デーリー東北に連載した原稿の記録




私見創見2015年1月ー2016年11月

デーリー東北に連載した原稿の記録をこちらに転載しときます。


校正前の原稿です。


20

2016年11月原稿


廃棄物との格闘

ヨーガンレールになれない私


先月から十和田市現代美術館ではじまった展覧会「On the beach ヨーガンレール 海からのメッセージ」に展示されている作品は、彼が暮らす石垣島の海岸に打ち寄せられた無数のプラスチックゴミをつなぎ合わせて作られている。その素材を彼は悲しみと憤りを感じながら集めたのだそうだ。美しい自然を蝕むプラスチック素材。極めてシャープでクールな表現だ。

 先月、三重県の伊勢市で開催された海ゴミサミットでも海洋中の目に見えないほどのマイクロプラスチックの海洋汚染が大きなテーマとなっていた。以前より廃棄物の問題は様々な形で指摘され、30年前と比べると、さすがに有害廃棄物を垂れ流す企業は少なくなり、一般消費者にもリサイクルの意識が芽生えてきたと思う。しかし、すべての製造者にその製造物の行く末を見届ける責任の意識が定着するには至っていない。処理できない廃棄物となる様々なものが製造されても、いまのところその責任が問われることはない。最終的な行く末のことを無視して製造されてきたそのツケは将来の環境にかなり大きな負債を与え、とんでもないことになってしまうことが叫ばれ始めている。これまでは目に見える廃棄物が問題になってきたが、現状ではそれ以上に目に見えない廃棄物汚染がかなり深刻な問題になっている。あらゆる商品・製品においても、エネルギーの製造過程においても、生活環境すべてにおいて、その生産の過程で、いかなる廃棄物も作ってはいけない。もうすでに拾い集めるだけでは解決できない世界に入っているのかもしれない。

 僕らはそんな世界に違和感を抱きながらも日常に流され、消費をくりかえしてしまう。その結果普通に処分してしまう廃棄物。目に見えて安心だと理解できるような循環ができる制度が確立されるまでと気軽に思い、それを捨てずに溜め続け、いじり続けているものの、とんでもないことになってきた。ヨーガンレールが感じた廃棄物に対する憤りと悲しみにももちろん共感できるし、僕なりの憤りを表現活動としてぶつける覚悟もあったが、これが僕の表現者としての限界なのか、性質なのか、表現の方向性が大きくスリップしてしまう。


 その素材を分類し向き合ううちに、その素材への興味・関心が芽生えてしまう。特に大量に集まってしまう壊れたおもちゃの破片、ファーストフードで躊躇なく配布されるキャラクターのおもちゃ類、通信教育教材としてのDVD、あるいはぬいぐるみが山ほど集まってきて、その素材を分別し、ストックする費用だけでも倉庫代等一年に数十万かかるようになってきた。活動をはじめた当初は、その素材を利用して何かを作ろうとしたわけでは決してない。しかし、活動を続けるほど、溜まり続けるその素材が今の時代を象徴する重要なもののように感じ、過剰なまでの消費構造の異常さを表現する上で力を持つ素材なのではないかとも考えるようになる。


 1997年から日常生活の中で集め始めた廃棄物素材は数十万点、おもちゃのかえっこという物々交換のシステムを運営し続けることで蓄積されたおもちゃのガラクタ類はおそらく数百万点程度。ぬいぐるみがあまりにもかさばるので自宅の壁や床、天井の断熱材として利用し、ぬいぐるみ断熱の家も完成した。最近はおもちゃの破片やぬいぐるみなどで恐竜のようなものをつくり、トイザウルスと名付けてみたりしていろいろなところで展示してみたりしている。こんなことしている場合ではない!とはわかっているつもりなのだが・・・。


19

2016年10月原稿


リリースという概念

ビニールプラスチックコネクション


閉じることと開くこと。このバランスが重要だ。物事は閉じていなければ熟成できない。深い思考を行っている間、何かに没頭しているとき人は閉じている。日本における鎖国時代に日本独自の文化が醸成されていったように閉じている状況でしか作りえない大切なものがたくさんある。現在注目されつつある辺境の地に残る伝統や風習、歴史遺産などもアクセスの悪い閉された環境が醸成してきたとも捉えることができる。しかしずっと閉じていたのでは外部と何の関係も持ち得ない。関係がないということは存在しないことになる。自分の中では存在していても、社会的には何も存在していない。閉じている状態を開く瞬間、予期できない面白い状況が発生する。それをしっかり観察し、調整しながら緩やかに開くことが必要だ。どのように開くのかを考えるうえで「リリース」という概念に注目している。

 音楽の発売や情報を公開するときや、釣った魚を池に戻すとき「リリース」という言葉が使われる。ある閉鎖された状態から解き放つイメージだ。発表するという漠然としたイメージよりも届ける先が見えていて、なんらかの束縛から解放される感じがいい。

 1997年に家族の関係を修復するためにはじめた小さなプロジェクト「家庭内ごみゼロエミッション」は、家庭から廃棄されるべき素材(ゴミ)をすべて捨てずにストックするという家庭内の閉じたプロジェクトだった。3年後の99年、箱根・彫刻の森美術館から個展の話をもらった時に、ストックしているビニプラ類の素材を108分別し「ビニールプラスチックコレクション」と名付け、すべてを並べて出品してみることにした。閉じた家庭内のプロジェクトがリリースされた瞬間だった。さらにその素材を利用してなんらかの活動の連鎖を作り出す為に「ビニールプラスチックコネクション」と呼びかえてみた。コレクションの一文字を入れ替え、コネクションとし、収集していた素材からなんらかの繋がりを作ろうと考えた。

 家庭で集まる素材だからこそ、地域に呼びかければすぐにたくさん集めることができる。ペットボトルを数百本集めカヌーを作ってみたり、数千本集めてカフェのテーブルや椅子、海に浮かぶ祭りの山車のような巨大な海亀をつくり、それを使って様々なイベントやワークショップ、場作りをおこなった。お菓子のポリ袋で作った織物や編み物でドレスなどをつくり子どもたちとファッションショーを開催した。それらの活動を広く伝えようとしたわけではない。関係を繋ぎたいところに届けることを試みた。そんな中から出てきた活動が子どもの遊び場をつくる「かえっこ」のプログラムだった。

 かえっこでは子どもたちの要らなくなったおもちゃを持ち寄ってもらう。それを引き取るために子ども銀行「かえっこバンク」をつくり、そこで使用される通帳「かえっこカード」と「かえるスタンプ」を考案した。そして子どもの心を持つ人であればだれでも無料で使用できるシステムとして2000年にリリースした。主に美術館での活動からリリースをはじめ、10カ国を越える海外の美術館やアートセンターでの開催を含め、全国各地の美術館や文化施設、学校、公民館、リサイクルプラザ、商業施設、企業PR館等でまちと子ども、子どもと大人、普段関係を持たない組織や団体、施設や空間等、様々な存在をつなぐシステムとして現在でも活用され続けている。それはいいことだ。しかし、子どもたちの要らなくなったおもちゃが山ほど集まってきてしまうのは想定外だった。いいおもちゃは子どもの手に渡り循環するが、子どもですらいらない壊れたおもちゃが等が山ほど集まってくる。大変なことになってきてしまった。来月に続く。




18

2016年8月原稿

適正経済

家庭内ゴミセロエミッション


 適正技術という言葉には青年海外協力隊の派遣前訓練で出会った。高度な最先端のハイテクでも原初的なローテクでもなく、現地の環境や人々との関係において最も適正な技術がある。国際協力に必要なのは持続可能な適正技術なのだいう考え方。それをベースに経済においても適正な状態があるのではないかと思い至った。東京の都市計画や土地再開発の仕事に関わっていたバブル期、収入は多いほど幸せになるとつぶやく先輩もいたが、食うために働くという常識そのものに違和感を抱いていた僕にとって、東京でのサラリーマン生活をやめ、海と山と田畑に囲まれた古い農家を借りてはじめた妻と娘二人との自宅兼個人事務所勤務の暮らしは、適正生活の実践を試す理想郷のように思えた。

 子どもには自然の音や匂いに近い空間で育ってもらいたいと思い、汲み取り式のトイレと井戸水利用の隙間だらけの大きな格安の古民家を借りたので、寝室代わりに家の中に虫と寒さを避けるためのテントを張る等いたるところに工夫を施した。収入は激減し、モノを購入するお金もないので近所で筍や野草や果物、魚や海藻やキノコを皆で採集し食卓を囲んだ。採取したものを保存食にしてみたりヨーブルトや天然酵母菌なども育て、生活そのものをつくる時間を家族と共有し楽しむ。電気代や受信料などを節約するためにテレビのない生活をはじめ、家族が向き合って暮らす時間が増え、家族の関係は良好になるはずだった。しかし・・・

 東京を離れて九州に活動の拠点を移した頃より、美術関係で呼ばれる仕事は日本全国、世界各地に広がっていた。必要最低限の経費とギャラは出るものの決して十分な収入ではなかったので飛行機や新幹線や運送屋を使っての運搬などの経費を節約し、夜行バスでの移動や友人の家かサウナでの宿泊、荷物の運搬は自分でレンタカーを借りて行うのが常だったので、仕事の移動に数日かかり、いくつもの仕事を掛け持ちしながら巡るので九州の自宅になかなか帰れない。日ごとに成長する娘たちと一緒に過ごす時間は減り、子どもを抱えながらできるバイトで家計を支える生活をしていた妻との会話が刺々しいモノになり、家族関係に亀裂が生じていった。

 その亀裂を埋め、家族内での会話を取り戻すために始めたのが家庭内ゴミゼロエミッション。家庭から廃棄される素材をすべてストックするプロジェクト。当初ゴミとして「モノを捨てる」ということに違和感を抱いていたのは妻。僕は活動をつくる素材としての可能性に魅力を感じた。地域の活動にしろ美術作品にしろ、モノを作る上でその為の素材を購入するということに興味を失っていた時期でもあった。暮らしていた農家には大きな屋根裏部屋の倉庫や納屋や畑もあった。生ごみは畑の肥料として活用し、木材類は薪ストーブの燃料に、金属・古紙・類はその気になれば廃品回収に出せるので問題はない。問題は大量に集まってしまうビニールプラスチック系のパッケージ類。これをストックするために、まず井戸水で洗浄し、台所の横に常設されているビニプラ類の干し場に干して分類し、当時百八分別ぐらいを目指してストックしはじめた。1年経ち2年経ち3年目の春、すごい勢いで増殖し続けるビニプラ類に恐怖を感じ始めた。このままではゴミ屋敷の住人に成り下がってしまう・・・

 そこでその素材の山をビニール・プラスチック・コレクションと呼ぶことにした。名前をつけることは、なんでもない物事に力と価値を与えることにつながる。そこから予期せぬ様々な連鎖が広がってゆく。来月に続く。

 

