システムと拠点・・・卵が先か鶏が先か・・・あるいは両輪。
2010年 07月 04日
地域活動のシステム(仕組み)の多くはある時期、それなりの理由があり発生してきた。自治会とか子ども会とかPTAとか敬老会とか婦人会とか青年団とか青少年育成会とか商店街振興会とか連合会とかなんちゃら委員会とかかんちゃら会とか・・・
その多くがそれぞれの時代の必要に応じ発生し、それなりの拠点を持ちつつ、それなりにその地域活動に貢献してきたのだと思う。
ただし、その時代にOSという概念があったか? システムは更新されるべきという常識が身についていたのか? 時代の価値観は変化し続けるということが前提としてあったのか?
場合によっては、多くの機能しない仕組みや拠点が、それなりの税金が投入されながら地域に染み付いていたりする。
・・・それはとこかく・・・とにかく新しい仕組みは必要に応じてつくられるものだが、各地で問題になっているのが拠点づくりが先か、システムづくりが先か・・・の悩み。
拠点がつくられることで人が集まり、活動が加速し、仕組みがつくられる・・・という話もあるし、仕組みができることで活動が発生し、それが加速することで拠点がつくられる・・・という場合もある。
そのどちらがいいというわけではなく、その場その状況なりにそれらのものが発生し、なんらかの活動が動き始める・・・その状況そのものが一番興味深い。
とにかくビジョンを先につくることに疑問を持っている僕としては・・・いや、正確には・・・ビジョンに縛られながら活動を展開しなければならない現場の状況に疑問を持っている僕としては、最近、アンカーポイントとベクトルを作るところからはじめる・・・という手法に可能性を感じている。
それは、拠点として展開する可能性のある場をアンカーポイントとし、システムとして形成しそうなベクトルをインストールするという手法。
今回の「藤島八十郎をつくる」という作品はまさにその実験だと捉えている。
でもこのことについてピンと来る人は、そう多くはない。
もうすこし動かないと見えないでしょうね。
地域の活動を作ろうと右往左往する「藤島八十郎の活動をつくる」というシステムによって発生する数々の地域実験と、その「藤島八十郎の家」という拠点。
そして、その活動は編集されることによってはじめて作品化される。・・・というところまで・・・。
だめかなぁ~・・・。