになりました。
どうぞよろしくお願いいたします。
藤浩志