17

2016年7月原稿

適正経済

給料一ヶ月分のお米


食うために働く。普通に使う言葉だ。この言葉に大きな疑念を抱いていた。半ば衝動的に、ほとんどやけくで、当時もらっていた一ヶ月分の給料すべてを使ってお米を買ってみたことがある。一トンのお米が購入できた。

 青年海外協力隊員としてパプアニューギニアで2年間を暮らし現地での極めて原初的な生活を経験した後、東京の土地開発業者で働き始めたものの、バブル崩壊の影響を受け、都市計画事務所に転職し、地域づくりの現場で大きな違和感に向き合っていた頃のことだ。仕事の関係でアフリカの食料問題や飢餓の問題についての解決策を考えるようになり、勤めていた会社の社長とぶつかったことが引き金になった。

 一トンのお米というと10kgの袋が100袋。運ぶのも大変だが保存するところも大変。一人で毎日食べ続けても10年近くたべれることになる。これで食には困らない、・・はず。しかし一年も経つとお米から虫が湧いてくる。虫を取り除いて食べ続けたが2年目にはほどんど虫の巣のようになっていた。食料の保存と輸送の問題が世界の食料問題のネックとなっていた。保存と輸送が大変なので、途上国や飢餓の現場に向けてお金が動く。しかし、お金は低いところから高いところへと流れるのだとか。仲介業者や官僚に流れ、飢餓で苦しむ現場に届くことはないという話であった。震災や放射能汚染事故の災害の現場の話も近いのかもしれない。

 考えてみると食べるために働いているといいながら、給料は一体どこに消えてゆくのだろうか。保険、年金、税金、家賃、水道光熱費、交通費、そして日々の会社の同僚や上司との交流のための飲み会、付き合いの様々な出費。そして食費。当時はまだまだ高価だったコンピューターのローン、通勤用のバイクのローン、支払いリストは挙げだすとキリがない。なんだか騙されているような気がして、正社員を辞めて契約社員となってしまった。しかし現実的にはそれでは生活費が足りないので、朝4時から築地市場で荷運びのアルバイトをし、午後から都市計画事務所で働くという二重生活をはじめ、時間とお金の関係をとことん考えるようになった。

 例えば、住んでいる家の家賃は広さによって変わる。当然所有しているモノは置き場が必要なので、厳密に考えると、モノにはそれぞれ置き場としての家賃が支払われていることになる。モノを購入するとき、そのモノの値段とともにそれが保存される年月の家賃も同時に考えなければならない。また、もしも休みの日に自分が好きな活動をするとする。しかし、その時間アルバイトをすればその分時給として給料が入ってくる。つまり自分が好きな活動は自分の時給を使って行っているような感覚を持つようになってしまった。

 そんな感覚に追い詰められて、そこから脱出する計画を立て、とある美術のコンペティションに出品し、東京での仕事を辞めて九州の田舎の家賃の安いところで暮らし始め、適正経済、適正生活という概念に落ち着いた。収入は少なくていい。周辺に山や海が豊かにあり、農家や漁師がたくさんいて、狩猟できるようなところにいると、食って行けると確信する。しかし、そこには実は技術が必要だ。自然との向き合う技術。そして人々との信頼関係を築いてゆく技術。そのためには自分のできることをちゃんやらなければならない。「食うために働く」その真意はそこにあるのだと思う。

 そこまではよかった。しかしそこから困難がはじまる。続きは来月の連載で。 



16

2016年6月原稿


未経験のこと始めれますか?

失敗が許される社会環境


皆さんにとって、新しいことを始めるのは不安で面倒なこと? それとも楽しくて仕方ないこと? どうやら僕は未経験のことを「できるんじゃないか」と勘違いして始めてしまえる性質のようだ。もちろんすぐにできるとは思っていない。とりあえずやりはじめ、いつまでもうまく行かず、ダメ出ししながら、右往左往することを楽しんでいる。失敗を当たり前と思っている鈍感さと、周辺の人の皮肉や批判を積極的な意見として受け流す能力も持っているようで、家族には迷惑がられるが、そこもあまり気にしない図太さがあるらしい。そんな状態を数年続けていると、いろいろな出来事が、この上なく楽しい状態へと連鎖することがある。これができる人は以外と多くないということに最近気がついてきた。


 昔とある漫画の中で「人が幸せになるには《根拠のない自信》を身につければいい」という会話があり、それが脳裏に焼きついた。厳しい時代を生き抜く為には《根拠のない自信》が必要なのかもしれない。根拠があって自信がある場合、根拠が崩れると自信も失う。その点《根拠のない自信》は根拠がないので崩れようがない。この話を友人の美術家に問うと、「当たり前だ。できるまでやるので、できるに決まってる。」との強い答え。できるまでやる自信があるだけだという。なるほど。


考えてみると、生まれたばかりの赤ちゃんにとってはすべてが未経験のことばかり。成長する段階で新しいことに直面し経験を重ねてゆく。しかし、ある程度成長した段階で、新しいことを恐れなく行える人と、未経験のことはできないと思い込み、やらない人に分かれてしまう。この違いはどこにあるのか。


そもそも新しいことをはじめる上で成功の保証はない。むしろ失敗からはじまるのは必然だ。成功体験の裏側には幾度と重なる失敗体験がある。その先に徐々に成功につながる兆しが見えはじめ、感性がときめく。成功への条件を考える上で、幾度も重なる失敗が許される環境にあったかどうかが重要な問題なのではないか。


僕自身の幼少期の環境はその意味で特殊だったと再認識する。個性や主張が強く激しい年の離れた3人の姉の下に長男として、しかも病弱・喘息持ちで片方の視力が弱い状態で生まれたので、何をやっても姉並みにできないことが当たり前として育ってきた。多くの失敗経験が許される環境にあったのかもしれない。


しかしこれまでの地域社会が築いてきた環境はどうだろう。合理化と経済効率優先の為に失敗は許されない状況に固められてきた。その影響が職場にも、学校にも、家庭にさえも蔓延している。環境とはつまり周辺の人の視線でもある。上司や同僚の、教師や保護者や友人の、そして家族の視点なのだろう。そこで行われるあらゆる試み、行動への視線が失敗を迷惑がり、攻めたて、萎縮させてしまう。

ところで、成功とは何だろう。その裏側にはかならず強い価値観が存在する。こうあるべきとか、ビジョンや目標という強い価値観の達成を成功とし、そこに到達できない状態が失敗とされる。しかし、こうあるべきとか目標とかの強い価値観がない状態、つまり成功という到達点がなく、未知の価値観を求める世界においてはどうだろう。緩やかで柔らかい感覚を持ち、未踏の活動へ向かう様々な試みの予期せぬ展開は、失敗としてではなく課題発見のためのプロセスとして捉えることができる。既成の価値を疑い、新しい未知の世界へ向かう柔らかい感性があるといいんだろうなぁ。


15

2016年5月原稿

時代を超える

美術館の発生


そもそも日本の地域社会には美術館という概念どころか、美術という概念すらもなかった。しかし、日本の地域には人々を異次元の世界へ連れ出してくれる美術を超える存在が数々あった。それは寺社仏閣の中に、祭り事や儀礼・風習の中に、あるいは日常使う道具や日用品の中に見事に組み込まれ、人々の生活を美しく、豊かなものにしていたのだと確信する。

 美術大学で美術を学び始め、日本に美術の概念が輸入される明治以前の様々な表現に興味を持つうちに、そんな時代にタイムスリップしてみたいと考えるようになった。もちろんタイムスリップなんて現実には不可能だ。しかし「途上国へ2年間」と書かれた青年海外協力隊募集の広告を目にして思いついた。「開発途上国へ行けば、欧米の概念が入る前の状態、明治維新の頃の状況にタイムスリップできるのではないか!」そして応募し、派遣された先がパプアニューギニアだった。当時のパプアニューギニアは建国10年目。まさに近代化が始まったところ。少し田舎に行けば、まだまだ原初的な生活を送っている部族がたくさん残っていた。明治維新どころか縄文以前。磨製石器の石斧が使われている新石器時代のようなところにスリップした。「戻りすぎだ!」と後悔したものの実はかけがえのない多くの事柄を学ぶ事になった。そこではもちろん、音楽、美術、舞踏、演劇等のようなジャンルに分かれているような「芸術」は存在しない。しかし、それらが未分化で融合された、自然や先祖あるいは数々の遺伝子と繋がるためのテクノロジーのようなものとして高度に人々の営みに組み込まれていた。先祖の鳥へ近づく為の刺青や顔に泥で描かれた図形、言葉に変わる意味を響かせるリズム、トランス状態に入って行く為の繰り返し行われる体の動き、発せられる声、様々なものが絡み合い、融合して人々を異次元の世界へ連れて行くような体験。

 僕自身の両親も、そのまた両方の両親も西南諸島にある奄美大島の大熊という小さなカツオ漁港の出身だ。その地域で今も盛んに行われている8月踊りという祭事があり、8月の終わり頃、青年から高齢者まで集落の辻々を巡りつつ太鼓をたたき皆で歌をうたい一晩中踊り続ける祭事がある。青森の祭りほど派手ではないし飾りもない。しかし、同じように血が騒ぐ。そこに共通するルーツのようなものに魅かれて仕方ない。集落に潜む様々な美術を超えた存在としっかり繋がり、多くのことを学びたい・・・。と考えているうちにアーツ&ルーツという専攻が秋田に新設された公立の美術大学で動き始めたと聞こえてきた。十和田湖の10分の6は青森県十和田市だが、あとの10分の4は秋田県。十和田市現代美術館の活動に次の展開を生み出す為に、隣にできた秋田の美術大学と十和田を行き来し、北東北での活動を深めようとしていたが、はやり中途半端な関わり方では迷惑をかける。ということで、十和田市現代美術館に新しく小池一子さん(僕が名前を並べるのですら申し訳ないぐらい素晴らしい方)を館長にお迎えして新体制で運営することになった。

 それにしても青森は広くて深い。北東北となるともっと未知の世界が広がる。動きながら、移動しながら、流されながら、漂着し、目を開き、耳を澄まし、遺伝子に組み込まれた感覚を呼び覚ますリハビリを行う必要がある。十和田市現代美術館に勤務しながらなかなか巡ることができなかった様々な現場で自由に活動を作って行きたいと願う。今後ともよろしくおねがいいたします。


14

2016年4月原稿


写真のまち東川町

アートを活かしたまちづくりとは


アートを活かしたまちづくり。近年よく耳にするようになった。しかし考えてみると文明が発生した太古の昔からまちづくりにはアートが活用されてきた。エジプト文明のピラミッドやスフィンクスをはじめ、多くの権力者がまちづくり・国づくりのために常識を超える存在を作ってきた歴史がある。まちはその時々の最先端の思想と技術を結集し、人々に驚きと感北海道の銘を与えてきた。逆に捉えると、近年文化芸術と呼ばれる思想や技術を無視して、経済効果や効率優先でつくられてきたまちが存続の危機に瀕していると言えるのかもしれない。

