このブログを研究のネタに使うんだって。
2015年 02月 09日
美術大学に入学しクロッキー帳を持ち歩くようになり、持て余す時間で落書きをはじめ、いろいろ描き始めた。その頃は色鉛筆とか万年筆とかボールペンとかポイントペンだとか、いろいろな素材をいじる事が面白く、その支持体としてクロッキー帳だったと思う。描かれたものは単なる落書きだったり、身の回りの風景のスケッチだったりして、文章はほとんどなかった。しかし、ある時特別なノートに出会い、日々そのノートに向き合うようになり、はじめて文章を書くようになった。
ノートに向き合う時間は自分に向き合う時間であり、目の前の風景と出来事と自分自身を繋ぐメディアだった。どこに行くにもそのノートと万年筆を持ち歩くようになり、自分自身と向き合う時間を重ねてきた。誰にも見せることのないノートだったので文章もめちゃくちゃ。校正などしたことない。そんな時間を20年ぐらい重ねていたと思う。
自分の掲示板をネット上につくり書き込みはじめたのは2000年の1月。ちょうど精神的に辛い時期だったので、人に言えない自分の不満を吐き出し書き連ねる日々を過ごしたが、そのサイトを数ヶ月公開しなかった記憶がある。公開することに決めた瞬間、その書き込みをすべて消去した。
ノートに綴る言葉は閉鎖的なものだったので、自分自身の内部と向き合う時間だったが、掲示板サイトは開かれている。自分の考えを周辺の人に投げかけることで、サイトの中に新しい架空の自分が発生する感覚に興味を持ったのかもしれない。学習の記録の経験のように。
それまで日常なにを行っているか把握しづらかった自分自身の日々の記録を分類し、タグ付けし、整理し始め、自分自身を客観視するツールとして使えるのではないかと期待しつつ・・・いじりはじめた。それが2004年4月。
ブログ以前は藤浩志がいったいなにをして、どのように考えているのかを伝えるのがとても大変だった。それぞれの現場で担当者の経験や思惑はまったく違うので、一人一人に向きあって考えをぶつけてきた。ブログサイトを公開するようになり、それぞれの現場の担当者に見てもらい、書き込んでもらったりするうちに、いろいろな現場の担当者同士が共感しあったり、繋がりはじめた。ブログを通して現場の違和感や疑問を投げかけたりするようになり、活動が加速した。
藤浩志企画制作室という藤浩志を企画し、制作する個人事務所の立場で働いている時期だったので、日常の業務を報告する上司のかわりにこのブログがあったと捉えることもできる。全国各地にいる仕事のパートナーに向けての報告だったとも言えるし、未来の自分自身への報告だったのかもしれない。
しかし記事を重ねるうちに記事のための活動をしかねないような状況になったり、ブログサイトに個人が縛られるという感覚も味わった時期もある。サイトの中に立ち上がる藤浩志という別のキャラクターづくりにはまりそうになり、それを避けるために裏切ってみたり、なだめてみたり、離れてみたり・・・試行錯誤するうちにSNSが発達し、そちらの利用とブログのバランスを考えてみたりするうちに・・・ブログから離れてしまった。
正直な話をすると・・・、個人事務所の代表という立場であればなんでもかけたことが、公立美術館に勤めるよになって日常のことが書けなくなったのだ。仕事上書けないことが多すぎる。どこに行き、誰と会い、何を話したのか。本音はどう思っているのか・・・立場というのは恐ろしい。
で、このブログのカテゴリー「思考雑感/Image Trash 」はそもそも、それぞれのプロジェクトの報告のカテゴリーに収まらない、個人的な違和感のようなものを、吐き出し投げかけるところとして分類し始めた。このころ吐き出した考え方や試行錯誤が様々な現場でアートに関わる人たちの共通の言葉として定着しているものもあり、今回東京都の文化発信事業プロジェクト推進室が研究対象にするのだとか。・・・という理由でこの文章をかかされている立場にある。
立場がないと書けなくなってきたのかな・・・ああ、固まってきた。
自分自身に向き合うノートとペンはまだ模索中で心を許すものに巡り合えておらず、自分を作り上げるブログサイトにも向き合うことができなくなり、・・・流れるタイムラインに公開できそうな害のない写真と報告だけを繰り返すように堕落してきた今日この頃・・・このままではダメじゃないか!
・・・って、こんなかんじでいいですか?
※写真は最近使っているノートと万年筆