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地域活動での土、風、光、水の性質について(再考2)

数年前、とある地域でのシンポジウム会場で「土の人」と「風の人」の話題になり、違和感を持ちながら聞いたことがある。いろいろな地域で活動を行おうとすると、外から来る人に対して「どうせすぐいなくなるのだから何も期待していない」と拒絶する態度と出会うこともある。その会場では地元の人を「土の人」と呼び、外から来たアーティストを「風の人」と呼んでいたのだけれど…。確かにそういう面もあるが、そう単純なものでもないと思う…。

土・風・光・水・4種類の性質

地域活動での土、風、光、水の性質について(再考2)_a0010575_8384010.jpg人にはいろいろな性質(たち)がある。何か面白い種を見つけると、自分で所有して育てたがる性質。何かに使えるんじゃないかと思い様々なところに運び何かに役立てようとする性質。その素晴らしさを広く多くの人に伝えたがる性質。自分の楽しみとしてその存在そのものを面白がる性質。人はそれぞれ複雑にいろいろな性格を持っているので、単純に分類はできない。しかし、それぞれ接し方に性質の違いがあり、自分自身がどういう性質なのかについてはその複合度合も含めて自覚してもいいような気がしている。

それを仮に種が発芽し成長するために必要な4つの要素に例えてみる。

土の性質 自分のフィールドで育てたがる
風の性質 いろいろなところに運びたがる
光の性質 いろいろな人に紹介したがる
水の性質 とにかく興味関心を注ぎ面白がる

地元で地域のことを憂い考え、何かしなければならないと考えている人の多くは土の性質が色濃くあると思う。しかし地域の歴史も含めた様々な地域遺産に光をあて、地道に研究、発表している光の性質の人も地域には数多くいる。

地域の内側からは見えにくいかもしれないけれど、地域の特性や面白いものをちゃんとほかの地域で語り広げようと外で活動している風の存在も忘れてはならない。そして最も注目したいのはいろいろな興味深い活動に必ず登場し楽しんでくれる水の存在だと考えている。

土の豊醸化

地域活動での土、風、光、水の性質について(再考2)_a0010575_8392347.jpg土の性質の人は土地に根差している人が多いものの、意外と外からやってきたり、あるいは一度外に出て帰ってきた人も多い。その土壌の質について客観的に捉える視点を持っていて、愛着を感じつつ、そこで活動を育てようとする。

問題はその地域の土の質なのかなと思う。肥沃で豊饒な土地であれば問題はないが、荒れ果てていたり、傷だらけだったり、病んでいたり、枯れていたり、薬漬けにされていたりする場合もある。「文化なんて無縁の不毛の地だ!」と自嘲する声も聞こえるが、実は地域の豊醸化(ほうじょうか)は小さなきっかけから動き出す。

地域でなんらかの表現行為を行うことは、苗を植える行為に近いんじゃないかと考えてきた。

仮に開花しなくても、実が収穫できなくても、その苗は枯れて土に戻り、養分になり、つぎの苗の開花に繋がる。そのように考えると無駄な表現行為は一切ないんだと思えてくる。どんな些細なつまらない表現行為でもなんらかの養分として、その土地の経験として蓄積されるのだと考えれば、なんだってやってみたほうがいい。

まったく閉じた環境にある場合でも、土が熱を発することで上昇気流が起こる。突然、なんらかの要因でその地域に光があてられはじまる場合もある。あるいはその地域で何か事件がおこり、ヒートアップする場合もある。もしくは地域で誰かが動きだし、何かが始まり発酵し、それが地域の熱になることもある。

とにかく土が熱を帯びはじめると上昇気流が生じ、風が吹く。その風に乗り様々な人、モノ、情報等が流れ込んでくる。たまには新しい種を運んでくる。あるいは風は雨雲を運び、地域に水を注ぐ。適正な水と適正な光があり、土に十分な養分がある場合、種は発芽し、成長し、開花し、実る。もちろん開花しなくてもその繰り返しののちに地域は豊饒化に向かい、いずれ花は咲く。

そもそも種は地域に多種多様に眠っていると考える方が自然なのかもしれない。何らかの要因で、土の中に深く眠っていたり、光の当たらないところでじっと発芽を待っている。それが外的要因で、外からの種の為に耕され、光があたることで地域の環境が変わり、眠っていた種が地域の中から様々に発芽する。

水の存在の特性と重要性

地域活動での土、風、光、水の性質について(再考2)_a0010575_840126.jpgこの豊醸化のプロセスにおいて、あるいは種の発芽・成長においても、水の存在がとても重要であることは分かっているものの、地域における水の存在についてあまり語られてこなかった。

土の存在はすべてを育てるベースとなるので地域の主体として語られる。また風の存在は珍しいモノ、情報、人、意識を運んでくるので話題になりやすい。光の存在はまさに活動そのものに光をあてるメディアであり、助言や批評であり、影響が見えやすい。土、風、光の存在は仕事に直結している場合も多くそれぞれの立場に束縛されてしまうこともある。

しかし、水の存在は仕事上の立場に束縛されることなく興味・関心の範囲で自由に動くことを志向しているので、いいものはいい、ダメものはダメと利害関係を超えて明確に発言してくれる。その意味ではとても信頼できる存在なのだが。興味を失うと何のためらいもなく他のところへ流れてゆくので、名前が残ることが少ない。

そもそも水のあり方も様々で土壌の発酵の為の湿気であったり、発芽の為の水分であったり、朝露であったり、あるいは蒸発して大気に溜まる雨雲であったり、注がれる雨であったり、流れる川であったり、常に状態を変えて変化し続ける触媒の存在ということも興味深い。

水の在り方が地域の風土をつくる。

地域活動での土、風、光、水の性質について(再考2)_a0010575_8405165.jpg地域の風土を知るには地域の水の在り方を認識しておくことが大切だと思う。砂漠にも熱帯雨林にも低湿地帯にも文化は育つ。その在り方の違いは水の在り方、人と水との関係の在り方の違いなのではないかと考えるようになった。

水の流れは濁流になれば多くの文化を破壊する恐怖にもなる。あるいは一見清らかな清流には養分はなく生物は存在せず、淀みの中に多くの生物が生息する場合もある。ささやかな流は和みにもなり、安らぎにもなる。水は感性に直結している存在のような気がする。生きる上で水は必要不可欠なように、地域活動にも水の存在は不可欠だということがあまり語られてこなかったように思う。

とにかく興味や関心を注ぐ水の存在がなければ、どのような活動も発生することもなければ育つこともないのかもしれない。

何か些細な活動を思いついた人がいたとして、その人の横で「面白いね」とささやく無名の誰かがいたからあらゆることは動き始めたのだと確信している。

※一部の写真はいわきの田中さんちの田んぼ

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東京事典でのインタビュー「水の溜まりと水栽培」
by fuji-studio | 2012-06-02 07:30 | ・思索雑感/ImageTrash