 学生時代を過ごした京都には、いたるところにその痕跡が残っていた。三十三間堂や龍安寺、妙心寺、金閣寺、銀閣寺をはじめ様々な寺社には建造物・庭・仏像・天井画等の美の結晶が今も受け継がれ多くの人に感動を与え続けている。そのように数百年を越え残ってきたものに視線が注がれてしまったからなのかもしれない。60年代から70年代にかけて全国各地で「彫刻のあるまちづくり」という手法が導入され、多くの彫刻が街中に連立した。しかし当時はまだ彫刻というと永久設置が条件で、まちの血流を止める障害物のように台座の上に固定され、今ではセクハラと言われかねない姿の像や抽象彫刻、あるいは統一感のない装飾類がまちの要所を埋めてしまってきた。80年代にはそれらの彫刻群が次世代の感性が活躍できる余地を奪い、新しい活動が発生する空気感を阻害している反省から彫刻公害とまでいわれるようになる。僕が都市計画事務所に勤めていた80年代後半には新進の企業が率先して建築の一部に現代美術作品を組み込む等が試みられたが、国内外の先進事例をマネして持ちこむことが当たり前とされていて、場に時間軸を作る概念やその更新性が考慮されること、住民とそのまち独自の手法を模索し実践することは難しかった。それから30年経ち世代が入れ替わり、地域住民が主体となった様々な手法のまちづくりが全国各地で試みられる上で、新しい価値観を作り出すアートへの関心も高まってきた。

 北海道の中心に位置する人口八千人弱のまち、東川町のまちづくりはその先駆けと言ってもよい。インターネットで「東川町」と検索してみると驚く。ごく一般のつまらない自治体のサイトではなく、美しい風景の写真のスライドショーがトップに広がる。東川町は1985年に「写真の町」を宣言。毎年夏に国際写真フェスティバルを開催し、第一線の国内外の写真作家に対して、海外作家賞・国内作家賞・新人作家賞・特別作家賞・飛驒野数右衛門賞などの賞を与え、展示・収集を行ってきた。さらに94年より全国から写真家の卵の高校生を集め、東川の町を被写体に競い合う写真甲子園を開催。「写真に移されても恥ずかしくないまち・ひと・ものづくり」を目標として掲げているのも興味深い。写真というツールをつかうことでまちが世界中の一流の写真家と繋がってきただけではなく、写真家を志す日本全国の優秀な卵たちと接点を持ち、まちに暮らすひとがそれらに密接に関わり、「写る」ことを通して客観的な視点を培ってきた。きっと美しいひとで溢れるまちにちがいない。一度東川町に行って過ごしてみたいと思わせてくれる。

 さて、いよいよ新幹線が函館まで開通する。北海道対する関心が高まる中、今回十和田市現代美術館と東川町のコラボレーションで一つの展覧会が実現できた。地霊ー呼び覚まされしもの~東川賞コレクションより~十和田市現代美術館で開催中。ぜひご覧ください。


13

2016年3月原稿


記憶と記録

記憶とは曖昧なものだ。記憶はある出来事を自分の中で何度も思い返ながらなぞるうちに定着する。あるいは言葉にして話したり、文章等の記録をつくりことによって定着する場合も有る。実は、記憶をつくる過程で「誰が」横にいたか。「誰と」の関係で記憶が作られたのかということが重要であると考える。実は記憶は「誰と」の関係の中で都合のいいように編集され、なんらかの意味が付加されて記憶される場合が多い。例えば今日の出来事を上司に報告するのと、妻や夫に話しするのと、友人に話すのとでは、事実から切り取ってくる部分が変わってくるし、話す内容も話し方も変わる。


 例えば夫婦それぞれに結婚にいたった状況、いつどこでどちらがプロポーズをしたのかの詳細を語ってもらうと、二人の記憶のギャップに驚くことになる。年月が重なるにつれ、そのことについて誰にどのように語ってきたかの回数が増えるほど、語った内容が記憶を更新し、さらに記憶が脚色され語られることもしばしばある。いじめで自殺した子どもの周辺にいた子ども達の意識は記憶を消去する方向に働き、事実をまるでなかったかのような記憶に作り変える場合もあるし、その事実を我が子の自殺によってはじめて知った親たちは、なぜ自殺したのかという疑問に向き合い続け、何度もいじめの状況を頭の中に思い描いてしまい、どの当事者よりも鮮明な記憶を持ち続けることになる場合もある。

 年配の男性の多くが子どもの頃はガキ大将だったという記憶を持っていたり、団塊世代の多くがビートルズにのめり込んだ記憶を持っていたり、昔なんとなくいいなと思ったアニメとかアイドルが、長年、熱狂的にのめり込んだ記憶にかわっていたり、社会に繰り返し流れる情報が記憶を編集することもある。

 あるひとつの出来事を客観的な視点で捉えれば、その意味を限定することはできない。あるいは意味がないと捉えることもできる。しかしその出来事の周辺では、それぞれの立場によって様々な意味が生じるし、その後の経過によって意味は変化する。記憶は曖昧で優柔不断なものであるが、それが手紙や報告書、あるいは写真や映像など、なんらかのメディアによって記録されるとなると、そこには意味が付加される。記録になるプロセスにおいて意味が発生しはじめる。

 記録は多くの記憶を変化させ、新たな記憶を捏造することにもなりかねないということは知っておくべきだ。先のいじめの両親はどの当事者よりも事件の報告書を繰り返し読み、その記録の信憑性に向き合ったことだろう。団塊の世代はメディアを通して、40年以上にわたり、その名前と音楽と画像を繰り返し目にしてきた結果、記憶が編集されてきたとも捉えられる。記録された文章や写真は、それがたとえ極めてプライベートな日記や写真であっても、それが数十年も捨てられずに残ってきたという事実だけで、自分の中に潜む意味を見いだすこともできる。 

 先日十和田市現代美術館で始まった展覧会、地霊ー呼び覚まされしもの~東川賞コレクションより~のアーティストトークで出品作家の志賀理江子が写真の不思議さについて話していた。撮影して写真にしたとたんに、それまで自分の目の前にあった風景や出来事が別の存在として立ち現れる。写真そのものが自分から切り離され独立し、存在している感覚を不思議に思い、写真を始めたのだそうだ。そのような視点で身の回りの記録されたものを眺めてみるといい。記録はこれまで気づかなかった何かを語りはじめてくるに違いない。

 

12

2016年1月原稿


一年について

一年の価値は年齢分の一

年を重ねるたびに一年が短くなる。去年は特に短かった。小学校の頃は一年はもっと長かった。しかし、最近は一年が矢のように飛ぶ。人の一生を一とすると、誰にとっても「一年の価値は年齢分の一なのか?」という話を職場の同僚としたことがある。一歳の赤ちゃんにとって一年は人生そのもの。十歳の子供にとって一年は十分の一。五十歳を越えると一年は五十分の一ぐらいになるので、体感的には一年が早くなるのも納得出来る。この法則でいうと十歳の一年と五十歳の五年が同じ質量になる。一方で一年なんてのは人間の概念でしかなく考え方次第、年齢なんて関係ないという人もいる。年齢を重ねることは、様々な関係を重ねることことだという人もいる。家族での関係、職場での関係、家や地域、物品などとの関係。関係する物事が増えてくると、それぞれとの関係を保つためにそれらと関わる時間が増えてくる。バタバタ動き回っているうちに時間はどんどん飛び去って行く。ところが、人は誰でも関係を断ち切られてしまう瞬間に襲われることがある。それは予測できるものもあれば突然起こることもある。あらゆる災害や事件、事故もそうだし、家族との離別、退職などもそうかもしれない。これまで重ねてきた様々な関係が断ち切られた瞬間、乗り越えることができないほどの重く長い時間が目の前に立ちはだかる。矢のように飛んでいた時間が停止し、重くのしかかる。それを克服するには時間が過ぎるのを待つしかない。時間の経過によって新しい関係を作り出すことができたとしたら、再び時間は動きだす。様々な関係が時間を刻んでいると捉えることもできる。

 僕が若い頃赴任していたパプアニューギニアでは一年という概念がなかった。年齢を表す言葉がない。つまり年齢がない。日本には四季があり、一年というサイクルがわかりやすい。四季の節目でいろいろな風習や儀礼があり、それが文化となっている。しかし、四季のない赤道直下では一年を言葉にする必要がなかったのだと思う。当時赴任していた美術大学の学生に年齢をたずねてみて愕然とした。彼らは年齢を知らなかった。村にやってきた宣教師が指導する小学校に行ってはじめて年齢を決めたのだそうだ。彼らにとっての年齢の概念はキリスト教の布教とともに村にやってきたものらしい。そもそも彼らにとっては、母体から生まれた日は重要ではない。集落の中で、共同体の中で成人として生まれた日の方が重要だという。一年がなく、四季がなくても節目はしっかりある。それは最も人間として重要な節目、人の誕生と死だ。誕生というのは母体から生まれた瞬間のことではなく、一人の人間として生まれる成人の儀式の瞬間をさす。日本の数世代前の社会でもそうであったが、多くの赤子は食糧事情や衛生環境の影響で死に至っていた。赤子を一人の人間としてその死を悼んでいたのではきりがない。だからこそ、成人としての誕生がその共同体にとって重要な節目となっていた。

 一年という概念があろうがなかろうが、揺るぎない事実として時間は経過し続ける。過ぎ去った過去は目の前に刻々と立ち現われ、将来は見えない背後からやってくる。遠い過去は記憶の中で圧縮され、記録よって固着する。事実がどうであれ、記憶によって編集された記録だけが事実として残ることになる。今という時間は将来の記録によって意味づけられる。去年の一年間の行動や活動の意味は、これから一年間に何を行ったかによって意味づけられることになる。ということで、今年もよろしくお願いいたします。

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12月原稿


11月原稿

水、土、風、光と人の性質

水をあたえてくれる人



まちの豊醸化

創造的で魅力的な活動を作るために


10月原稿

公約数と公倍数

共通の価値観を探る作法


8月原稿

繋がろうとする表現

「繋がる」と「伝える」は違う


美術館というホワイトキューブの空間は潔い。先日、遊びをテーマとした展覧会が終了し、作品が全て撤収され、所有者のもとに返却される。ビス止めの為に空いた小さな穴が埋められ、白い塗料で綺麗に塗装される。空間がリセットされた瞬間は、展示が完成した瞬間と同じぐらいの高揚感がある。

 今月19日から始まる展覧会のタイトルは「MESSAGES」。精神科医の高橋龍太郎氏が収集した現代日本を代表する作家の作品が集結し、前回の展覧会とはまったく違う空間へと変貌する。

 ところで、メッセージという言葉にも含まれているが、「伝える」という言葉と「繋がる」という言葉について、その成り立ちや意味の違いについて考える機会が増えてきた。きっかけは、世界で最も美しい本とされる聖書の装飾写本「ケルズの書」(8世紀頃に制作されたアイルランドの国宝)解説書の翻訳本が日本で出版され、その書評を書いたとき、「伝えるという概念は平面の発明、そして文字の発明とともに変化してきたのではないか」と思い至ったことによる。

