八島太郎と藤島八十郎
2010年 07月 14日
実は僕にとってとても大切な八島太郎。 その名前から八・島・郎の文字を引用した。
藤が島でのプロジェクトを行うから藤島だったり、管巻三十郎(宇野澤君のペンネーム)をプロジェクトパートナーとして活動を行うので八十郎と説明したり、僕と管巻の年齢を足すと80歳代になるので八十郎だとか説明もするが・・・それはウケを狙いだったり、分かりやすさだったり・・・。
八島太郎、本名は岩松惇だが、軍国主義に反対したことがきっかけとなって離れざるをえなかった日本のことを想い自分のペンネームを八島太郎としたと聞いた記憶がある。
八島とはまさに日本のこと。
島についてなぜか魅かれるのは両親が奄美大島出身という島遺伝子だとばかり思っていたが実は日本はそもそも島国。
島のアイデンティティに魅かれ、島について理解しようとするのは日本人の性質なのかもしれない。
八島太郎はたまたま僕の高校の大先輩で、しらないうちに、じわーっと僕自身の無意識の中で醗酵して、僕自身の活動にも大きな影響を与えていることに気づくようになった。
僕自身が鹿児島を活動の場として選び暮らし始めた1993年当時、八島太郎がロサンゼルスで療養生活中だと聞き、会いに行きたいと思っていたが、次の年に亡くなって永遠に会えない存在になってしまった。
亡くなってしばらくして、鹿児島で開かれた追悼の展覧会の手伝いをしたこともあったし、彼の残した「Crow Boy」という作品とその翻訳された作品「からすたろう」を京都市内の廃校(その後まんがミュージアムとしてリノベーションされた龍池小学校跡)の講堂で毎日読み続けるデモンストレーションを行ったりしたこともある。
からすたろうはまさに自分自身に重なるし、その表現手法や立ち位置や振る舞いにやたらと共感したことがあるのだと思う。
とにかく八島太郎の名前を組み込んだからには藤島八十郎は絵本作家を目指すということになっている。
しかし、残念ながら八十郎は物語を思いつく才能もなければ絵を描く才能もない。
・・・ということで、いろいろな人の関わりの中から絵本作家として登場としている・・・
・・・ということで、藤島八十郎をよろしく。