mori yu gallery 東京での展覧会
2011年 02月 19日
2008年、サイトサンタフェ・ビエンナーレでの出品の時に、サンタフェのオペラハウスの駐車場のプロジェクト参加者が制作した作品を、最終的にドローイングとして僕が描き、サイトサンタフェの美術館で展示した後、制作者にそのドローイングをプレゼントするということを行い、新しい連鎖の形を模索しはじめた。
参加者が主体となってつくる風景や活動の体験そのものに大きな意味もあるし、同時に一枚の素描や絵画が物語るイメージにも大きな意味がある。
その後の水戸芸術館での展示の後、展示の中から抽出されたイメージを素描として落とし込みギャラリーでの展示作品として行ったのがmori-yu galleryで行った初めての展覧会。
それから2年と少し。
地域での活動とギャラリーでの活動の双方向の編集方針がようやく見え始めた…という段階かな。
地域での活動の結果発生したイメージをその記録として素描として落とし込み、再編集するという流れは、まだまだ未完成で未消化のままだが…、ここにきて素描や作品のあり方が変化しつつあり興味深い。
去年の夏に瀬戸内海の豊島で行った「藤島八十郎をつくる」という活動。
この時は藤島八十郎が絵本作家を目指すという設定を前もって与えることで、藤島八十郎をつくるプロセスの中から発生するドキュメントを文章とともに素描として描いてゆくことが想定されていた。
結局、藤島八十郎の活動はドキュメントされる手前の状態で妙にスローペースモードに切り替えられ、活動もまだまだこれから始まる以前の状態に戻り…実際に行われたドキュメントの素描化はできなかったが…
それでも「藤島八十郎をつくる」という活動が僕のこれまでの活動に別のベクトルを作り始めていることは確かなのだと思う。
今回のmori-yu galleryで展示されたものは「藤島八十郎をつくる」活動の中で、それぞれ役割をはたしたツールであると同時に、八十郎に託した僕自身の中に潜在するイメージでもある。
少なくとも僕自身が抱えてしまっているkaekkoシステムと八十郎システムの上にしか生成されることのないイメージであることはゆるぎない。
このイメージを引き出すツールと地域のプロジェクト現場に作られるイメージと、僕でしか描くことのできないイメージが、ようやく整理されはじめ…まだまだ表現技術的には追いついていないが、この手法の延長に新しい地域での活動の方向性が見えはじめていることは確か。
もっともっと動きたくなったのと同時に、もっともっと描きたくなってきた。
このまま加速すればいいのに…
まだまだだなー…