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繋ぐ術2
パプアニューギニアで先祖の精霊と繋がるための儀式のようなものに出会ったことがある。体に模様や装飾を施し、声を出し、同じパターンのリズムを刻みつづけ、体を動かし続け、何らかの行為を繰り返し行う行為。それはまるで体内にある遺伝子と繋がろうとしている行為のようでもあった。

それは音楽、美術、舞踊、宗教、政治など、近代社会が分けてしまったカテゴリー以前の生命と自然を繋ぐ大切な術だったのだろうと思う。

自然には多くの法則が組み込まれ、私たちの体内にもまた多くの法則のようなものが組み込まれている。そこに向き合う行為は太古の昔から人の営みの中で繰り返され、様々な行為の結晶として伝えられ、残されてきた。今回田中忠三郎コレクションの東北地域の衣装に見る図柄に出会い、それらが世界各地に伝えられるものと、あるいは現代作家が生み出すものと、本質的に繋がっている。時として人が繰り返し行う単純な行為の向こう側に自然に組み込まれたあまりにも複雑で高度な法則を垣間見る。そのような行為の結晶を確認してみたい。時代もジャンルも超えて。

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# by fuji-studio | 2014-10-30 08:51 | ■青森&十和田での活動
繋ぐ術
田中忠三郎の伝える精神 の展覧会の準備でもろもろ文章を書かねばならない。新聞に3回連載で紹介してもらえるというので、どのような形で書いたらいいのか模索中。

・・・・・・・

刺すという行為と縫うという行為は全く違うということをこの展覧会を企画する中で出会った八戸在住の南部菱刺しの作家、天羽弥生さんに教えられた。

薄手の麻布の経糸と横糸のわずかの隙間に糸を通し、二目、四目と偶数の目をとりながら糸を横に通す総刺し。繊維そのものが入手しづらく、高価で貴重だった東北の地において、多くの女性たちは様々な思いで「刺す」という行為を重ねていった。それは寒さを凌ぐための衣服を作る行為であるとともに、厳しい日常から精神的に逸脱し、より高度で自由な世界に繋がるための技でもあり、暮らしの中でだれにも迫害をうけない居場所と時間を確保するための術でもあったと思う。その女性たちの暮らしぶりに思いを馳せながら多くの衣服を収集していた人物が田中忠三郎である。

彼が収集する中で触れようとした精神、あるいは東北の地の暮らしの中から醸し出された衣服たちが伝える精神はいかなるものであったのか。




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# by fuji-studio | 2014-10-26 11:07
開くことと閉じること
最近、開くことと閉じることのバランスがとても重要だということが気になって仕方ない。

感情や感覚の在り方、あるいは精神状態のあり方というべきか、心の在り方というべきか。

自分自身の状態を客観視できること。そのことがとても重要な気がする。

作品を作る行為、あるいは表現に向かう行為、自分自身を客観視し、さらに自分自身を超えようとする行為はあくまでも内側に向かいつつ、ある意味閉じたところから発する質のものなのかもしれない。そしてそれを発表する行為、社会化する行為は、自分の内なるものをいかに開いてゆくかということに繋がる行為のような気もする。

しかしそれぞれにも開く部分と閉じる部分が微妙なバランスでせめぎあう。

内なる自分を超えてゆく行為はまさに自分と周辺との境界を行き来する行為であるし、社会化しようと発表する行為は単に自分自身を開くだけではなく、ある部分に対して閉じながらある部分を開いてゆく微妙な操作が絡んでくる行為のような気がする。

もしかすると開くと閉じるだけのことではないのかもしれない。

前向きと後ろ向き、上向きと下向き、そして開くことと閉じること・・・そのバランスをコントロールできればすごいのだろうけれど・・・。

あたりまえだけれど、世の中はそんなに単純ではない。だから面白い。その微妙な開き具合と閉じる具合でいろいろな関係の在り方が変わってくる。

それを自覚できること・・・そんなことって子どもの頃教えられなかったなぁ。



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# by fuji-studio | 2014-10-26 08:49 | ・思索雑感/ImageTrash
前川國男の作品「弘前こぎん研究所」を訪ねる
先日に続き、再び十和田市から弘前市を目指す。

先日は八甲田を越えて黒石経由で弘前に入ったが、今日は濃霧注意報とかで、三沢空港の飛行機が全便欠航しているぐらい・・・

山越えを断念し、みちのく有料道路経由の青森から高速道路で弘前に向かうことにする。

濃霧をさけたはずが・・・みちのく道路もやはり濃霧。霧の中ゆっくり走りながら青森をめざし、峠のトンネルを抜けた瞬間…
ウソみたいに濃霧はなくなり、おだやかな晴天…
青森と南部はいろいろと文化が違うということは話に聞いているが、まず天候が違う。地形が違う。環境が違う。言葉が違う。

