些細な意思の集積の結果・・・問題だな・・・
2010年 06月 02日
・・・とはいえ、まだまだ未整理、未完成。
瀬戸内国際芸術祭に出品予定の「藤島八十郎の家」をイメージしつつ「うみかえる」をいじっているうちに棚だらけの家になりつつある。
まあ、あふれるモノや資料を分類し、ストックしようとして、そこにある空間を有効利用しようとすると、必然的に棚で埋め尽くされた部屋になる。
しかし、「不用品です」と強い意志を持てば、ずべて廃棄処分してもいいようなモノばかり。
捨てるほうが可能性が生まれる場合もあるし、蓄積することで可能性が生まれる場合もある・・・。
捨てるほうを選ぶほうがスマートで賢いという価値観は十分理解しているつもりではあるものの、集積してしまうのは性質なのだろうと思う。
しかし、自分が表現者であるという妙な自覚が、この集積を加速しているような気もする。・・・。
・・・
ところで、・・・最近バランスについてよく考える。
天秤というか、平衡状態というか、均衡というか・・・
とにかく釣り合っている状態をゼロとして、わずかにマイナスなのかわずかにプラスなのかのわずかな差異。
そのごくごくわずかな差異が生じてしまうのは偶然かもしれないが・・・、その差異を確実に重ねてゆくのは本人の意思に関わる・・・のではないかな?
その僅かな意思の差が蓄積された時に大きな違いになる。
・・・
借金か貯金か。 廃棄か集積か。 消費か生産か・・・
どちらかに加速するとすれば、その裏側で見えない何かが比例して加速する・・・。
僅かな意思をどちら側に傾け、それを続けてゆくこと。
その裏側で徐々に何かが変化してゆく・・・
・・・
もっとちゃんと言葉にできないかな・・・。