 私自身、1986年から88年までの2年間のパプアニューギニア国立美術学校講師の経験を通して体験的に気づいたが、人間の原初的な生活においては、平面という概念や文字がなかったという事実。そのことがとても重要だと思うのだ。顔や体に施すイレズミや、土や植物での儀式や闘争のときの装飾、盾や槍、カヌーや精霊の家への彫刻による装飾等、 壁画や木片やパピルス等、平面というメディアが発生するまでは、人間の体などの立体物が支持体となり、そこに何世代も同じ形の装飾が施されてきたのだ。パプアニューギニアの奥地での生活には、平面という概念も、文字という概念もなかった。しかし自分の体内の先祖から受け継いだ遺伝子と繋がる為の、あるいはマサライと呼ばれるこの世界の全てをつくる大きな存在、自然、宇宙と繋がる為の、あるいはワントクと呼ばれる地域を形成する家族、同族、子孫たちと繋がる為の、装飾を施しリズムを刻み声を出し体を動かす独自の手法が存在してきた。

 僕らは間違った教育を受けてきた。今もその教育は継続している。先日も中学一年の息子の美術の試験問題を見て愕然とした。「作者は何を伝えたいのか。次の中から選べ」とのこと。文章であれ絵画であれ、あらゆる表現は「何かの意味や概念を伝えるために作られている」と信じている人が多い。果たしてそうだろうか。母親に繋がろうと必死になって手を伸ばし泣く赤子。何かと繋がるために必死にもがき描いている人。それに対して「何を言いたいのかさっぱりわからない」と切り捨てるのは暴力だと思う。美術大学などでは「コンセプトは何か」と問われ続ける。コンセプト、概念、考え、意図、意味は何かというような質問。活動にはコンセプトが重要だと信じている人が未だに多い。僕はコンセプトよりも衝動のほうが大切だと思い、情熱のほうが魅力的だと思う。意味や概念から逸脱し、何かに繋がり、自分自身を超えようと必死にもがく表現には力がある。

 さて「MESSAGES展」、いろいろなメッセージが美術館に溢れることになる。そこで、「作者は何を伝えたいのか」などと思わないでほしい。「作者が何に繋がろうとしているのか、触れようとしたのか、捉えようともがいているのか」について想像を巡らしてほしい。そしてそのような作者の心のありように繋がろうとしてほしい。


2015年7月原稿

美しさとは何か。

ヤセ犬が教えてくれた美術


美しさとは何か。その答えは百人百様、様々にあるべきだ。では僕にとっての美しさとは? その答えを導いてくれたのがボロボロのヤセ犬だった。1987年、青年海外協力隊員としてパプアニューギニアに赴任していた時のことである。その時に書いたメモを引用する。

「病気で毛がちぎれ、ハゲハゲのガリガリで、卑屈なまなざしがやたらと印象的だった。決して人間に媚びることをせず、与えられることをせず、人目を避けるように人間と共生しているその犬達には、先進国諸国で豊かに暮らしている『飼い犬』のような生温かさはなく、かといって自ら獲物を捕らえる野犬のような鋭さもない。単にボロボロのボロぞうきんのようなヤセ犬だった。ところがそいつらが、1年に数回だけ村で特別な儀式とか祭礼とかがあるときに、人間達といっしょに野豚狩りにでかける。人間の仕掛けた罠に獲物の野豚を追い込むのがヤセ犬達の仕事だという。村人達は特別な儀礼のときだけ野豚を食べる。その食べカスがヤセ犬達にとっては唯一のご馳走であるらしい。僕は走る姿すらも想像できないそのヤセ犬達が、野豚を追っかけるなんてとても無理だろうと思っていた。しかし、僕はそこでものすごいものを見てしまった。そのヤセ犬達が野豚を見つけた瞬間、すごい! 全身にエネルギーが満ち溢れ、変身してしまった。そしてまるで猛獣のように猛然と、すごい勢いで野豚を追い始めた。その姿があまりにもすごくて、僕の体は思わず震え始めた。僕の脊髄に何かが走った。感動で涙が出るほど『美しい』と思った。」

 「美しさ」は価値観であり、それは人それぞれ違う。僕自身は何を「美しさ」とし、美術に向き合って活動してゆくのがを模索している時の出会いだった。この出会いにより、僕は「美術」の意味を次のように定義してみた。「なんでもないもの、価値がないとされているもの、むしろ社会的に低く見れれたり、ダメだとされている存在や意識にエネルギーを注ぎ、ありえないすごい状態に変化させる術なのではないか。」

 燃えかすの炭であっても、石ころや土くれであっても、雑音や廃棄物であっても、くだらないとされている考え方や存在であっても、そこにこだわり、エネルギーを注ぎこむことで、思いもよらぬありえない状態に変化する。変化する瞬間がある。その瞬間に立ち会う時に人の心は激しく揺さぶられ、感動する。様々な表現行為はその瞬間を待ち望むかのように継続されているようにも思う。人は表現活動を重ねることで、自分自身の知らない、思いもよらない世界に足を踏み入れることができる。表現する手法についても百人百様、様々にある。色をいじる。形を描く。糸をさす。石を彫る。画像に向きあう。料理を極める。散歩をする。旅をつくる。歌をうたう。音を奏でる。体を動かす。妄想する。人は生活環境の中で様々な経験をし、多くの表現手法に出会う。体験して感じることが大切で、実際に自分の行う行為として、行動として体感することでしか、生まれ持った自分自身の性質に気づくことはないのだと思う。

ヤセ犬にであった瞬間、美しさとは何かがつかめそうになった瞬間、僕はこれからの可能性を秘めたこのヤセ犬を101匹彫らなければならないと思ってしまった。しかも縁の深い場所の廃材から彫り出すことを決めた。それは自分自身にヤセ犬の感覚を刻むために必要だと思ったし、単純に彫り続ける作業の時間に没頭したかった。結果として赤道直下のパプアニューギニアでは5匹のヤセ犬を彫ることしかできず、帰国してから東京の取り壊しになる家を転々と暮らし、そこの家の柱から5匹つくり、さらに鹿児島で大島紬の工場跡を転々とし6匹つくり、1993年8月に鹿児島で遭遇した水害で流された納屋の柱をつかって残りの85匹をつくった。結局101匹揃ったのが1996年。彼らは今も下からの卑屈な視線で機会を伺いながら、走り出す瞬間を狙っている。


2015年6月原稿

イメージの種

もやもやは風景をかえる


身に着けている物、持ち歩いている物。家の中の物、道路やまちや田畑、山、川、国土の地形も含めてこの世の中にあるすべての物は、これまで生きてきた人たちの価値観によって作られたものだ。それぞれの時代に最良のものとして多くの専門家が会議を重ね作ってきた。そしてその発生の現場には、計画書や図面等のイメージを作った人がいる。イメージが形になると流通する。屋根の形、作物の植え方、海岸線や山林の土木工事でもなんでも、素晴らしいとされるイメージが発生すると、それは流通し多くの風景に影響を与える。


以前、神戸大学の授業で、景観を形作っているパーツ、建築様式・建築部材・街灯・看板等を取材して巡ったことがある。まちに存在するあらゆる物のイメージソースがそれぞれどの時代に流行したものなのか。そしてそのイメージを立ちあげた人が誰なのかについて学生と論じた。興味深いことに多くのイメージは表現として立ち上がり、それがデザインとして流通し、さらにその様式が模倣され、現在の多くの風景を作っていることがわかる。


エジプト・ローマ・アールヌーボー・アールデコ・ゴシック等の様式、あるいは抽象表現やモノ派、スーパーフラット、萌え系等、様々な表現が生み出したスタイルがデザイン化・商品化され連鎖し、現在の風景のなかに幾重にも組み込まれている。そして風景は刻々と更新される。一世代33年を一つの単位として更新され、三世代百年でほとんどの風景は入れ替わる。逆に、三世代を越えて生き残った商品、風景はそれだけの力があり、その価値は高く評価され、文化財として保存されることもある。


問題はそのイメージがどこから立ち上がったかということだ。それぞれのイメージには立ち上がる前の状態がある。しかしイメージが立ち上がる前の状態を語ることはとても難しい。言葉にも形にもなっていないので表現のしようがない。美術を語る上でこのイメージの前の状態を語ることがとても重要だと気付き、それを「もやもや」と名付けてみた。


違和感、なにかが違うと感じるもやもやは、生活の中で誰もが普通に抱いている。しかし、そのもやもやにこだわり、もやもやを探り、いじろうとする人は少ない。合理性を重んじる経済中心の社会や、常識や規律を重んじる地域社会では、もやもやは無視するように強要され、切り捨てられてきた。イメージをいじり、流通をうみだすところにはお金も動く。しかし、それ以前の意味不明のもやもやをいじりつづけても、イメージ化される前なので流通するはずもなく、お金が動くこともない。



しかし、世の中にはもやもやを無視できない性質の人がいる。普通を装い、社会生活を送りながらも、湧き上がるもやもやに向き合い、社会の常識や周辺の人々との価値観と闘いながら、なんと呼ばれようが気にすることなく、流行や権威とも無関係にひたすらいじり続ける人がいる。


そこに真のアーティストの態度を見る。真の研究者や起業家もそのような性質を持っているのかもしれない。今のあり方に納得せず、新しい状態を探る探究心を持ち、違和感に向き合い、その正体を捉えようと、超えようとする。その先に将来の大きな流通をつくるイメージが発芽する。まさに「もやもや」はイメージの種なのだと思う。そして発芽したばかりの新種のイメージを集めて、これから流通を作ろうとしている人や「もやもや」に向き合っている人々に提供しているのが現代美術館なのだと思う。





2015年5月原稿


遊ぶことが難しい時代。


十和田市現代美術館で開催中の「ジャンプ」-アートにみる遊びの世界-。美術館の通りの向かいのアート広場にある太った家と太った車の作家エルヴィン・ヴルム、消しゴム版画家ナンシー関をはじめ国内外の8組の作家が出品している。

 CDショップのような相川勝の作品、壁に縦5列、横5列25枚のCDが飾られ、その左側には視聴コーナーがある。CDが飾っているだけかと通り過ぎそうになるが、よく見ると袋に入ったCDジャケットの裏表全部、写真・文字・バーコードに至るまで、すべてが模写され筆で描かれたものであることに気づく。歌詞カードやCDの円盤の表面も模写されていて、まさかと思い、そこに接続されているヘッドホンを耳に当てると、本人が楽曲を全部生声で再現している音声が聞こえてきて唖然とした。大人が真剣に遊ぶとこうなるのか。


