10年前の自分からの手紙
海外を拠点に活動を続けている建築出身のアーティスト、増山士郎さんから依頼を受けて、確かに、10年後の自分に宛てた手紙を書いたことがある。 当たり前の話だが、そんなことまったく忘れていた。

突然おくられてきてきた10年前の自分からの手紙。 もっと、感動的かと思っていたが、以外とそんなことはない。見慣れた嫌いな文字、一方的でなげやりな文章、内容などもなんだかイライラさせる内容。まあ、こんなものかと放置されていた。

現在の増山さんに送り返したほうがよさそうなアンケートのようなものがあったので記入しなきゃと机の未整理の書類の山の中からまた取り出して、なんとなく目につくとろろにおいていたが、もらって一ヶ月、なんとなく、その存在が主張してくる。

もう一度ちゃんと中身をみながら、手紙の内容に対して、自分という相手に答えてみはじめるとなんだかとてもじわーっときはじめる。

自分が変わったという実感はないし、変われていない自分への苛立ちもある。しかし自分の周辺の状況は随分と変化してきた。ちょうど、今宮城県のえずこホールの20周年記念事業を組み立てているが、10年前、同じホールの10周年事業を行っていた時期。急性膵炎で倒れる前でまだまだ、内臓のアルコール漬を夜な夜な作っていた頃。facebookもTwitterもLineもスマートフォンもなく、ブログが全盛。このころ中毒的ともいえるほと、かなり書き込んでいる。

そのころ住んでいた自宅はその後2回引っ越しているが、僕は単身赴任になり、その当時からすると、8回引っ越している。東日本大震災が発生し、原発が日本各地を放射能汚染をはじめ、日本はそれを止められないどころか、それを覆い隠す為の崩壊のシナリオへと動き始めているようにも見える。

僕の家庭や、スタジオでも増え続ける廃棄物のための倉庫だけが増え続けているが、日本国内、あるいは世界全体で核廃棄物も含め、廃棄物汚染が蔓延しつつある。

僕らが行ってきた表現活動は何の連鎖も生み出すことはないのだろうか。しんどいなぁ。
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by fuji-studio | 2016-06-28 10:46 | ・思索雑感/ImageTrash


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