とにかく今日の天気だが、同じ日とは思えないぐらい変化が大きい。

津軽地域はかなり古くから農耕文化があったのでとても裕福だったとの話もよく聞くが、逆に南部地域はコメが育たない地域だったのでとても貧しかったという話しか聞かない。

八戸とかはまた漁業があったので、それなりに産業があったのだろうが、十和田のあたりは本当に貧しかった…という話。

しかし、もちろん馬も育ったし、ほかの作物も育ったのだと思う。しかし、貨幣経済が流通する以前はお米がほとんど貨幣に代わる豊かさの指標をあらわすツールだったのだと思う。

とにかく弘前は田んぼに囲まれた城下町ということで、十和田とは全く違ういろいろな文化が育った地域だという話は聞いていた。

その中で特に江戸時代中期の100年ほどの間に急成長したのが津軽こぎん刺しという技法だったのだと思う。

弘前藩が手工芸を産業にしようと仕掛けたという話も聞こえる。

その環境をみても南部地域のなんぶ菱ざしとは様子が全く違う。

津軽のこぎん刺しが紹介されたの古い映像を持っているというので津軽こぎん研究所を訪ねてみる。

この研究所、建築物がとても渋い。

なんと前川國男のデビュー作の建築物なのだとか。

知らなかった。

福岡市美術館や、山梨県立美術館など個人的に展覧会でお世話になった美術館をはじめ、僕が美術に関わり始めた当時の日本の美術館様式に大きな影響を与えた建築家なのだと思う。

その最初の作品が今でも美しく存在している。

弘前には様々な時代の建造物が襞となって存在していてうらやましい。
研究所で古い映像をみせてもらい、所長の成田さんの話を聞いたのち、研究所の2階にある前川國男の弘前での仕事を紹介する展示室をみせてもらう。

弘前には前川國男の作品がたくさんあるのだそうだ。
そののち弘前のまちをほんの少しだけ歩いてみる。

わずかな時間だったが、それでも興味深いところにたくさん出会う。

いろいろな面白いツアーとかやってるんだろうなぁ。

うらやましい。

まちの一角に市場のある路地があり、そこに引き込まれ奥まで行くとねぷたの福助が・・・

おばあちゃんの笑顔にあたり、ついついイカのテンプラとか紅ショウガ入りのもち米のお稲荷さんとか夕食の買い物をしてしまう。

こんなところがある近くに住めるってとても贅沢だよなぁ…と考えてみると…

僕が暮らしていた鹿児島の家のすぐ裏にも、同じような市場があった。

さらに徒歩15分圏内に同じような薄暗い市場が5か所ぐらいはあった気がする。


記憶がよみがえってきた。

ほとんどなくなってしまった…ということなんだな。

しかしよく活きているなぁ。

うらやましい。





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# by fuji-studio | 2014-06-10 07:23
八戸の港の蔵から天羽さんのお宅へ
八戸で南部菱ざしを行っている天羽やよいさんのところを訪ねるために八戸へ。

ついでに秋の十和田奥入瀬でのパフォーマーとのコラボレーション企画のために最近フリーランスになった今川さんにお会いしようと声をかけてみる。

今川さんは最近八戸酒造のこの蔵での企画やこの蔵の周辺の町とアートな関係の仕事をしているということで、その現場を見せてもらうことに。

250年近い歴史のある酒造元だけに、建築物といい、調度品といい、なんとも素晴らしい。

八戸市には、まちづくり文化推進室があり、そこに芸術環境創造専門員という専門職の人がまちづくりに文化政策を活かしてゆこうと、そのしくみが定着しつつあるが、それ以上に、このように民間レベルでの文化事業に力を入れ、とにかく面白い質の高いまちにしようとする力強い人がいてとてもたのもしい。

八戸と十和田をしっかりつなぐことでこのエリアの魅力は数十倍に広がると感じている。

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# by fuji-studio | 2014-06-08 19:04 | ■青森&十和田での活動
弘前でこぎん刺しの佐藤陽子さんのところを訪ねる。

