Future Sketch Book
2011年 11月 28日
東京都の文化発信事業プロジェクトの広報活動を電通に相談したところからはじまったプロジェクトだとか。
漫画家とかデザイナーとかアーティストとかのファシリテーションで参加者が大きなスケッチブックに将来のイメージを様々な形で描いてゆくというプロジェクト。
その最終回、日比野克彦と中村政人がファシリテーターを行うワークショップがアーツ千代田3331で開催される予定だった。
ころが急遽、中村政人の体調がわるくなり…僕がたまたまアーツ千代田3331の裏口にある空きテナントでトイザウルスの修理作業をしていたために…ピンチヒッター参加。
前回やはり日比野さんと行ったが、その時は気仙沼の小学校での実施で体調が子どもだったので随分と様子が違う。
とても意識の高い大人と未来について語る緩やかな時間。
だって普段「未来について語る」ことなんてめったにない。
しかも全く出会う人達と未来について語りあう時間。これが意外と面白かった。
宇宙開発事業団(もっと長い名前だったけど)の人が大勢参加していたこともあり、イメージは宇宙へと向かう。
その前日、3331での藤原新也の展覧会の最終日のパフォーマンスを目にしたばかりだった。
そのトークの中で「月光浴」という言葉を考えた時の話をしていて、月光浴のイメージが強く残っていたところ。
月の光を浴びる時間…去年、豊島の藤島八十郎の家で夜中にひとり浴びた。福岡の自宅の近くの海岸である時期、家に帰る前に月光浴をしていた。
…そういえば、豊島で月に語りかける映像、一人で夜中に撮ったなぁ。
驚いたことに、月光浴という言葉は藤原新也が考えた言葉なのだとか。
で、宇宙開発事業団に勤めている人から飛び出した「月は行くべきところなのか?」の話。
人類が月に行った瞬間の感動をひきずりながら育ってきた世代だけに、改めて気づかされた疑問。
そうか。まずちゃんと眺めて思いを馳せる。そんな存在であることが大切なんだろうな
そこに山があるから登るうちはいいが、山を観光対象化して何か利益を得ようとしたり、山の資源をむさぼるように暮らし始めるとなんだか苦しい時間が生まれるばかり。山はすでに水や空気や多くのものを与えているわけだからそれをただありがたく思って暮らすように…
月もまた引力や光や影やいろいろなものを与えられているんだ考え、未来の月との関係を考えるとなんだかもっと豊かになったような気がした。
それもこれも、前提の問題…という話にもなった。
現在前提となっている当たり前のように思っているあらゆることが実は前提でもなんでもなく勘違いなんじゃないかな…ということ。
地域の未来を考える部活「未来部」もいいね。
そうそう。部活の話…ちゃんとせねば。