子育てをするなかで、幼い子どもには「遊び」という概念がないということに気がついたことがある。遊び・勉強・仕事と分けるのは大人の価値観でしかない。子どもはなんでもいじる。遊ぼうとしていじっているわけではなく、そこに何かがあるといじってしまう。クレヨンがあると、紙があろうがなかろうがいじろうとする。そこに紙を与え、描いていいよと規制を加えるのは横にいる大人なのだと思う。そしてその行為を遊びだとか、勉強だとか、勝手に分類し規定するのも横にいる大人なのだろう。


文字をいじる。言葉をいじる。数字をいじる。自然の現象・物語・体の動き・道具・様々な素材をいじる。それら行為には遊びも勉強もない。しかし知らず知らずのうちにある部分は遊びとされ、また別の部分が勉強と分けられてゆく。遊びは楽しいのに、学習や勉強、仕事はつまらない。主体性を持って、自分の感情や感覚に従って行っている行為なのか、あるいは外部(親、上司、先生、常識)からの圧力によってやらされている行為なのかの違いによるのかもしれない。


子どもが遊んでいる状態を、束縛なくいじることが許されている状態だと捉えてみる。許すのは大人や周辺の人だと思う。子どもはフレームの存在を学び、さらにそこに時間が関与していることを学ぶ。「今はそんなことしている時じゃないでしょ!」勉強すると褒められ、勉強や仕事の時間に遊ぶと怒られることを学ぶ。


現代は遊びというものが恐ろしく商品化されている。勉強、仕事の抑圧の裏側に遊びという消費が仕組まれている。遊びは購入するものだ信じている子どももいるのかもしれない。妙な言い方になるが「遊び」から解放されることも大切なのかもしれない。自分自身の感性や感情に向き合い、心許すものをいじって過ごす時間。それに出会うことが大切であり、その時間に抑圧をかけない状況や環境が必要なのだと思う。

前述の展覧会場で、高いところ数カ所に世界各地のミネラルウォーターのボトルが横倒しに展示され、そこからポタポタと水滴が滴り落ちている。その水滴を見事に受け止める位置に奥入瀬渓流ブランドのペットボトルが置かれている。「世界から十和田へ」とタイトルされた作品。「地球上の水分量は一定量で、水は地球上を循環している。蒸発し雨になり降り注ぎ地下に浸透し湧き出る。名水と言われる湧き水が世界各地にあり、人はそれをブランド化し流通させそして…」と出品作家の森田浩彰は語る。水の循環と資本主義の構造に対する違和感。それをいじった作品なのだろう。自覚的に感覚、感情のままに。


2015年4月原稿

自分のことを自分自身が一番わかっていない。僕自身も常に自分のダメさを自覚しながらも、状況に流されてしまい反省することが多い。自分が日々何を行いどのように過ごしているのか。そのことを外からの視点で客観的に捉え、周りとの関係の中で自分の存在がどうであるのかをしっかり理解して、自覚を持って暮らしてゆくのは難しい。自分を客観視する視点を獲得し、日常活動している人はそれほど多くない。

 たとえばスポーツ選手のように競技に関わり、勝敗というものが見える世界にいるのなら、常に自分の闘い方を客観視し、それに対して何度もダメ出ししながら、挑戦してゆく態度をもっている。もちろん一通りの技術を獲得し、それを最大限に体で表現するのは当たり前だけれど、それでは金メダルは取れない。スケートで演技をする人はたくさんいても、金メダルという最高峰まで高めるための努力は並大抵のものではない。そのプロセスの中でなんども挫折し、つまり、自分自身がこのままではダメだと自覚し、それを超えようと努力した先にしか到達できないのだと思う。

 ぼくらは金メダルを取るために暮らしているわけではないか、自分自身を少しでも高めようとする権利は誰でも持っている。自分自身の日々の生活を自覚して少しでも違う地平に行きたいと考え、それを実践する権利を、年齢、男女、職業、立場などを問わず、誰でもが持っている。

 優秀なアスリートの横には必ずその能力を引き出そうとし、常に客観的な視点を与え続ける関係者が周りにいたのだと想像できる。

 物事の価値に絶対的なものがあるとは考えていない。つねに相対的な関係のなかにあり、「誰と」の関係によって物事の価値は変化する。


表現することは自分自身を客観視し、自分自身の常識を超えることがなのだと考えている。自分自身が作ってしまったルール、自分自身が暮らしている日常の常識を外からの視点で客観視し、ちゃんとダメ出しして超えようとすることそのものが表現することだと信じている。


表現することができれば、周辺との関係が変わる。周辺との関係が変わるということは自分の存在が変わってくることだと思っている。



2015年3月原稿


美術とか芸術の大きな勘違い。


美術とか芸術が素晴らしいものだと勘違いしている人が多いのでとても苦労する。芸術作品だから素晴らしいのではない。その逆だ。この世とも思えないぐらい素晴らしい物事だから人は「芸術だ」と呼び、大切にしようとする。とても常人で考えられないものごと、例えばスポーツ選手のありえないプレーも、料理人のこの世のものとは思えない料理も、常識を超えた存在であればどんなジャンルであっても「芸術的だ」と人々は賞賛し、高い対価を払い大切にする。そのあり方は正しい。芸術っぽい形をしているから素晴らしいのではなく、時代に大きな影響を及ぼすほど素晴らしいから、芸術品と位置付けられてきたのだ。たとえそれが額縁に入っていても、台座の上にのっていても、いくら芸術っぽくても、芸術作品とは程遠いものが山ほどあるというのが現実だと思う。


美術館についても勘違いが蔓延している。美術作品が収蔵され展示されているから美術館なのだが、残念ながら感動的な素晴らしいものばかりがあるわけではない。逆に、どんなに素晴らしい物事や活動であっても、美術作品の形式のものでなければ収蔵されていないという残念な現実もある。地域社会にはもっと素晴らしく興味深いものがたくさんあるというのに。


義務教育によって植え付けられた誤解がとても悪い影響を与えていると思っている。地域社会には素晴らしく感動的な物事は無数にある。伝統的祭り、暮らしの知恵、料理法、保存法、あらゆる人の営み、あるいは自然、昆虫、動物、植物などの生態系の循環、数多くの物語や歴史、工芸品や生活民具など様々ある。それらに無数に内在する芸術性を見出す教育を軽視し、翻訳された欧米の絵画や音楽を芸術作品として重点的に紹介し、その作家や会派について教科書を通して擦り込まれた記憶がある。残念ながら僕の感性にはまったく響かなかった。遠い世界の異質なものを「これが芸術なので食べなさい!」と強いられた気がする。その価値を裏付ける為に国立大学では西洋近代美術の研究者が教授となり、その弟子が地方の美術館の学芸員として勤務し、美術館は派閥のサンプルを買い集め、西洋近代美術の系譜をコピーした地元有名作家の寄贈作品で収蔵庫は満杯になってしまっている。


動植物園や水族館、自然史博物館などでは想像を超えた生態系の神秘に触れ感動する。歴史博物館や科学館などでは過去の壮大な物語や未来の人知を思い描き感動する。それと同様に、美術館は常識を超えた人間の行為の痕跡や想像力と出会い、人の心を揺さぶり、感動を引き出し、良質の時間を提供できる場でなければならない。そして、それを一歩進めてみると、まち全体が博物館や美術館になると理想的だと考える。地域全体が様々な素晴らしい自然や生態系、歴史や科学や人の営みに出会う場となり、素晴らしい人に繋がる仕組みが存在すればそれでいい。「アートを活かした地域づくり」の意味は本来そこにある。しかし、このアートの捉え方もまた、芸術の捉え方とまったく同じように勘違いしている人が多すぎる。はっきり言っておきたい。アートっぽいものは必要ない。むしろ勘違いさせ邪魔になる。地域に潜在する「ありえなく素晴らしい活動」を顕在化させ、そこに繋がる仕組みが大切なのだと思う。素晴らしいものごとを一緒に楽しむ人々がちゃんと集まり、ちゃんと対話できる場があらゆる角度で存在すればいい。そんな拠点施設としての美術館であって欲しい。



残念なことに価値のあり方は状況によって変化する。もちろん西洋美術の歴史においてその価値が高まった状況は確実にあった。イタリアのルネッサンス期、19世紀フランスのバルビゾン、20世紀初頭のモンマルトル。そしてそれらの作品はルーブル美術館などに当時の状況を物語る唯一の証人として収蔵され、多くの専門家が研究を重ねている。それが時代を経て海を渡り明治大正期に、全国各地の美術オタクに大きな影響を与え、日本全国に波及した。これからの時代、その地域の将来にどれだけ深い可能性と新しい意味を与えてくれるかどうかは疑わしい。







2015年2月原稿

感性を揺さぶる危険な場


ちゃんと感じ、ちゃんと考え、ちゃんと動く。たったそれだけのことが難しいと感じるようになったのはいつからだろう。職場や学校、家庭でさえも、様々な規則や圧力に束縛され、感じることも考えることも自由に動くことすらも出来なくなっているのではないか。子どもたちは友人や教員あるいは親との関係に気遣いながら懸命に空気を読み、親や教員もまた上司や世間の圧力に耐えながら行動せざるを得なくなっているのかもしれない。


人は本来自由に感じ、考え、行動できる権利を持っている。少なくとも地域社会はその自由を奪い束縛するべきではない。むしろその束縛から解放し、個人の感性、思考、行動の自由を育み、保障しなければならない。


頭や体は作れ育てと教育をうけ鍛えられた記憶があるが、自由な感性を育てる教育を受けた記憶があまりない。創造性を培うことが教育の目標と教育基本法に位置付けられているが、創造的な感性を育てる手法は迷走しているように感じて仕方ない。感情、精神、心もまた体や頭と同様に若い頃にちゃんと作り、育たなければならないはずなのに、いったいどのように教えられているのだろう。


ある程度年齢を重ねてくると、体も頭も積極的に使わなければ成長することはなく退化をはじめる。それは感じる力にも言える。若い頃は些細なことに感動しても、年齢を重ね、経験を重ねるごとに、感受性は鈍感になり衰える。だからこそ頭や体同様に、心をどのように使い、動かし、揺さぶるかが重要になると思う。喜怒哀楽の感情を経験し、大きな感動をし、それを自覚することが大切だと思う。


子どもであれ、大人であれ、自分の感情を客観的に捉え、自覚する日常のトレーニングが重要なのではないかと考えている。気持ちが後ろ向きに消極的になっていることを自覚する。それを感じた上で逆に積極的になり前に押し出そうとしてみる。あるいは気持ちが持ち上っていることを感じたのち、また逆に落ちてゆく感覚を自覚する。また意図的に心を開こうと試み、その逆にとことん閉じている状態を自覚する。そのような心の動きを自覚することが大切なのではないかと考えている。


しかし、今の家庭、学校、地域社会はどうだろうか。あたかも開くこと、 前に出ること、上に上げることだけがいいことのように教え、後ろ向きになったり、下がったり、あるいは閉じたりする心の動きに対してあたかも悪いことのように制御が働く。怒り、悲しみ、悔しさ、恨みや憎悪の裏側に深い喜びの感情があることを知っていても、それが社会に発生するを叩かれてしまう。