十和田に来て3年目だというのにまだまだ青森県内を巡れていない。

青森で活動するさまざまな人に出会えていない。

今年の秋に企画している田中忠三郎の展覧会のために八甲田を越えて弘前に向かう。

八甲田はまだ雪がつもったまま。空気が澄んで美しい。心が洗われる。

青森の弘前を中心にかつて女性が作っていたこぎん刺し。


100年以前も前につくられたこぎん刺しや現在つくられているものなども含め見せていただき溜息。

針と糸というとても単純な道具によってつくられる青森の女性の精緻な時間。

あるいはじぶんの居場所、空間。そして刺すという行為を重ねることでしか入れない異次元の世界。

現実のさまざまな厳しい状況を乗り越えるためにあみだされたある種のテクノロジーといっていいのかもしれない。




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# by fuji-studio | 2014-06-05 20:07 | ■青森&十和田での活動
十数年使ってきたgeco.jp のサイトが消えた。
十和田奥入瀬芸術祭の準備でばたばたしているうちに・・・ しらないうちに・・・ 1999年ごろに手作りで作ったgeco.jpのサイトが消えてしまっている。

当時の契約書とかもないし、どことの契約だったのか・・・。どうやって調べればいいのだろう?

とりあえず、コンテンツをこことFacebookに移すか、あるいは新しくドメイン取り直すか・・・。
どなたかアドバイスを!

しかし時間がないな。

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# by fuji-studio | 2013-09-24 11:43 | ご案内/Information
藤森八十郎の「超訳 びじゅつの学校」
考えてみると、十和田市現代美術館に赴任して、美術館のブログを書かなければならないとなったときから、ブログへの書き込みの興味が失せた。 今は企画展、「超訳 びじゅつの学校」のブログサイトもあり、なんだか「書かなければならない」ものがたくさんあり、…結局できていないのだが…ふと気まぐれに、自分の古巣に戻ってきて書き込む安心感を味わってみている。

ツイッターの利用に連鎖してfacebookの利用が始まってからブログへの書き込みへの関心はなくなった。しかし、やはりまとめてちゃんと記録したいとき、このページに戻るのもいい。


今日、瀬戸内国際芸術祭のオープニングの招待状が届き、2010年の夏の瀬戸内、豊島でのプロジェクトの連鎖の結果、ここ青森にいることをつくづく不思議に思う。


そもそも豊島でのプロジェクトを志し、宇野澤君とはじめたのが藤島八十郎。

藤島八十郎のプロジェクトはかなり面白く展開しそうな予兆の真っただ中で、急遽 八十郎が旅に出ることになり、中断している。 (あくまでも中断で、まだ藤島八十郎は旅の途中で行方不明なのだとか。)


本当ならば今年の瀬戸内に帰ってくるとよかったのだと思うが、世の中そうはうまくゆかない。・・・というか、どうしてもストレートに歩くことを避けてしまう。

なぜこんなに歪まなければならないのか不思議に思うが、歪み、ズレ、ねじれる方向に進もうとする性質がある。


とにかく、藤島八十郎は今年の芸術祭には登場せずになぜだか関係あるのかないのか…青森で藤森八十郎とという架空の存在が動き始めている。

物事は思わぬところで思わぬ形に予期せぬ形に連鎖するのが興味深い。


まさか、青森の十和田で藤森八十郎が登場するとは。しかもしつこく今年の空きには瀬戸内国際芸術祭を狙い撃つ十和田奥入瀬芸術祭のようなものを起動させるのだとか。どこまで歪んでるんだろう。


とにかく、藤森八十郎…どうなることか。
藤島と藤森、ややこしくてごめんなさい。しかしおそらく彼らは他人です。

そして…びじゅつの学校のブログ、お楽しみください。

http://towadaartcenter.com/blog/choyaku/

写真と関係あるかもしれない記事 http://geco.exblog.jp/6106386

http://geco.exblog.jp/11394385/



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# by fuji-studio | 2013-02-27 21:56 | ■青森&十和田での活動
青い森のちいさな美術部、動き始めました。
十和田市現代美術館の企画展、奈良美智「青い森の ちいさな ちいさな おうち」に関連する企画。

奈良さんが部長の美術部「青い森のちいさな美術部」の部員を募集したところ、全国から140名近い応募があった。

その中からもろもろの理由で選抜された6名とマネージャー2名が全国から集まり、美術部の合宿が始まる。

僕が借りている家を合宿所として明け渡し、僕は3日前からホテル暮らし。

この部員による展覧会を十和田市内のまちなかで12月半ばから企画していて、その展覧会に出品する作品を皆それぞれがまちなかを巡りつつ考える。

奈良さんの熱意が部員をひっぱり、・・・なんともいえないテンション。何か新しい動きがここから始まっていることを確実に感じる。もちろん、今、ここも大事だが、ここから派生するいろいろな連鎖を考えると凄いことになったな思う。

とにかく、ものごとが立ち上がる瞬間に立ち会うのはとても感動的!

