ステーションという場
a0010575_2251161.jpg先日岐阜からの乗換えで久しぶりに京都駅に降りる。いろいろ物議をかもし出した京都駅だがこれができてもう何年になるのかな? 僕が学生時代過ごしたころの京都駅はいつでも工事中。つぎはぎだらけのフェンスと通路でプレハブの駅だった。地下鉄の工事が始まる前ぐらいからおそらく30年近くはずーっとつぎはぎの京都駅だったように思う。その新築に向けて建築家の指名コンペが開催されたころ、かなり話題になり、僕自身も注目していた。京都の玄関がどのようなものになるのか・・・・個人的にはあのデザインが選ばれたことに裏切られた気がしていたが、完成してはじめて京都駅に降り立った時、感情としては批判しながらも内部空間のスケールの大きさに感動したのを覚えている。たまに乗り換え等でスキマの時間があるとエスカレーターを乗り継ぎ屋上まで上り、京都の街並みを臨み学生時代の思い出にふける。

a0010575_2255540.jpgこの日も30分ほどの乗り継ぎのスキマに駅の改札を出て屋上に向かおうとした。そこで眼にしたものは、もりあがる集団・・・京都のサッカーチームのサポーターのイベントで駅前の巨大な空間の大きな階段はなんだかすごく、すごく、すごく盛り上がっていた。なるほど。こういう使い方がされてたんだ。京都にそのサッカーチームがあることを示すデモンストレーション。予測しなかった京都の別のエネルギーにどきどきした。駅はまさにステーション、ステーションは拠点であり、様々な価値観が交差する施設であり。だれもが経由するゲートでもある。そこをキーとするネットワークの象徴的な場となりうる。
ステーションの機能はギャラリーやミュージアム的でなければならないし、ライブ会場やコンサート会場、劇場でなければならない。インフォメーションでなければならないし、ステーションとリンクする様々な地域の様子をブラウズできるトップページでなければならない。そして様々なものが俯瞰できなきゃいけない。様々な活動が展開でき、街中への導線を導く魅力的な空間である必要がある。人が溜まり、流れ、集い、別れ、様々な物語が展開する舞台としてふさわしい空間であるべきだと思う。
a0010575_22334624.jpg先日新聞に福岡の博多駅が作り変えられるという記事が出ていてぞっとした。もちろんこれは説明のための断面図でしかないのだろうが、人々のそのような行動がどのようにデザインされるのかとても気になる。博多駅に降り立つとしっかりと福岡が見えるのか。アジアが俯瞰できるのか。ホークスのサポーター達が優勝の瞬間を共有する場は確保されているのか。だれもが感動する劇場としての空間はどのように組み込まれるのか?九州各地、アジア各地へしっかりリンクされているのか、そこから魅力的な導線がデザインされているのか?福岡に帰ってきたときに「ああー、帰ってきたんだ」と誇りに思える場となるのだろうか?いまだにデザインコンペの話も聞こえてこないし企画のコンペも聞こえてこない。いったいどうなってるんだろう。いろんなアイデアや意見を持つ周辺住民や利用者がステーションづくりについて考え、話し合い、研究し、意見を交わし、かたちづくる最も楽しいプロセスに関わる仕組みがどのようにつくられてゆくのだろうか?福岡の力が問われ、2世代先まで影響を与える重要な現場なのだが・・・実は僕が知らないだけで福岡の市民はみなこの話題で盛り上がっているとか?
by fuji-studio | 2005-03-01 22:36 | ・思索雑感/ImageTrash


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