基礎超識1:地域のそれぞれの場には時間軸がある。そしてモノには旬がある。
僕の中では常識だと思っているものごとでも、周辺の人にとっては超常識なこともたくさんある。

a0010575_271445.jpg作家や作品には旬があり、賞味期限があるという発想は僕の中でいつごろ常識になっていったのかは忘れたが、すくなくとも、99年に福岡市が発行したパブリックアートガイドブックに寄稿したことがあるので、その時から10年以上は経過する。


a0010575_283757.jpg瀬戸内国際芸術祭の現場でいまだにパーマネント…つまり恒久設置か会期後撤収のテンポラリー…一時的なものかという話が聞こえてくるたびにモヤモヤする。

時間軸のとらえ方の単位が永久か一時的かの2者択一しかないことは非常識だと思えてならない。


a0010575_295823.jpgその論議は90年代の初めに場の問題が発生する以前にパブリックアートの問題の現場で語られてきたはずだと思うが、あらためてここにざざーっと僕の常識を紹介しとこっと。


a0010575_2114597.jpg当時、考えていた僕の時間軸のとらえ方は…33年1世代、66年で2世代、99年が3世代でそれ以上を永久(?)。

33年は一般的な建築物の耐用年数、街は66年で完全に更新され。99年残っているとすればそれは先祖代々レベルで…人の身体的な記憶認識を超える…。


a0010575_2124986.jpg人の生涯年数が90年だとして、人間が経験する時代変化はせいせい3世代。 2世代前の祖父や祖母が二人づつ、合計4人いたことは認識していて、それぞれの姓名をたどれても、どんな名家の出の人でさえ4人の祖祖母の姓名と4人の祖祖父の姓名をちゃんと知っている人はほとんどいなくて、しかもちゃんと8つの墓参りしている人なんて聞いたこともない。 

99年以上経過しても残っているのもは完全に放置されていても仕方なかった環境にあるか、あるいは世代を超えて手あてされ、受け継がれてきたもの。


a0010575_2145628.jpg地域の中にはそれぞれ時間軸があり、1000年単位で保存され、受け継がれなければならない場もあれば、地域の誇りとして世代を超えて変化させてはいけない場もある。

その一方で、地域も新陳代謝を繰り返しているので、世代ごとに…33年ごとに変化したほうがいいエリアもあれば、10年ごとに更新されたほうがいい場も必要だったり、3年ごとに変化していくぐらいがいいところもあれば、一年ごと、季節ごと、一か月ごと、毎週、毎日、時間ごと…など限りなく多彩に変化する時間軸はそこにかかわる人の属性やそこに何を求めるのかの内容にもよるし、あるいは意志を持って不変の時間の流れを長い時間かけて更新させてゆかなければならない場もある。


a0010575_2163596.jpg70年代より90年前半ぐらいまで、日本のいたるところで拡がった「彫刻のあるまちづくり」に代表されるような、容易に排除できないような…重かったり、いやらしかったり、下品だったり、邪魔だったりする固形物を配置して、その地域の時間を固定しようとする試みについては、時間の流れを静止させようとしたり、歴史的景観地区、あるいは歴史的記念碑的な場でその歴史の固着の手助けをさせようと意図するものならまだわかるが、地域に暮らす人の新陳代謝を凝固させたり、地域の人の新しい活動を阻害するような飾り…新装開店の記念の花輪をずっと立ている店舗のように駅前に開店記念のモニュメントを恒久設置として飾り続ける感覚は制御したほうがいい。
 

a0010575_21737100.jpgとにかく、瀬戸内海の島のいろいろな場も時代とともに変化しつつあり、変化を制御したほうがいい場もあれば、変化し続けることで魅力的になるところもある。

恒久設置といわれている作品の多くも、実は建築の耐久年数に準じて消滅してゆくし、飲食店などの内装などは5年が限界とされている面もあるし…もちろん数十年変わらない味と内装のカフェも大切だが…私設財団の美術館に属する作品群はシステムの面からみても、その代表が変化したとたんにどこかほかの所有者に売却されるかとりこわわれる?あるいは用途変更する可能性を考慮すると恒久設置とは位置づけがたい。 


a0010575_2184040.jpg瀬戸内国際芸術祭が地域システムのOSを担うべき行政がかかわる芸術祭だとすれば、祭りという一時的な状況から生まれたさまざまな因子と丁寧に向き合い、それぞれの旬と賞味期限を読み込みながら地域に活かしてゆく仕組みや、更新してゆく仕組みをちゃんとつくらなければならないと思うのだが…


a0010575_2231739.jpgそのようなことが語られてきて、もう10年以上はたっていて、もう一般的なことだとおもっていたのだけどなー。

つまり、今瀬戸内国際芸術祭の周辺で必要なことは地域の時間軸をしっかり読み込むことと、この芸術祭で生まれてきたたくさんの因子について排除すべきものは排除し、使えそうなものは旬と賞味期限を読み込んでしっかり冷蔵庫に入れるなり、糠漬けにるすかり、干すなりして活かす方法を探ること・・・


a0010575_2241865.jpgとりあえず、ゴミは出してはいけないよなー。

芸術祭で廃棄処分される作品素材があるとすれば、すべて八十郎がもらいうけようかな。あの赤と水色と金色の塗装をはがしたあとの塗料カスとかも…。

それと…

それぞれの因子をアートの側の視線だけで編集されることにもつまらなさを感じる。

もちろん、地域の政策としての集客産業や地域づくりの視点からの編集もなされるのだろうが、地域の生活者視線での編集作業が一番不可欠だと思っているが、どうだろうか。

いい種をみつけて島の生活のあらゆる関係の中に面白い芽を発芽させる視点での再編集…。

さらに…大切な感覚は、もっとも楽しくて重要なのは…地域に大切なモノゴトやシクミを一緒につくってゆくという期待に満ちた時間。

ああ、語りだすときりがない。
by fuji-studio | 2010-10-08 11:48 | ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎


<< 基礎超識2:人の作り出したモノ... 超識ってどうだろう? >>