過程と結果は…実は自己の視点と他者の視点なんじゃないか。
2011年 11月 21日
もちろん結果も大切だが、そこに至るプロセスが重要視されるようになってきた…ということ。
今回蒲生で行ったワークショップも結果を想定せず、プロセスを作り出すワークショップ。
僕の仕事…いわゆるアートプロジェクトの現場でも最終的なイメージ…つまり、結果を予想できないものとして、その広がりや可能性を担保しながらそのプロセス、あるいは初動のベクトルを提案することに力を入れた提案が…決して一般的とは言えないものの…それなりに受け入れられてくる素地が見え始めている。
そのほうがいろいろな活動の連鎖が生まれ、関係者の予想を裏切るほど面白い結果が発生する可能性が高いのでは…という経験から導き出された手法のような気もする。
ところが、このプロセス…つまり過程と結果という対立項目の設定自体に罠があることに気づいてきた。
過程と結果というと時間軸の問題に捉えられやすい。ところが視点を変えると…プロセス重視のプログラムは主体それぞれの自己の内発を促すことが問題視されているのに対して、結果重視・最終形態重視のプログラムは他者の視点を考慮した社会的な効果や訴求力が問題視されている…のではないかな…。
つまり時間軸の問題ではなく、自己へのアプローチか他者へのアプローチかの問題…かな…と。
そこに先の時間軸が絡んで来るというのが自然なのかな…と。
つまり…時間軸でその向き合う視点が変化してゆくという感覚がプロセス→結果の間にはあるという感覚、結構重要なんじゃないか思うんだけど…そんなことって皆さんの常識なのかな?
問題はその結果のイメージが内発を引きだすイメージとしてオープンにゆるやかに設定されていたらいいのかもしれないけれども、外発…つまり外から発せられたモチベーションとして束縛や重石になって参加者、あるいは当事者の主体的モチベーションの発生を抑圧するようなケースもあることに気づかってほしい。
地域系のアートプロジェクトが結果重視に向かうのもわかるが、それが故に外部からのモチベーションをてんこ盛りにすることで地域の主体、あるいは参加者の内発的モチベーションを阻害するプログラムの在り方はいかがなものかな…。
すべてはバランスの問題…ということで。
※写真は鹿児島県蒲生町で成長してきた蒲生どんと秋まつりのワンシーン。25年前に蒲生に太鼓の集団、蒲生太鼓坊主が発生し、紆余曲折あり韓国との交流が始まり、さらに紆余曲折あり毎年高校生の音楽を通した交流事業が定着し、韓国の伝統芸能を学ぶエリート高校生が蒲生町に来て地域の祭りとしていろいろな活動が連鎖していて素晴らしい。そのプロセスがいいがゆえに舞台のクオリティが感動するほど高くてびっくり。結果が素晴らしい理由にその過程の素晴らしさがある。しかもしれを地域住民はちゃんと知っていて皆が誇りを持っているがゆえに、新しい地域の祭りは盛り上がっていた。