転倒や怪我をしないプロのスポーツ選手がいないように、人間の成長に挫折や失望は欠かせない。しかし、どうだろうか。安心、安全、保証、リスク回避の蔓延する地域社会で事故や失敗は抑圧され制御されている。


少なくとも、美術館やホールなどの公共文化施設は地域社会の創造性を育む装置として存在する。とすれば、地域に暮らす人々の感性、心の有り様、様々な感情の状態にしっかり寄り添い、共に感じ、時には苦しみ、悲しみ、怒り、恨み、閉ざし、あるいは開き、喜び・・・心を動かすことに関わる、危険な場でなければならないのではないか。そのように感じている。



2015年1月原稿

わずか数センチの針一本で。


特にやることもなく退屈で空虚な時間を過ごしたことがあるだろうか? あるいは強い圧力に束縛され逃れる場所もなく、ひたすら耐えながら時が過ぎ去ることを願ったことは? そのような重く閉ざされた時間はとても長くつらい。その先にわずかでも解放に向かう兆しが見えれば、ゆるやかに時間の質は変化する。何かに向かう期待感が現れた途端、時間は軽やかに加速する。


現代社会のいたるところに重く閉ざされた時間は存在する。学校や職場、友人関係や家族関係、地域社会の中にも多くの圧力は存在する。その質は随分違うのだろうが、過去にも様々な抑圧はあった。


現在、十和田市現代美術館で展示している作品に向き合い、制作者の体験している時間の質に思いをめぐらしてしまう。展示されている作品とは、江戸時代後期から明治大正にかけて青森の一般の女性によって作られた作業着や日常着、晴れ着など数々の衣服。布そのものが貴重だった時代に作られ、使われ、幾度も手を入れ補修され、代々引き継がれたものであったが、大量消費社会の荒波の中で、それぞれの家の物置から廃棄されつつあった。それを収集したのが1933年下北生まれの田中忠三郎で、彼の数万点に及ぶコレクションの中から国指定の重要有形民俗文化財に指定されている100点ほどの衣服を展示している。


特に「たっつけ」と呼ばれるスリムジーンズのような自分仕様の作業着が素晴らしい。細くなった裾から股下にかけて、ありえないぐらいに緻密に細かい幾何学模様を、たった一本の針で深い藍色と生成りの糸を使い分けて全面に描き、遠目に見るとスタイリッシュなストライプ模様に仕上げている。刺し子の糸をたどりその図柄に入り込んでみると、当時の女性がいかに軽やかで解放された時間を過ごしていたかを感じて感動する。いや、誤解しないでほしい。彼女たちが束縛を受けず自由な状況にあったとは思わない。逆に、雪と寒さに閉ざされ、家族関係、社会的地位においても抑圧された状況にあり、家長や長男たちが過ごす囲炉裏端の片隅に自分の居場所を確保し暮らす術として「刺す」という行為があったのではないかと想像する。農作業の為、あるいは家族の為という名分を得てそこに座っていることが許されていたのではないか。そしてその行為の向こう側に誰にも束縛されない自由な世界があったのではないか。


テレビやインターネット、ましてや電気すらない時代、「刺す」という単純な行為の繰り返しによって生み出される幾何学の神秘は、彼女たちの精神を無限の広がりへ繋げ、様々な抑圧から解放していた。そして春になり、最先端の図柄が施された衣服を着て農作業という晴れの舞台に立つイメージに向かいながら、同世代の友人たちと競い合い刺していたのではないか。おそらく上北や三戸あたりで、自由な感性を持ち、奔放に刺していったキーパーソンがいたに違いない。その影響はその周辺の感性豊かな若い女性達に連鎖し、まるでスマートフォンに向き合う女子高生のように「刺す」という行為に没頭していたのではないかと想像すると楽しくなる。


何かを作る行為は重く閉ざされた時間を希望の時間へと変える力を持つ。完成に向かう期待感が時間の質を変化させる。それをわずか数センチの一本の針と糸によって実現するとは!


※「田中忠三郎が伝える精神」2月15日まで詳しくは十和田市現代美術館のホームページにて。 





藤浩志

Fuji,Hiroshi http://geco.jp Mobile:09083987035 e-mail:fujistudio@live.jp

所属:株式会社 藤スタジオ 〒819-1601 福岡県糸島市二丈深江2129-7 phone/fax 092-325-0919

勤務:秋田公立美術大学 大学院複合芸術研究科/美術学部アーツ&ルーツ専攻 〒010-1632 秋田県秋田市新屋大川町12-3
phone:018-838-4927 fax:018-888-8109


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私見創見

10回連続 一回に114字×102行(1428字、400字詰原稿用紙3枚半程度)で


7月原稿

美しさとは何か。

卑屈なヤセ犬の視線の先に


美しさとは何か。その答えは百人百様、様々にある。では僕にとっての美しさとは? その答えを導いてくれたのがボロボロのヤセ犬だった。1987年、青年海外協力隊員としてパプアニューギニアに赴任していた時のこと。その時に書いたメモを引用する。

「病気で毛がちぎれ、ハゲハゲのガリガリで、卑屈なまなざしがやたらと印象的だった。決して人間に媚びることをせず、与えられることをせず、人目を避けるように人間と共生しているその犬達には、先進国諸国で豊かに暮らしている『飼い犬』のような生温かさはなく、かといって自ら獲物を捕らえる野犬のような鋭さもない。単にボロボロのヤセ犬だった。ところがそいつらが、1年に数回だけ村で特別な儀式があるときに、人間達と共に野豚狩りにでかける。人間の仕掛けた落とし穴に獲物の野豚を追い込むのがヤセ犬達の仕事だという。村人達は特別な儀礼のときだけ野豚を食べる。その食べカスがヤセ犬達にとっては唯一のご馳走であるらしい。僕は走る姿すらも想像できないそのヤセ犬達が、野豚を追っかけるなんて無理だろうと思っていた。しかし、僕はそこでものすごいものを見てしまった。そのヤセ犬達が野豚を見つけた瞬間、すごい! 全身にエネルギーが満ち溢れ、変身してしまった。そしてまるで猛獣のように猛然と、すごい勢いで野豚を追い始めた。その姿があまりにもすごくて、僕の体は思わず震えた。脊髄に何かが走った。感動で涙が出るほど『美しい』と思った。」

 何を「美しさ」とし、美術に向き合って活動してゆくのかを模索している時の出会いだった。「なんでもないもの、価値がないとされているもの、社会的に低く見られ、ダメとされている存在や意識。そこにエネルギーを注ぐことで、すごい状態に変化する。」それが美術だと確信した。

 燃えかすの炭、石ころや土くれであっても、雑音や廃棄物であっても、くだらないとされている考え方や存在であっても、そこにこだわりエネルギーを注ぎこむことで、思いもよらぬありえない状態に変化する瞬間がある。その瞬間に立ち会う時に人の心は激しく揺さぶられ、感動する。人は表現活動を重ねることで、自分自身の知らない、思いもよらない世界に足を踏み入れることができる。

 表現する手法についても百人百様、様々にある。色をいじる。形を描く。糸をさす。石を彫る。画像に向きあう。料理を極める。散歩をする。旅をする。歌をうたう。音を奏でる。体を動かす。妄想する。人は生活環境の中で様々な経験をし、多くの表現手法に出会う。実際に自分の行う行為として、行動として体感することでしか、生まれ持った自分自身の性質に気づくことはない。そして様々な手法で表現を重ねた結果、「超える」瞬間に出くわすのだ。

 ヤセ犬に出会い、美しさとは何かがつかめそうになった瞬間、僕はこの可能性を秘めたこのヤセ犬を101匹彫らなければならないと思ってしまった。それは自分自身にヤセ犬の感覚を刻むために必要だと思ったし、単純に彫り続ける作業の時間に没頭したかった。結局、1987年、パプアニューギニアでは5匹のヤセ犬を彫ることしかできず、東京、鹿児島で取り壊しになる家を転々と暮らし、その柱をいただきながらヤセ犬を彫り続け、101匹のヤセ犬が揃ったのが10年目の1996年。彼らは今も下からの卑屈な視線で機会を伺いながら、走り出す瞬間を狙っている。






6月原稿

イメージの種

もやもやは風景をかえる


身に着けている物、持ち歩いている物。家の中の物、道路やまちや田畑、山、川、国土の地形も含めてこの世の中にあるすべての物は、これまで生きてきた人たちの価値観によって作られたものだ。それぞれの時代に最良のものとして多くの専門家が会議を重ね作ってきた。そしてその発生の現場には、計画書や図面等のイメージを作った人がいる。イメージが形になると流通する。屋根の形、作物の植え方、海岸線や山林の土木工事でもなんでも、素晴らしいとされるイメージが発生すると、それは流通し多くの風景に影響を与える。


以前、神戸大学の授業で、景観を形作っているパーツ、建築様式・建築部材・街灯・看板等を取材して巡ったことがある。まちに存在するあらゆる物のイメージソースがそれぞれどの時代に流行したものなのか。そしてそのイメージを立ちあげた人が誰なのかについて学生と論じた。興味深いことに多くのイメージは表現として立ち上がり、それがデザインとして流通し、さらにその様式が模倣され、現在の多くの風景を作っていることがわかる。


エジプト・ローマ・アールヌーボー・アールデコ・ゴシック等の様式、あるいは抽象表現やモノ派、スーパーフラット、萌え系等、様々な表現が生み出したスタイルがデザイン化・商品化され連鎖し、現在の風景のなかに幾重にも組み込まれている。そして風景は刻々と更新される。一世代33年を一つの単位として更新され、三世代百年でほとんどの風景は入れ替わる。逆に、三世代を越えて生き残った商品、風景はそれだけの力があり、その価値は高く評価され、文化財として保存されることもある。


問題はそのイメージがどこから立ち上がったかということだ。それぞれのイメージには立ち上がる前の状態がある。しかしイメージが立ち上がる前の状態を語ることはとても難しい。言葉にも形にもなっていないので表現のしようがない。美術を語る上でこのイメージの前の状態を語ることがとても重要だと気付き、それを「もやもや」と名付けてみた。


違和感、なにかが違うと感じるもやもやは、生活の中で誰もが普通に抱いている。しかし、そのもやもやにこだわり、もやもやを探り、いじろうとする人は少ない。合理性を重んじる経済中心の社会や、常識や規律を重んじる地域社会では、もやもやは無視するように強要され、切り捨てられてきた。イメージをいじり、流通をうみだすところにはお金も動く。しかし、それ以前の意味不明のもやもやをいじりつづけても、イメージ化される前なので流通するはずもなく、お金が動くこともない。



しかし、世の中にはもやもやを無視できない性質の人がいる。普通を装い、社会生活を送りながらも、湧き上がるもやもやに向き合い、社会の常識や周辺の人々との価値観と闘いながら、なんと呼ばれようが気にすることなく、流行や権威とも無関係にひたすらいじり続ける人がいる。


