シンガポール国立博物館での展示
2016年 06月 08日
まあ、仕方ない。
自分のてから離れる瞬間、つまり「リリース」する瞬間の感覚、そのときはまだ何も見えない。
それに関与してしまう。そっと育ててきた子どもたちをあるときじわーっと自立に向かわせる感覚にも似ている。
作品のあり方はその制作者の意図で様々にある。80年代、作品は排泄物だと信じ、制作している先輩たちがいて、大きな違和感を抱いていた。排泄物だと信じ、日々の生活の中で排泄し続けるそのような関係性は否定したかった。
いつでもそのような答えのないところにいるような気がする。どのようなあり方がいいかはわからないが、そんな感覚をは無関係に制作し、いったんとを離れたものはそれぞれそれなりに動き始めるものだ。
とにかく、数ヶ月、シンガポールで頑張って健康で帰国してほしい。そもそも、背骨に持病があり、そろそろ入院して大手術をしなければならない頃だった。長旅させてごめんなさい。