先日に続き、再び十和田市から弘前市を目指す。
先日は八甲田を越えて黒石経由で弘前に入ったが、今日は濃霧注意報とかで、三沢空港の飛行機が全便欠航しているぐらい・・・
山越えを断念し、みちのく有料道路経由の青森から高速道路で弘前に向かうことにする。
濃霧をさけたはずが・・・みちのく道路もやはり濃霧。霧の中ゆっくり走りながら青森をめざし、峠のトンネルを抜けた瞬間…
ウソみたいに濃霧はなくなり、おだやかな晴天…
とにかく今日の天気だが、同じ日とは思えないぐらい変化が大きい。
津軽地域はかなり古くから農耕文化があったのでとても裕福だったとの話もよく聞くが、逆に南部地域はコメが育たない地域だったのでとても貧しかったという話しか聞かない。
八戸とかはまた漁業があったので、それなりに産業があったのだろうが、十和田のあたりは本当に貧しかった…という話。
しかし、もちろん馬も育ったし、ほかの作物も育ったのだと思う。しかし、貨幣経済が流通する以前はお米がほとんど貨幣に代わる豊かさの指標をあらわすツールだったのだと思う。
とにかく弘前は田んぼに囲まれた城下町ということで、十和田とは全く違ういろいろな文化が育った地域だという話は聞いていた。
その中で特に江戸時代中期の100年ほどの間に急成長したのが津軽こぎん刺しという技法だったのだと思う。
弘前藩が手工芸を産業にしようと仕掛けたという話も聞こえる。
その環境をみても南部地域のなんぶ菱ざしとは様子が全く違う。
津軽のこぎん刺しが紹介されたの古い映像を持っているというので
津軽こぎん研究所を訪ねてみる。
この研究所、建築物がとても渋い。
なんと前川國男のデビュー作の建築物なのだとか。
知らなかった。
福岡市美術館や、山梨県立美術館など個人的に展覧会でお世話になった美術館をはじめ、僕が美術に関わり始めた当時の日本の美術館様式に大きな影響を与えた建築家なのだと思う。
その最初の作品が今でも美しく存在している。
弘前には様々な時代の建造物が襞となって存在していてうらやましい。
研究所で古い映像をみせてもらい、所長の成田さんの話を聞いたのち、研究所の2階にある前川國男の弘前での仕事を紹介する展示室をみせてもらう。
わずかな時間だったが、それでも興味深いところにたくさん出会う。
いろいろな面白いツアーとかやってるんだろうなぁ。
うらやましい。
まちの一角に市場のある路地があり、そこに引き込まれ奥まで行くとねぷたの福助が・・・
おばあちゃんの笑顔にあたり、ついついイカのテンプラとか紅ショウガ入りのもち米のお稲荷さんとか夕食の買い物をしてしまう。
こんなところがある近くに住めるってとても贅沢だよなぁ…と考えてみると…
僕が暮らしていた鹿児島の家のすぐ裏にも、同じような市場があった。
さらに徒歩15分圏内に同じような薄暗い市場が5か所ぐらいはあった気がする。
記憶がよみがえってきた。
ほとんどなくなってしまった…ということなんだな。
しかしよく活きているなぁ。
うらやましい。