十和田での「わからないことだらけ」の一か月。
とにかく慣れないことはするべきだ。

a0010575_22335081.jpgそもそも慣れないことだらけの中で人生は始まっていたし、慣れない状態から自分がなじんでくるときの振る舞いの奥底に自分自身の大切な部分が垣間見れするような気がしてビビッドだ。

しかしどうしても時間が経つと慣れてしまうし、慣れてしまうということはなんだか「わかったような気になってしまう。」のでそれが気に入らない。

本当は何も知らないしわかっていないのに、わかってしまうような気がすること・・・それが一番危険な気がする。

自分自身は自分自身の思い込み(わかっているつもり)によって規制され、束縛されているのだと思う。

以前の僕の周りには時折「わかっている」人達がいた。「わかっている人」はそれ以上をわかろうとしないし、自分の考えを変えようとしないので、一緒に話していてもあまり興味を持てなかった。

しかし、わからない人と話をしていると・・・いや違う・・・わかろうとしている人と話をすると、とにかくいい時間が過ごせる。

しかし、人生せめて死ぬ前ぐらいにはなんだかすべてをわかった気になって死んでみたいと思っている。

a0010575_22344423.jpgそこまでどのような「わからない旅」を連鎖させるのか…に興味がある。

いい時間を過ごすために人生があるのだから、もっと「わかろうとする人」と過ごす時間・・・に価値がある。

逆転すると…自分自身が「わかろうとする人」にならなければいい時間は発生しない・・・のかもしれない。

この一か月、久しぶりにわからないことだらけ。

あれだけわかっていたつもりの「アート」も多分いま一番わからなくなっているのだと思う。

ちょっと以前の僕であれば「いや、アートはわかるべきものではなく、感じるべきものだったり味わうべきものだったりだから・・・」と説明していたかもしれない。

しかし、今はわからなくなっている状態がとてもここちいいかも。


一度「美術館」についてここで語りたいですね。・・・っていうか、動画にしようかな。しかし、さもわかったように話す自分が嫌だな。
by fuji-studio | 2012-05-06 22:21 | ・思索雑感/ImageTrash


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