「負けたくねぇ!」




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# by fuji-studio | 2012-11-08 23:21 | ■青森&十和田での活動
十和田奥入瀬でプロジェクトはじめます。
青森の十和田に来て半年が過ぎ・・・、これは性質というしかないのでしょうが・・・奥入瀬渓流、十和田湖周辺でのアーツなプロジェクトがいよいよ動き始めてしまいました。

なんとなく動きそうなかんじがしていたのですが、今日は確信に変わった記念すべき日です。

いろいろ妄想はあったのですが、昨日と今日、この二日ではじめて奥入瀬渓流の周辺の一時休業したユースホステルとかホテルとか合計5軒の内部を見学させていただきました。 ようやく・・・です。

うーん、しみじみ。 素晴らしい! やりがい大いにあります。

ひとつ確信したことは、そこにそのまま大金を投入して改装して、ホテルとして再生するのは相当難しいだろうという感覚…。

先日見学させてもらった三沢駅前の青森屋の未使用の部分も凄かったですが・・・ほんとうに素材としては文句ないかんじです。

全く違う発想で違う形で、使いたい人がいかに使い、開いてゆくか・・・。

ここでアーティストが入ることでどのように変化してゆくのか・・・。

その場所をすべて見学し、十和田奥入瀬で今後どのようなアートプロジェクトを開催するのかを考えるアーツキャンプを開催します。

是非本気でこのような場所で活動を作りたい人は、ぜひご参加ください。

アーティスト、コーディネーター、本気の活動の現場を求めている人、募集します。

詳しくは下記のサイトから。

http://towadaartcenter.com/web/oirase-camp.html



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# by fuji-studio | 2012-10-26 21:09 | ■青森&十和田での活動
メルボルンのアートセンターのKaeru Garden
メルボルンの中心街の川沿いにあるアートセンターのリニューアルオープンのイベントに絡む屋外でのインスタレーションプロジェクト。

一か月間の仮設テントでのオープンワークショップの後、最終的にこのような形で一か月間屋外インスタレーションを行い、特に夜間ライトアップされ、お客さんに楽しんでもらう。




http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=0k0s4xIenlc
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# by fuji-studio | 2012-08-25 22:29 | ■メルボルンでの活動
メルボルン・アートセンターでのkaeruスタジオ最終日
今月の初めから約3週間近く、昼の12時半から夕方4時半まで、だれでも自由に出入りで来て、好き勝手につくれる状況の「Kaeru」のテント。

家族連れのリピーターも多く、小さな子どもから小学生、中学生、高校生、大学生まで、クラス単位でやってきたり、日々にぎわう中、もくもくと作り続けるおじさんを演じている。

まるで、芝居小屋のようだなと思いながら、もくもくと作り続けるおじさんを演じているようでありながら…

実は単に単純作業に没頭することを楽しんでいる。


アートセンターが一年間ため続けたバックライトプリント紙にもくもくとはさみを入れ続け、結局、このようなパーツをもろもろつくり、植物の花びらのような、鳥の羽のような、ひげのような、昆虫の触角のような…とにかくそんなパーツを切り出して繋いでゆく作業。


たまに話しかけられるが、生返事で答えながら、一応、笑顔で説明はするけど、作業の手を止めないことが大事で、単純作業に没頭している態度が妙に影響しているのがよくわかる。


自分の動きがそのテント内の空間に影響を与えている状況は、昔演劇をやっていた時の感じに近いものがある。

しかし、ここはあきらかに演劇空間ではなく、僕も本当にリアルに演じている感じがなんとも面白い。


単純作業をしていると、・・・いつも面白く感じることなのだが・・・頭の中が妙なスピードで回り始めるときがある。

やっている作業とか、その空間とは関係ないことを考え続けている自分に気付く。


その状態がとても面白くて興味深い。

ある一定の動きを手が覚え、勝手に動き始め、作業にあるリズムのようなものが生じはじめると、頭の部分はどこか他のことを、しかも全く関係ないどちらかというとつまらないことをぐるぐる考え続けている。


昔はそれを、ふと手をとめて、ノートに書き留めたりした。 

しかし、最近は全くしなくなり、結局何を考えていたかなんて忘れてしまっている。

それでも、その状態がとても心地いいことは確かだ。


僕にとって、単純作業は自分の精神的な状態を整えてくれるし、いろいろなことを考える時間として重要な気がする。 

しかし…その作業を客観的に見る自分もいて…「何してるんだろう?」と後悔することも多い。

「いったい何してるんだろう。ゴミまみれになりながら…」

とにかく、この公開制作劇場のカエルスタジオは今日でおしまい。明日からはいよいよ場所を変え、ここでつくられたものを再構成してなにやら風の強い屋外で展示作業…Kaeruガーデンをつくることになっているが・・・はたしてどうなることやら。
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# by fuji-studio | 2012-08-19 23:26 | ■メルボルンでの活動
つくろうとする態度を、そこにつくる。
メルボルンのアートセンターの通りに面した芝生のところの屋外に、こちらは真冬だというのに3つのテントをたてて、その中で、アートセンターから出る廃材、…一年分のバックライトのプリントポスターを使って屋外の展示作品をつくるデモンストレーションを公開している。