そこに真のアーティストの態度を見る。真の研究者や起業家もそのような性質を持っているのかもしれない。今のあり方に納得せず、新しい状態を探る探究心を持ち、違和感に向き合い、その正体を捉えようと、超えようとする。その先に将来の大きな流通をつくるイメージが発芽する。まさに「もやもや」はイメージの種なのだと思う。そして発芽したばかりの新種のイメージを集めて、これから流通を作ろうとしている人や「もやもや」に向き合っている人々に提供しているのが現代美術館なのだと思う。



私見創見5月藤浩志原稿



遊ぶことが難しい時代。


十和田市現代美術館で開催中の「ジャンプ」-アートにみる遊びの世界-。美術館の通りの向かいのアート広場にある太った家と太った車の作家エルヴィン・ヴルム、消しゴム版画家ナンシー関をはじめ国内外の8組の作家が出品している。

 CDショップのような相川勝の作品、壁に縦5列、横5列25枚のCDが飾られ、その左側には視聴コーナーがある。CDが飾っているだけかと通り過ぎそうになるが、よく見ると袋に入ったCDジャケットの裏表全部、写真・文字・バーコードに至るまで、すべてが模写され筆で描かれたものであることに気づく。歌詞カードやCDの円盤の表面も模写されていて、まさかと思い、そこに接続されているヘッドホンを耳に当てると、本人が楽曲を全部生声で再現している音声が聞こえてきて唖然とした。大人が真剣に遊ぶとこうなるのか。


子育てをするなかで、幼い子どもには「遊び」という概念がないということに気がついたことがある。遊び・勉強・仕事と分けるのは大人の価値観でしかない。子どもはなんでもいじる。遊ぼうとしていじっているわけではなく、そこに何かがあるといじってしまう。クレヨンがあると、紙があろうがなかろうがいじろうとする。そこに紙を与え、描いていいよと規制を加えるのは横にいる大人なのだと思う。そしてその行為を遊びだとか、勉強だとか、勝手に分類し規定するのも横にいる大人なのだろう。


文字をいじる。言葉をいじる。数字をいじる。自然の現象・物語・体の動き・道具・様々な素材をいじる。それら行為には遊びも勉強もない。しかし知らず知らずのうちにある部分は遊びとされ、また別の部分が勉強と分けられてゆく。遊びは楽しいのに、学習や勉強、仕事はつまらない。主体性を持って、自分の感情や感覚に従って行っている行為なのか、あるいは外部(親、上司、先生、常識)からの圧力によってやらされている行為なのかの違いによるのかもしれない。


子どもが遊んでいる状態を、束縛なくいじることが許されている状態だと捉えてみる。許すのは大人や周辺の人だと思う。子どもはフレームの存在を学び、さらにそこに時間が関与していることを学ぶ。「今はそんなことしている時じゃないでしょ!」勉強すると褒められ、勉強や仕事の時間に遊ぶと怒られることを学ぶ。


現代は遊びというものが恐ろしく商品化されている。勉強、仕事の抑圧の裏側に遊びという消費が仕組まれている。遊びは購入するものだ信じている子どももいるのかもしれない。妙な言い方になるが「遊び」から解放されることも大切なのかもしれない。自分自身の感性や感情に向き合い、心許すものをいじって過ごす時間。それに出会うことが大切であり、その時間に抑圧をかけない状況や環境が必要なのだと思う。

前述の展覧会場で、高いところ数カ所に世界各地のミネラルウォーターのボトルが横倒しに展示され、そこからポタポタと水滴が滴り落ちている。その水滴を見事に受け止める位置に奥入瀬渓流ブランドのペットボトルが置かれている。「世界から十和田へ」とタイトルされた作品。「地球上の水分量は一定量で、水は地球上を循環している。蒸発し雨になり降り注ぎ地下に浸透し湧き出る。名水と言われる湧き水が世界各地にあり、人はそれをブランド化し流通させそして…」と出品作家の森田浩彰は語る。水の循環と資本主義の構造に対する違和感。それをいじった作品なのだろう。自覚的に感覚、感情のままに。


私見創見 藤浩志 4月原稿


自分を知り、つくるための表現


自分のことを自分自身が一番わかっていない。自分が日々何を行いどのように過ごしているのか。そのことを外からの視点で客観的に捉え、周りとの関係の中で自分の存在がどうであるのかをしっかり理解してながら暮らしてゆくのは難しい。


 たとえばスポーツ選手のように競技に関わり、勝敗が見える世界にいるのなら、負けることで常に自分の弱点を客観視し、何度もダメ出ししながら挑むことはあたりまえなのかもしれない。基本的な技術を獲得し、最大限に体で表現できたとしても、それだけでは勝ち続けることはできない。様々なプロセスの中で何度も挫折し、自分自身のダメな部分を自覚し、自分の限界を超えようと努力した先にしか到達できない領域がある。


 僕らは勝負で勝つために暮らしているわけではない。しかし自分自身を少しでも高めようとする権利は誰でも持っている。年齢、男女、職業、立場などを問わず、誰もが自分自身の日々の生活を自覚して、少しでも違う地平に行きたいと考え、それを実践することができるはずである。しかし、現実は身の回りの様々な関係に束縛され、自分の常識に固められ動きにくい状況にある。その関係や状況を客観的に捉え、凝り固まった部分をいじり、揺さぶるところから表現するということが始まるような気がする。自分自身の置かれている状況を少しでも変えたいという意識から表現は生まれてくるのではないだろうか。


 書く、描く、撮る、歌う、奏でる、語る、つくる、掃除する、料理する、ダンスする、挨拶する、記録する…等、表現の手段は様々にある。表現することとは自分の外の世界に対して何らかの言葉、あるいは動き、形などを具体的に発することだと思う。一方で、自分の遺伝子の中に潜む性質に深く向き合う行為でもある。一人の人間には二人の両親から、4人の祖父母から、8人の曾祖父母、16人、32人…と永遠に続く先祖達から受け継いだ無数の遺伝子が宿っている。しかもそれらの遺伝子の性質は均等に半分づつ受け継がれているというので、その組み合わせと偏りによって、個性として個人の中に全く異なる性質が存在するから興味深い。


自分の中にある遺伝子の持つ性質が表出するかどうかは暮らしている環境によって変わるのだそうだ。環境によって抑圧されて表出しない場合も多く、阻害されて歪められることもある。逆に環境が性質を活かすこともある。自分がペタペタ体質なのか、サラサラ体質なのか、重ねる系なのか広げる系なのか、表情派か構造派なのか、長い時間ずっと続けていて幸せな行為は何なのかを探り続ける試みは、遺伝子に組み込まれ潜在する性質が解放され発揮される環境を作り出す行為に繋がる。そのことはまさに自分自身のことを客観視し、これまでの自分自身を超えようとする「表現する」行為そのものだと思う。


優秀なアスリートの横には必ずその能力を引き出そうとし、客観的な視点を与え続ける関係者が周りにいる。それは監督だったりコーチだったり先輩だったりするのかもしれない。常に横にいる人の視線が環境を作っていると言える。つまり、誰が横にいるかで表現の質は変化する。逆に捉えるならば、表現の手段、手法によって横にいて視線を投げかけてくれる人が変化する。そしてその人たちの興味や関心によって自分の知らない自分自身が作られてゆく。表現することとはそのようなことだと思う。



私見創見3月原稿


美術とか芸術の大きな勘違い。


美術とか芸術が素晴らしいものだと勘違いしている人が多いのでとても苦労する。芸術作品だから素晴らしいのではない。その逆だ。この世とも思えないぐらい素晴らしい物事だから人は「芸術だ」と呼び、大切にしようとする。とても常人で考えられないものごと、例えばスポーツ選手のありえないプレーも、料理人のこの世のものとは思えない料理も、常識を超えた存在であればどんなジャンルであっても「芸術的だ」と人々は賞賛し、高い対価を払い大切にする。そのあり方は正しい。芸術っぽい形をしているから素晴らしいのではなく、時代に大きな影響を及ぼすほど素晴らしいから、芸術品と位置付けられてきたのだ。たとえそれが額縁に入っていても、台座の上にのっていても、いくら芸術っぽくても、芸術作品とは程遠いものが山ほどあるというのが現実だと思う。


美術館についても勘違いが蔓延している。美術作品が収蔵され展示されているから美術館なのだが、残念ながら感動的な素晴らしいものばかりがあるわけではない。逆に、どんなに素晴らしい物事や活動であっても、美術作品の形式のものでなければ収蔵されていないという残念な現実もある。地域社会にはもっと素晴らしく興味深いものがたくさんあるというのに。


義務教育によって植え付けられた誤解がとても悪い影響を与えていると思っている。地域社会には素晴らしく感動的な物事は無数にある。伝統的祭り、暮らしの知恵、料理法、保存法、あらゆる人の営み、あるいは自然、昆虫、動物、植物などの生態系の循環、数多くの物語や歴史、工芸品や生活民具など様々ある。それらに無数に内在する芸術性を見出す教育を軽視し、翻訳された欧米の絵画や音楽を芸術作品として重点的に紹介し、その作家や会派について教科書を通して擦り込まれた記憶がある。残念ながら僕の感性にはまったく響かなかった。遠い世界の異質なものを「これが芸術なので食べなさい!」と強いられた気がする。その価値を裏付ける為に国立大学では西洋近代美術の研究者が教授となり、その弟子が地方の美術館の学芸員として勤務し、美術館は派閥のサンプルを買い集め、西洋近代美術の系譜をコピーした地元有名作家の寄贈作品で収蔵庫は満杯になってしまっている。


動植物園や水族館、自然史博物館などでは想像を超えた生態系の神秘に触れ感動する。歴史博物館や科学館などでは過去の壮大な物語や未来の人知を思い描き感動する。それと同様に、美術館は常識を超えた人間の行為の痕跡や想像力と出会い、人の心を揺さぶり、感動を引き出し、良質の時間を提供できる場でなければならない。そして、それを一歩進めてみると、まち全体が博物館や美術館になると理想的だと考える。地域全体が様々な素晴らしい自然や生態系、歴史や科学や人の営みに出会う場となり、素晴らしい人に繋がる仕組みが存在すればそれでいい。「アートを活かした地域づくり」の意味は本来そこにある。しかし、このアートの捉え方もまた、芸術の捉え方とまったく同じように勘違いしている人が多すぎる。はっきり言っておきたい。アートっぽいものは必要ない。むしろ勘違いさせ邪魔になる。地域に潜在する「ありえなく素晴らしい活動」を顕在化させ、そこに繋がる仕組みが大切なのだと思う。素晴らしいものごとを一緒に楽しむ人々がちゃんと集まり、ちゃんと対話できる場があらゆる角度で存在すればいい。そんな拠点施設としての美術館であって欲しい。 


