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コンピューターを使い始めた世代だからかなぁ…(再考…というわけでもないが…)

僕が普通に仕事にコンピューターを使い始めたのが1988年。マッキントッシュのIIFxというグラフィック系の仕事でつかえるマシンが会社に導入され…でもまだCADはコマンド入力でAutoCadを使っていたし、ワープロは専用のワープロマシンがあった時代。



おそらく、88年ぐらいから急激にデザイン事務所ではMacを導入しはじめていたが通信ネットワークはまだこれからというかんじで、当時名刺にe-mail アドレスを入れてみたが、ほとんどの人が「何それ?」という感じで無視された記憶がある。

僕自身コンピューターの知識があるわけではなく、仕事でとにかく使わなければならないという事情から、使い始めた訳だが、いろいろな考え方が新鮮で、当時の、あるいはその後の僕自身の考え方に大きな影響を与えてしまった。

そのひとつがOSというありかた
いろいろなアプリケーションを起動させるための基本システム。オペレーションシステム。

ちょうど当時まちづくりとか地域計画のコンサルタント等を行う、都市計画事務所に勤めていて、地域に主体的な活動を作るデザインのようなことを考えていた頃、このOSという概念がぴったりときた。 

コンピューターを使い始めた世代だからかなぁ…(再考…というわけでもないが…)_a0010575_22401584.jpg当時行政はハードとソフトという言い方をしていて、いわゆる箱モノ行政といわれるハード整備事業に対する批判が出てきて、世間ではソフト事業だと言い出して行政がイベントなどのプログラムに着手し始め、「いや、そうじゃないでしょ。OSを作らなければならないのであって、アプリケーション作っちゃいけないでしょ!ソフト事業は民間がいろいろ提案できるような基本システムを作らなけばならないのに…」と独り言のような突っ込みをいれていたが、当時はささやきにもならなかったし、ほぼ無視された。

それを美術の業界に持ち込んで、OS的なという言い方をしていたが…モノやコトをつくるだけではなくて、シクミを作ることで空間が成立するということに対して興味を持ち始め、その具体的な例をつくろうとしていた時期もある。その感覚や概念はOSが発明された以前にはなかった概念だと思っていたので、とにかく新鮮だった。

コンピューターを使い始めた世代だからかなぁ…(再考…というわけでもないが…)_a0010575_22401124.png地域でのアートプロジェクトはまさに地域の多種多様多層なプログラムを起動するためのOS的なものだと考えるとわかりやすいと思う。決して汎用性のあるOSではなく、地域独自のOSだと思うが、重要な点は更新されてゆくというところにある。コンピューターのOSの寿命はせいぜい5年ぐらいだと思うが、地域のアートプロジェクトのOSも更新してゆかなければならない質のものだと思っていた方がいい。

そして、レイヤー(層)という概念。

CADを使い始めたときに出会ったこの概念には相当助けられている。 地域を考えるとき、いや、物事全般のあり方を考えるとき、このレイヤーの感覚を持っているのとそうでないのでは相当変わってくる。

先にちらりと言葉でつかってみたが、まさに多種、多様、そして多層な視点でとらえ、それに時間軸を加える感覚が必要なのだと思う。

先日書いた拠点と仕組みの話でも、平面的な感覚で考えていたら、それが見せるための拠点なのか、つくるための拠点なのかと二者択一の話になりがちだが、実は多層な視点を持ち込むことでそれは同居できることになる。 つくる施設なのか、見せる施設なのかは平面上のどちらがいいのかという問題ではなく、層の全く違う問題なので、それぞれの層を考える必要があると捉えることができる。

そしてアンカーポイント

アンカーポイントはイラストレータというアプリケーションを使い始めた1989年に出会った概念。イラストレータというソフトを使ったことのある人なら知っていると思うが、いわゆる曲線を描くときに曲線の変わり目となるところを指定するポイントのことで、画面上にアンカーポイントを打ち、そこに次のポイントへのベクトルを指定することで、曲線を描く。

コンピューターを使い始めた世代だからかなぁ…(再考…というわけでもないが…)_a0010575_22411491.jpgそれまでは曲線を描くときは座標上で連続する点を集合させることで曲線に見えるようにつくるデータであったのに対し、このアンカーポイントによる曲線(ベジェ曲線というらしい)は曲線の曲がりどころにポイントを打ち、次に向かうベクトルの属性を与えることで曲線を描くという画期的な考え方だった。コンピューターのシステムのことなんかさっぱりわからなかったが、とにかくこの曲線の描き方には感動した。

当時「アンカーポイントの旅」という詩のような文章を書き、1992年の大阪での展覧会には空間一部屋使ってそのタイトルのインスタレーション作品を展示したほどの入れ込みよう…

一番何に感動したのかというと、…アンカーポイントで描く曲線を…自分の活動の紆余曲折に例えるわけだが…、現在打つアンカーポイントのベクトルの方向と強さによって、過去からここまで来ている曲線の表情が変わるという点だった。ひとつ前に打たれたアンカーポイントには座標とベクトルが与えられているわけだが、座標は変わらないのだけれども、曲線の表情は変わる。

つまり、このアンカーポイントの打ち方次第で過去の意味が変わるという点に気付き感動した。

人は生まれてから死ぬまで、時間軸をひたすら進むとすれば、後戻りできない一本の曲線を描いているようだと感じ、何かどこかの場所で何らかの表現をするということはアンカーポイントを打ち、次のベクトルを表明することなんじゃないかと思った。強い意志のときは強いベクトルだし、自信のないときは弱いベクトル…しかし、ポイントを打たなければならない節目がその時々にあり、それをどこに打つかでどのような曲線が描けるかが変わる。似たような場所に弱いポイントをたくさん打つような時もあれば、突然とんでもないところに全く違う方向性と強い意志でありえないポイントを打つことだってできる。



次に打つポイントの座標とベクトルで将来の曲線が変わってゆくということはイメージしやすいが、実は次に打つポイントの座標とベクトルで過去、つまりひとつ前に打った座標からの曲線の表情が変わるという現象は、過去は変えれないことが当たり前だと思っていた考えを覆し新鮮だった。

過去の活動の事実は変わらないとしても、その意味変わる・・・過去に行った行動の意味は現在に行っている行動によって変わる…という事実を教えてくれた。

このアンカーポイントを打つという感覚はプレゼンテーションの作り方にも活かされている。僕はアンカーポイントの終着点を設定しないやり方…つまり目標とか到達点とかいわゆる「こうありたい」とかのビジョンのようなものをなるべくつくらず、活動の連鎖を重視しているので、最終的なイメージを求められることの多いプレゼンテーションでは説得力を失うことが多い。それに対して…おそらくこれは僕のオリジナルのプレゼンテーションの作り方だと思うが…過去と現在までの状況を説明したうえで、次のポイントの座標とベクトルを明確に、しかも説得力だけを盛り込んでつくることにしている。・・・とはいえ、最近はプレゼンテーション資料すら作ったことがないが…。

とにかく、OS,レイヤー、アンカーポイント…ずべて89年ごろ心に響き、影響をうけ、その後もずっとある意味更新されていない概念。

しかし、当時は通じなくて苦労した感覚だが、さすがにそれから四半世紀が過ぎて、これらの感覚が当たり前の世代が地域での活動を動かしている。そのあたりの感覚が前提になっているのはうれしい。

でも、そろそろ更新したほうがいいのかなぁ…。 今の30歳ぐらいの人は何に影響を受けて活動しているのかな…

なんだか最近、古い話ばかりですみません。

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