2009年の大阪の中之島とか2008年のサンタフェビエンナーレで行った「かえるシステム」のメルボルン・アートセンターバージョンといったところ。

普通にいろいろな人がテントの中に入ってきて自由につくりはじめる。とくにここにはファシリテーターを置いていない。これは意図的ではなく、単に居なかっただけのこと。その代り僕と地元のアーティストとオランダからのインターンとかが、とにかく自分なりの作業を黙々とやっている状況がそこにある。


たくさんの素材とたくさんの道具と、これまでにいろいろな来場者が制作したたくさんの行為の痕跡がそこにはあり…普通にだれもがつくれるハードルの低い空気が漂っている。

僕らはとにかく来場者に「こんにちは」「どうぞご自由に楽しんで」と声をかけるが、ひたすら黙々とつくり続ける態度をとる。何をすべきかとかなにを作るべきかなんてものはどこにもない。


不思議と皆がまねをして・・・思い思いのモノを作りはじめる。そして思い思いに帰ってゆく。

多いときには一日100人ぐらいの人が飛び入りで参加しする。それ以外に小学校、中学校、高校、大学生と数十人単位のクラスで参加して、思い思いに制作して楽しげに帰ってゆく。


なんども訪れる親子も登場したり、旅行者も参加したりしている。

出来上がったものは持って帰ってもいいし、そこに置いといて9月に一か月公開される屋外のインスタレーションガーデンの作品の一部として飾られることになる。


何かつくるものを決めてそれを作らせようとするワークショップではなく、素材と環境があり、そこに何かを作ろうと懸命になっている態度があることが重要なのだと思う。

その態度に連鎖してついついなにかを作ってしまうのだと思う。

ここにきて2週間が過ぎようとしている。このオープンスタジオのテントはそのままパフォーマンスのようであり、劇場のようであり、デモンストレーションとしてはとりあえず大きな意味のある場となっているが、2週間後からはじまる屋外のインスタレーションガーデンの作品がどのような方向性になるのかなかなか見えてこない。


使っているアートセンターの廃材、バックライトプリント紙が思いのほか使いづらく、苦戦している。去年下見に来て何か使える廃材はないかと話しているときにアートセンターからでる廃材としてこの特殊な素材の話になり、ほぼ一年間捨てずにとってもらっていた。

一見水に強く色鮮やかで丈夫でとてもいい素材なのだが、大きなストラクチャーをつくるには軽しぎてやわらかく、小さな工作には問題ないが大きな接合には接着方法も難しい。、風の強い川沿いの設置場所でしかも一か月持たせる為に強度を作るとなると、いろいろ難しい。


しかし、今日、アートセンターのフタッフと話をして、個人的にはようやくトンネルを抜けた気がした。混沌としているがそれなりの方向性が見えてきた。今回は特に僕の空間というわけではなく、地元のアーティストユニットと参加者とのコラボレーションとなるので、方向性は多種多様。それをガーデン見立てて、とある環境をつくる・・・のだとか。

さてどうなるか…

あと2週間。あっという間だなぁ。
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# by fuji-studio | 2012-08-10 22:08 | ■メルボルンでの活動
メルボルンの中心街にカエルのテントが。
メルボルンのど真ん中にあるアートセンターのキュレイターから連絡が来たのはもう2年ぐらい前のこと。

実は僕は近年、どんどん海外からの仕事が苦手になってきてほとんど無視したり断ったりしている。国内にいてもなかなか自宅に戻れないし、自宅のスタジオにこもって仕事するのが一番いい環境で仕事ができと思っているし・・・(いや、本当に半年以上も使っていないのに家賃だけは払い続けている自分のスタジオで仕事がしたい。)

しかも近年は特に地域系の人とびっちりとディスカッションを重ねて何か活動を立ち上げようとする方向で動いていて、日本の国内のかなり深くかかわっている地域ですら難しいなぁと感じているので、文化も違い、さらに活動が連鎖し、面白イ活動が派生することが期待できそうにない海外での短期間の仕事なんて、まったく興味の対象外だった。


