福岡で住宅とアートに関する公開セミナー
a0010575_7462626.jpg福岡のアイランドシティのまちづくりに関する勉強会の流れで「住宅開発とアートプロジェクト」に関する公開セミナーがある。「南芦屋浜コミュニティ&アートプロジェクト」をプロデュースした橋本敏子さんをお招きして、九州大学の森田昌嗣さんをナビゲーターとした公開セミナー。
福岡市役所の15階の会議室というなんとも硬い雰囲気。
a0010575_16451048.jpg橋本さんの話は、言葉の選び方に多少の違いがあるが、僕の考え方とほとんどのところでシンクロしている。ある概念を表現するのに言葉を使うが、その言葉の使い方が難しい。言葉の使い方をのぞいてはほとんどまったく共感できることばかり。やはり現場からでてくる認識は近いのだろうね。橋本さんが話した南芦屋浜の段々畑についてはこちらこちらのサイトを参考にしてもらうとして、橋本さんがあげていたキーワード、暴力性、不在性、余地性という感覚は非常によくわかる。

一見ネガティブに見えるような概念であるが、地域の中にその表現に対する主体性を作り出す為にとても大切であることに共感する。暴力性は僕の言葉ではインパクトや強度であると同時に深いところで地域の抱える問題を深いところで暴き示唆する力でもあり、それがゆるやかであるにせよ、激しさを伴うにせよ、地域社会の価値観をゆさぶる力のことを言っているように思える。つまりなんでもないものはなんでもないわけね。
a0010575_7521350.jpg不在性とは行政の不在のようなことを話されていたが、僕は主体を誘導する為に必要なことなのだと思う。もしくはここにOS的発想が関係してくるんだろうな・・・と。 魅力的なシステムを構築することにより、多種多彩なアプリケーションが発生し、使う側の自由な表現が可能なるのかな・・・っと。

ところで写真はアイランドシティで開催されている花どんたくの中にあった巨大でプロポーションの悪いクロツラへラサギのおばけ人形の正面からのビュー。 「なんであんなものをつくるのだろう・・・?」 花どんたくの会場にはそのような疑問を刺激するへんなもの、プロポーションのわるいもの仕上げの悪いものであふれている。それを探して見てゆくと結構たのしい。
a0010575_21341131.jpg余地性というのは縁側、のりしろ、関わりしろのような感覚。もしくは未完成状態のデザインやプロセスデザインのような感覚も含む。っていうか、そもそも変化し続ける街に完成という状態があるのがおかしい。余地、余白であふれている生活空間を感覚は求めているのだとおもう。余白があると、何か描きたくなったりいじりたくなりませんか・・・?

ところで、話はまったく関係ないが・・・(ちょっとカタイ会話なので休憩がてら) 写真はわが家の自宅のリビングの一部の部屋の照明の写真。橋本さんが話題とした南芦屋浜の段々畑を仕掛けたアーティストが田甫律子。彼女は1999年に福岡アジアトリエンナーレの日本代表の出品作家で福岡に頻繁に来てた時期がある。その出品作品の一部に使用されていた(展示室の上空に浮かぶ風船のように使用されていた)卵状の球体のオブジェが展示終了後行き場を失って廃棄処分にされそうになっていたのでありがたくいただいた。それがわが家のリビングの照明になっているなんて田甫さんもアジア美術館の学芸員も知らないんだろうな・・・と思いちょっと紹介。

橋本さんのプレゼンテーションも面白かったが森田さんのプレゼンテーションも面白かった。これまで数回福岡市の審議会などで一緒になったり、南方に飛び立つ国際線のロビーで一緒になったりしたが森田さんの仕事を見るのははじめて。なるほど面白い。実は逆の立場であったらいろいろ突っ込んでみたかったネタが多かった。森田さんの仕掛けた種は日本の風景をかなり変えているなー。また長くなりそうなのでこのへんで。
by fuji-studio | 2005-09-12 23:29 | ■福岡での活動


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