2月分原稿

感性を揺さぶる危険な場


ちゃんと感じ、ちゃんと考え、ちゃんと動く。たったそれだけのことが難しいと感じるようになったのはいつからだろう。職場や学校、家庭でさえも、様々な規則や圧力に束縛され、感じることも考えることも自由に動くことすらも出来なくなっているのではないか。子どもたちは友人や教員あるいは親との関係に気遣いながら懸命に空気を読み、親や教員もまた上司や世間の圧力に耐えながら行動せざるを得なくなっているのかもしれない。


人は本来自由に感じ、考え、行動できる権利を持っている。少なくとも地域社会はその自由を奪い束縛するべきではない。むしろその束縛から解放し、個人の感性、思考、行動の自由を育み、保障しなければならない。


頭や体は作れ育てと教育をうけ鍛えられた記憶があるが、自由な感性を育てる教育を受けた記憶があまりない。創造性を培うことが教育の目標と教育基本法に位置付けられているが、創造的な感性を育てる手法は迷走しているように感じて仕方ない。感情、精神、心もまた体や頭と同様に若い頃にちゃんと作り、育たなければならないはずなのに、いったいどのように教えられているのだろう。


ある程度年齢を重ねてくると、体も頭も積極的に使わなければ成長することはなく退化をはじめる。それは感じる力にも言える。若い頃は些細なことに感動しても、年齢を重ね、経験を重ねるごとに、感受性は鈍感になり衰える。だからこそ頭や体同様に、心をどのように使い、動かし、揺さぶるかが重要になると思う。喜怒哀楽の感情を経験し、大きな感動をし、それを自覚することが大切だと思う。


子どもであれ、大人であれ、自分の感情を客観的に捉え、自覚する日常のトレーニングが重要なのではないかと考えている。気持ちが後ろ向きに消極的になっていることを自覚する。それを感じた上で逆に積極的になり前に押し出そうとしてみる。あるいは気持ちが持ち上っていることを感じたのち、また逆に落ちてゆく感覚を自覚する。また意図的に心を開こうと試み、その逆にとことん閉じている状態を自覚する。そのような心の動きを自覚することが大切なのではないかと考えている。


しかし、今の家庭、学校、地域社会はどうだろうか。あたかも開くこと、 前に出ること、上に上げることだけがいいことのように教え、後ろ向きになったり、下がったり、あるいは閉じたりする心の動きに対してあたかも悪いことのように制御が働く。怒り、悲しみ、悔しさ、恨みや憎悪の裏側に深い喜びの感情があることを知っていても、それが社会に発生するを叩かれてしまう。


転倒や怪我をしないプロのスポーツ選手がいないように、人間の成長に挫折や失望は欠かせない。しかし、どうだろうか。安心、安全、保証、リスク回避の蔓延する地域社会で事故や失敗は抑圧され制御されている。


少なくとも、美術館やホールなどの公共文化施設は地域社会の創造性を育む装置として存在する。とすれば、地域に暮らす人々の感性、心の有り様、様々な感情の状態にしっかり寄り添い、共に感じ、時には苦しみ、悲しみ、怒り、恨み、閉ざし、あるいは開き、喜び・・・心を動かすことに関わる、危険な場でなければならないのではないか。そのように感じている。



1月分

わずか数センチの針一本で。


特にやることもなく退屈で空虚な時間を過ごしたことがあるだろうか? あるいは強い圧力に束縛され逃れる場所もなく、ひたすら耐えながら時が過ぎ去ることを願ったことは? そのような重く閉ざされた時間はとても長くつらい。その先にわずかでも解放に向かう兆しが見えれば、ゆるやかに時間の質は変化する。何かに向かう期待感が現れた途端、時間は軽やかに加速する。


現代社会のいたるところに重く閉ざされた時間は存在する。学校や職場、友人関係や家族関係、地域社会の中にも多くの圧力は存在する。その質は随分違うのだろうが、過去にも様々な抑圧はあった。


現在、十和田市現代美術館で展示している作品に向き合い、制作者の体験している時間の質に思いをめぐらしてしまう。展示されている作品とは、江戸時代後期から明治大正にかけて青森の一般の女性によって作られた作業着や日常着、晴れ着など数々の衣服。布そのものが貴重だった時代に作られ、使われ、幾度も手を入れ補修され、代々引き継がれたものであったが、大量消費社会の荒波の中で、それぞれの家の物置から廃棄されつつあった。それを収集したのが1933年下北生まれの田中忠三郎で、彼の数万点に及ぶコレクションの中から国指定の重要有形民俗文化財に指定されている100点ほどの衣服を展示している。


特に「たっつけ」と呼ばれるスリムジーンズのような自分仕様の作業着が素晴らしい。細くなった裾から股下にかけて、ありえないぐらいに緻密に細かい幾何学模様を、たった一本の針で深い藍色と生成りの糸を使い分けて全面に描き、遠目に見るとスタイリッシュなストライプ模様に仕上げている。刺し子の糸をたどりその図柄に入り込んでみると、当時の女性がいかに軽やかで解放された時間を過ごしていたかを感じて感動する。いや、誤解しないでほしい。彼女たちが束縛を受けず自由な状況にあったとは思わない。逆に、雪と寒さに閉ざされ、家族関係、社会的地位においても抑圧された状況にあり、家長や長男たちが過ごす囲炉裏端の片隅に自分の居場所を確保し暮らす術として「刺す」という行為があったのではないかと想像する。農作業の為、あるいは家族の為という名分を得てそこに座っていることが許されていたのではないか。そしてその行為の向こう側に誰にも束縛されない自由な世界があったのではないか。


テレビやインターネット、ましてや電気すらない時代、「刺す」という単純な行為の繰り返しによって生み出される幾何学の神秘は、彼女たちの精神を無限の広がりへ繋げ、様々な抑圧から解放していた。そして春になり、最先端の図柄が施された衣服を着て農作業という晴れの舞台に立つイメージに向かいながら、同世代の友人たちと競い合い刺していたのではないか。おそらく上北や三戸あたりで、自由な感性を持ち、奔放に刺していったキーパーソンがいたに違いない。その影響はその周辺の感性豊かな若い女性達に連鎖し、まるでスマートフォンに向き合う女子高生のように「刺す」という行為に没頭していたのではないかと想像すると楽しくなる。


何かを作る行為は重く閉ざされた時間を希望の時間へと変える力を持つ。完成に向かう期待感が時間の質を変化させる。それをわずか数センチの一本の針と糸によって実現するとは!


※「田中忠三郎が伝える精神」2月15日まで詳しくは十和田市現代美術館のホームページにて。 


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以下、書き始める前の構想のメモ


○地域社会を舞台とした表現活動を通じて、アートと地域の関係の私見創見。


こういうのを書こうとするとき、ついつい力が入ってしまう。10回連続 冷静にこれまでの考えていたことをまとめてみたい。地域にとってアートは必要か。アートとは何か。地域になにが大切なのか。美術館などのやくわりは。クリエイションとは何か。なぜ違和感があるのか。違和感だらけのこの世の中。何が違うのか。どうすればいい社会になるのか。



1.表現する事とは何か

自分自身を客観視することは難しい。絵をかいたり、ダンスしたり、演奏したりすることが表現ではない。 表現することとは具現化すること。言葉にすること。形にすること。であると同時にさらに自分を超えようとする行為。 わかっていることを形にするのではなく、まだわからない部分に対して0,001のプラスに踏み込む行為。

自分自身が何ものであるかを客観視したうえで、自分自身を超えようとする行為。自分を変えれるための行為


言葉にボキャブラリーがあるように、手の動きとか、体の動き、あるいは日常の行動にもぼやぶらりーがある。そのボキャブラリーを増やし、自由に動けるようになる必要がある。


2.身体的行為として何をし続けている状態が気持ちいいか。

動き続ける。あるいはとどまり続ける。開く。閉じる。上げる。下げる。手を動かす。足を動かす。脳を使う。考える。体全体を使う。バランスを使う。叩く。くばる。打つ。切る。刻む。投げる。縫う。座る。編む。刺す。塗る。色をいじる。形をいじる。声を出す。音程を出す。音階を出す。震える。ゆっくりと動く。はねる。飛ぶ。潜る。泳ぐ。耐える。指を動かす。息を吹く。回る。配る。立つ。動かない。動く。あるく。走る。跳ねる。ける。打つ。



3.イメージはどこからくるのか。もともと無限の数の遺伝子を受け継ぎ、さまざまな性質を持って生まれている。その性質は父母から均等に受け継がれたものであるが、その性質が抑圧されているか、あるいは解放されているかはその環境によるものが多い。


現在の地域社会の風景を作っている多くのものに対する違和感、人間関係や商品、言葉や思考方法、行動範囲や行動パターンなど、すべての日常への違和感はもともと持っている性質からくるもの、そして生きてきた環境によるものが多い。


その違和感やズレ、この社会にあるすべての風景はだれかがイメージをたちあげ作られたものである。言葉にならないもやもやが新しいイメージを生む種となる。

違和感とズレ。



4.作品に絶対的な価値などない。常に相対的な関係において価値がつくられる。状況によっても価値は変わる。時代の流れによっても価値は変わるそして、最も注目すべきこととして「だれと」の関係で価値が変わる。つまり、関係をつくることが、あるいは関係の在り方が物事の価値の在り方にい影響を与える。関係をつくることが存在をつくることにもなる。津波で流された女性の一言。生きている気がしない。存在しているお気がしないという言葉。関係をつくることが価値をつくることに繋がる。存在することは関係をつくること。関係の中において価値は作られる。


5.様々なアプリケーションが起動するためのOSという概念。

ソフトとハードの時代は終わった。OSの時代

システムとフォーマット 地域 アートプロジェクトというフォーマット、公募展の時代 会員の時代。ギャラリーの時代 場の力といわれた時代。システム、ネットワークの時代。そして社会的課題に対しての時代。それぞれフォーマットが開発されてきた。


6.水、土、風、光地域における役割と人の性質

7.抑圧された種たちを解放に向かうために行うこと

8.活性化ということばに騙されるな。

9.美術館とか公共文化施設の役割の拡大解釈について

10.アートの本質とは何か。幸せな期待の時間をつくる。

11.生物的遺伝子と社会的遺伝子つまり環境。

12.イメージする力と動き出す力。それを持つ地域社会。

13.頭を育てるには頭を使わなければならない。体を鍛えるためにも体を動かし、体を使い、体を育てる。と同時にこころを育てるにもこころを動かし、心を使い、こころを鍛え、育てる必要がある。心には振れ幅が必要だ。心のありようを客観視し、それをちゃんと自覚する必要がある。心の運動のようなものだ。心を前に出す。あるいは後ろ向きにする。上にあげるハイテンションになる。そのぎゃくに下げる。落ち込む。あるいは開くとことん開く。そしてまた閉じる。籠る。そのすべてが必要なのだと思う。

14.

15.横にいる人のささやき。いいね。とうまいね。すごいね、の違い。



by fuji-studio | 2015-01-10 21:10 | ・思索雑感/ImageTrash


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