短期の滞在では地域のツボもわからないし、地域のキーパーソンすら出会えない。というか、地域に普通に溢れている素材のことすらわかりにくい。

昔は開発途上国に興味を持っていたし、アジアの状況に興味を持っていたので積極的に出品参加した時期もある。しかし、アジアの経済状況も随分と変わり、むしろ日本の地方の方が結構リアルに問題をいっぱい抱えていて僕としては関わりがいかあると感じている。


・・・ということで、パプアニューギニア時代には好き好んで旅したオーストラリアのメルボルンの仕事だったけど、どうにか自然と断れないかと…話をすればするほど、またこれが断り方が下手でますます興味をもたれて、去年の6月に約一週間招待されてリサーチをすることになった。


結局、ますます断れなくなり、地元で活動するアーティストグループと一緒にやるなら・・・と消極的な条件を出しつつ…そのうちそのアーティストグループが全面的にやってくれないかな…などと考えていた…が、甘かった。

結局、十和田市現代美術館での仕事や新潟での水と土の芸術祭、そして東京の千代田区のアートセンター3331での個展の最中という異常に忙しい状態を振り切ってメルボルンに来てしまった。


とにかくこの川沿いの新しくリニューアルオープンしたホールの外に何かありえない風景を…しかもこのホールの廃材を使って地元の子ども達や高校生、大学生と一緒に作り上げなければならないという結構大変な仕事。

なかなか難しい課題。ほとんど自信がないのもまた珍しい。設定条件が違うのかな・・・?

アートセンターの芝生の部分に…これは僕のリクエストだったけど…公開制作用のテント3つ立てて、ひとつはインフォメーションブース、ひとつは制作工房、ひとつは素材とか作品のストック倉庫として利用し、最終的には川沿いのテラスのあたりにインストールする…という流れ。

今回はたまた3331のオープニングの展覧会で知り合った日本人のアーティストの加藤チャコさんがメンバーの一人であるslow art collectiveというかなりシンクロする感覚のアーティストユニットと一緒にやるというのが唯一の救い。

これ、真冬のメルボルンの寒空の中、一人で制作することを考えると涙ちょちょぎれそうになる。

とにかくやれるだけやるしかない。つくろことに騙されず、がんばろ。 そうか、運動だと思えばいいんだ。・・・たぶん。
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# by fuji-studio | 2012-08-02 21:07 | ■メルボルンでの活動
セントラルかえるステーション、オープンしました。
秋葉原のアーツ千代田3331でのセントラルかえるステーション、わずか3日間の設営スケジュールだったが、どうにかオープンする。

今回、千代田のアートセンターでの開催ということと、ちょうど小学生の夏休みにあわせた時期での開催ということもあり、いわゆる美術展という雰囲気よりは子ども連れの家族が過ごせる場としていかに開放するか・・・というのが課題としてあった。


僕個人としては、アートセンターでしかできないようなフレームをつくることに興味があったが、もう一つの事情として、家に山ほど蓄積された膨大な量に膨れ上がりつつあるおもちゃやぬいぐるみをある程度全部展示してみたかった。


表現は立ち上げるときはとてもビビッドで個人的に熱意があるものの、それが流通する段階になると個人的には興味を失いがちになる。


2000年に立ち上げたかえっこシステムについては2003年までは積極的に熱意を持っておこなってきたものの、そこから先はかえっこに関わる業務は妻に行ってもらい、僕個人としてはいかにビニぷら、かえっこから逃れるかというのが大きな課題としてあった。


しかし、そんな思惑とは関係なく、2003年以降、借りていた養鶏場のスタジオは全国から届く返却されたかえっこのおもちゃで山積みになり、作業場が占拠される日々。


一番のピークは2005年の神戸で開催された神戸かえるキャラバンの終わった後、ほとんど一年間、制作スタジオに制作するスペースがなくなったほど。


そのあたりからおそらくスタッフにお願いしてハヘン系とM系とヌイグルミの分類をはじめたのだと思う。

同時に金沢21世紀美術館のオープニング展でかえっこシステムが出品され、地域の人たちが主役のイベントとして僕の手から離れているかえっこに寂しさを感じたこともあり、かえっこを「おもちゃの廃材が集まってくるシステム」として捉え直し、個人的な空間づくりの素材として使ってやろうともくろみ始めた。


パプアニューギニアでであったヤシの林の中の太平洋戦争中の日本軍の戦闘機のイメージや、飛行機の像を神のような存在として崇めるイメージなどから戦闘機と十字架を掛け合わせたイメージの像を1990年代制作し続けていたが、それを鳥の姿に重ねるようになり、それを作りはじめたのが最初。


しかし、あまりにも多いファーストフードのおまけ系をいじるうちにリングが生まれ、花と鳥をつくるようになり、「花鳥画か!」と突っ込みをいれつつもそれなりにつくる喜びを思い出し…


