茅野市の美術館でのサポーターに対してのレクチャーとワークショップ
2011年 02月 03日
そこにある美術館のサポーターに向けての講座とワークショップ…のつもりでした・・・が。まったくワークショップに導入する時間がなく、自己紹介とレクチャーで終了。
以前、福岡でplants!というミーティングテーブルを行っていた時も、実はほとんど参加者の自己紹介だけで終わることもしばしば。
ある意味それがとても大切だし、その話の延長に活動のイメージのヒントがあるような気もするし…とにかく小さな意見を無視できない。
課題について話する時間がどれだけ大切かどうかわからないが、とにかく集まった人がどういう人かを知らないとその延長にしか活動のイメージは見えてこない。
それぞれがそれぞれのこだわていることについての話をしながら、あるいは話を聞きながら、それぞれのやるべきことを主体的に発見し、主体的に動き始めることだと思うが、なかなかそうは行かない。
直観だが、どうも重たい重石がここにもあるような気がする。
難しいな。勝手に活動がはじまる空気感…風通りをよくしなければならないのだろうな…。
それにしても…昼に案内してもらった寒天蔵。
地域に残っている「板倉」の活用の活動を行っている町の人たちの話をうかがい、とても興味深い。
この地域は7年に一度の大祭、御柱祭の開催される地域だが、もともと木との関わりの中で暮らしを作ってきた地域。
倉も土蔵ではなく分厚い板でできた倉が主流だとか。
倉の周りの水路の流れも相当気になった。
それにしても…倉を活用して街の活動の中心的存在のみそ屋の奥に鎮座している貧乏神にはまいった。
いろいろ活動の余地のある街のコアとなるべく作られた駅前の公共施設、茅野市民館。
図書館とホールと美術館とレストランがあるというのは施設の計画としてはある意味最近のスタンダードになってきて的を得ているようだが、実はそこに落とし穴の匂いを感じる。
美術館として、ホールとして、完成しすぎているという問題。
完成されたモノゴトを入れるフレームとしてあり、市民が何らかの活動を作ってゆく現場感が排除されている…そんな直観。
一方で美術館の重責とホールの重責を課せられた重い空間。
ここが廃墟になれば相当おもしろいだろうな。
そんな美術館の裏庭に(?)表玄関?…藤森照信のツリーハウスならずツリハウスが設置されたままになっていて中にお邪魔させてもらう。
藤森さんはこの茅野にゆかりのある人なのだとか。
去年の夏、青森で高嶺君がツリーハウスを作っている頃、このツリハウスを作っているという情報を聞いていて、気になっていた。
ツリーハウスというよりはどちらかついうと、日比野さんの種の船に近い。
構造も面白いが、ディテールがキュートな感じ。仕上げの力の抜き具合がとてもいい。
こんな感性が街に広がってゆくようなシクミをつくる拠点になればいいのだけど…。
こんなかんじの仕上がりの市民館ってできないものなのかな…?
なんにせよ、完成し過ぎた建築は問題だな…。余地とかのりしろとか…自由にいじれるところが欲しいなぁ。