基礎超識: 地域イベントと地域実験の大きな違い。
2011年 01月 22日
で、さらにアートイベントを研究しているという学生から質問がきて、それに答えようとしつつ…いちばん大事な前提を話していないことに気づいた。
これも僕自身の超識だと思うが…
そもそも地域系のイベントと地域実験はまったく性格が異なる。…というか、前提が異なってくる。
イベントは「成功すること」を前提として成立し、失敗しないことが配慮され物事が仕組まれてゆくが、実験は「失敗することで問題を見出す」ことが前提として仕組まれてゆく。…と考えている。
僕の超識では地域は(もちろん個人や組織も…)もっと様々な実験を含む経験を積み重ねることで豊穣化してゆくと考えているので、失敗も含む地域の経験値の増大そのものに価値があるとする…そのことが前提となっている。
地域の中から新しい価値を見出す活動は実験も経験もなしに「簡単に発生させようとする」こと自体が暴力だと思っているし、成功するために「失敗を見ようとしない」視線からは何も生み出されないのではないかと考えている。
とにかく、アートプロジェクト、アートイベント、フェスティバル、トリエンナーレ、ビエンナーレ、芸術祭など地域をベースとして繰り広げられる様々な出来事が並列に語られがちで、混乱してしまう部分もあるが、あきらかに「イベント系であるか、地域実験系であるかの違い」はその呼び方に主催者の意識の違いを垣間見つつも、「何をもって成功としたか」がどの部分で語られているかを見るとその関係者の意識が明らかになる。
地域は多くの表出していない問題を抱えているし、地域で暮らす人はそれぞれ違う問題を多層に抱えている。その見えないモヤモヤ(潜在的問題)がイメージ化され、その解決に向かう「新しいベクトルを見出せたかどうか!」が地域実験における成功だとすれば、「来場者数の増加や経済波及効果の上昇」は地域イベントとしての成功なのかもしれない。
僕は個人的には大型のフェスティバルやアートイベントそのものが、実は社会実験ともいえる大型の地域実験として成立しているという視点で興味を持ち参加している。しかしもちろん、主催団体や実行委員会、あるいは事務局がそれを実験として認識していない場合があってもおかしくないし、小さなアートプロジェクトであってもそのケースはありえる…が、それほど問題だとは思っていない。
ただ、地域実験としての意識を持ち、地域のいかなる問題が浮上し地域の中にこれまで出会ったことのない新しいベクトルのイメージが発生したかどうか…それを地域の誰と関係者の誰と共有できたのか! そして「そこで暮らす人が次に動くべき行動のベクトルと出会えたかどうか!」ということなのではないかと思っている。
そのあたりについてまったく話できなかったんだけど、この部分ってたぶん重要なんだと思う。
そんなことってたぶん常識的じゃないんだろうな…。
評価の話していてもそのような話題にはならないし…。