妙なもので…福岡の養鶏場跡地に自由に使える作業場を確保した瞬間からモノをつくる興味を失い、対話やシステム構築を主流とする表現活動に向かったものの、作業場がその結果のおもちゃや廃材で埋まった瞬間から、ものづくりに飢えてつくるはじめる…そんなものなのかなと思う。


そして制作スタジオを確保しつつ、一生使い続けてもなくなることのない大量の素材を手に入れた瞬間に、こんどは制作する時間がないということに気付く。


可能性と経験値は反比例すると考えている。何もしない赤ちゃんは可能性は100%だが、いろいろな経験を重ねるごとに、その分野での専門性や経験値は高まるが、その経験に付随することに縛られて、結局死ぬ前の瞬間は経験値100%だが可能性は限りなくゼロに近づく。


40歳を過ぎた頃、峠にいるなと感じつつ、経験に引っ張られる自分に抵抗していたが、それをあきらめた結果なのかもしれない。

とにかくかえっこの藤といわれるのが嫌でそこから離れられない自分が嫌な面もあるが、それを逆転させようと企てたのがこの展示…なのかなぁ。

※ちなみにキャップに埋まっているのは某犬の鳴き声系の建築事務所の塚本さんです。大丈夫か!


今回は個人で集めた素材だけではなく、展示の外側に隣接して、廃棄物の中間処理業者のナカダイに素材市と素材のリビングルーム(?)を展開してもらっている。

個人で家庭から排出される素材をストックし続けながら、一方で圧倒的な量の産業廃棄物について目をつぶることができなかったことから、ついに2010年の夏、青森ねぶたの廃材を一台分丸ごと貰い受けてしまった。


じつはこの分野にも可能性や期待を大きく感じている。

ところで、オープニングや平田オリザさんとの対談などにもたくさんの方にお越しいただきましたが、なかなか話ができず、ご迷惑をおかけしました。

9月9日まで展示していますのでぜひ藤家の家の中にストックしている素材の一部…(全部ではないのが凄い!)…を体験してください。







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# by fuji-studio | 2012-07-15 23:19 | ■東京での活動
新潟の水と土の芸術祭がスタートしました。
新潟の水と土の芸術祭。

打ち合わせ、仕込みのために訪れて、もろもろしているうちにあっという間に一か月。
ついにオープンしました。

このために東京と神戸に暮らす知り合い二人を中心に全国の部室的な活動と部活動的な活動事例を調べてもらっていて、その一部をブログサイトに公開し始めています。まだまだ未整理ですがよろしければ面白く、興味深い活動がたくさんあるのでご覧ください。

http://kaerugumi.exblog.jp/

で、新潟の水と土の芸術祭ではデモンストレーションとして新潟の3つの会場で部室をなんとなく公開してもらっています。一応facebookのサイトがありますのでそちらで雰囲気をご覧ください。

http://www.facebook.com/?ref=logo#!/groups/366460656736053/

しかし、いろいろ調べてみると、部活動は今急上昇。ちいきにいろいろな部活動が発生していることは間違いありません。そして部室的な居場所づくりも様々なケースがあり興味深い。しかしまさにこれぞ部室というような典型的な事例はなかなか数少なく、これから全国に広がる気配を感じています。

もっと面白いオリジナルな部室がいろいろできてくるといいなと思いながら、「部室をつくろう!」「部室募集」のフライヤーを制作して配っています。

オープニングにプレゼンテーションの展示の横の手部の部室にいるとなんと安斎(重男)さんが登場。作品の場にわずかに10分ぐらいしかいなかったのですが、そこを狙ったかのように登場し、僕の写真と部室の写真を撮影してゆきました。さすがに天才。

安斎さんはぼくが学生時代、当時部室化していた一軒家を突然訪ねてきて、部屋中に落書きしたり、東京までの長距離電話をかけたり、いたずらされたのが最初の出会い。その後も要所要所でふらりと登場して作品や僕のポートレートを撮影してくれています。

やはり凄い人だな…。

水と土の芸術祭、3つの部室以外ほとんどめぐることができませんでしたが、wahとナデガタの作品は体験し相当よかった。曽我部さんも相当頑張っていました。まだお会いしたことのない大友さんと飴屋さんの空間もかなり感じました。いちどちゃんと廻らなければ…。時間あるかな…





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# by fuji-studio | 2012-07-13 16:15 | ■新潟での活動
新潟で部室ビルダーな人たちが集まってミーティング
新潟の水と土の芸術祭まであと一か月をきってしまった。

今回出品する作品(?)は部室ビルダー「かえるぐみ」という部室をつくるという概念とネットワーク。

システム型の新しい展開・・・のつもり。


今回の水と土の芸術祭のメイン会場となる水産会館荷上げ場跡の一角の小さなスペースと、新潟の古町という中心市街地の商店街のど真ん中と、沼垂というお寺と市場の素敵な人の匂いのする古くからの街のエリアの3か所の空きスペースを部室として利用することになった。


全く違うタイプの3つの部室が新潟の水と土の芸術祭で展開しそう。

今のところ、「手部」「クリエイティ部」「カリ部」の3つが部活の拠点、部室として使う予定。


手部は水と土のメイン会場で芸術祭のサポーターを中心に、芸術祭に来るアーティストと楽しく過ごしつつ、手作業を重視した部活をやるのだとか。「クリエイティ部」は古町や新潟のまちなかの風景や人に関わり、なんだかすごいことをする部活なのだとか。


そして「カリ部」はカリブ海の海賊にあこがれる沼垂の海賊団を目指す部活をやるのだとか…。

そしてそこに前橋とか氷見とかいわきとか十和田とか(?) ほかの地域の様々な部活や部室の活動とのネットワークを作り…

どうなるんだろう・・・?


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# by fuji-studio | 2012-06-17 23:39 | ■新潟での活動
コンピューターを使い始めた世代だからかなぁ…(再考…というわけでもないが…)
僕が普通に仕事にコンピューターを使い始めたのが1988年。マッキントッシュのIIFxというグラフィック系の仕事でつかえるマシンが会社に導入され…でもまだCADはコマンド入力でAutoCadを使っていたし、ワープロは専用のワープロマシンがあった時代。



おそらく、88年ぐらいから急激にデザイン事務所ではMacを導入しはじめていたが通信ネットワークはまだこれからというかんじで、当時名刺にe-mail アドレスを入れてみたが、ほとんどの人が「何それ?」という感じで無視された記憶がある。

僕自身コンピューターの知識があるわけではなく、仕事でとにかく使わなければならないという事情から、使い始めた訳だが、いろいろな考え方が新鮮で、当時の、あるいはその後の僕自身の考え方に大きな影響を与えてしまった。

そのひとつがOSというありかた
いろいろなアプリケーションを起動させるための基本システム。オペレーションシステム。

ちょうど当時まちづくりとか地域計画のコンサルタント等を行う、都市計画事務所に勤めていて、地域に主体的な活動を作るデザインのようなことを考えていた頃、このOSという概念がぴったりときた。 

当時行政はハードとソフトという言い方をしていて、いわゆる箱モノ行政といわれるハード整備事業に対する批判が出てきて、世間ではソフト事業だと言い出して行政がイベントなどのプログラムに着手し始め、「いや、そうじゃないでしょ。OSを作らなければならないのであって、アプリケーション作っちゃいけないでしょ!ソフト事業は民間がいろいろ提案できるような基本システムを作らなけばならないのに…」と独り言のような突っ込みをいれていたが、当時はささやきにもならなかったし、ほぼ無視された。

それを美術の業界に持ち込んで、OS的なという言い方をしていたが…モノやコトをつくるだけではなくて、シクミを作ることで空間が成立するということに対して興味を持ち始め、その具体的な例をつくろうとしていた時期もある。その感覚や概念はOSが発明された以前にはなかった概念だと思っていたので、とにかく新鮮だった。

地域でのアートプロジェクトはまさに地域の多種多様多層なプログラムを起動するためのOS的なものだと考えるとわかりやすいと思う。決して汎用性のあるOSではなく、地域独自のOSだと思うが、重要な点は更新されてゆくというところにある。コンピューターのOSの寿命はせいぜい5年ぐらいだと思うが、地域のアートプロジェクトのOSも更新してゆかなければならない質のものだと思っていた方がいい。

そして、レイヤー(層)という概念。

CADを使い始めたときに出会ったこの概念には相当助けられている。 地域を考えるとき、いや、物事全般のあり方を考えるとき、このレイヤーの感覚を持っているのとそうでないのでは相当変わってくる。

先にちらりと言葉でつかってみたが、まさに多種、多様、そして多層な視点でとらえ、それに時間軸を加える感覚が必要なのだと思う。

先日書いた拠点と仕組みの話でも、平面的な感覚で考えていたら、それが見せるための拠点なのか、つくるための拠点なのかと二者択一の話になりがちだが、実は多層な視点を持ち込むことでそれは同居できることになる。 つくる施設なのか、見せる施設なのかは平面上のどちらがいいのかという問題ではなく、層の全く違う問題なので、それぞれの層を考える必要があると捉えることができる。

そしてアンカーポイント

アンカーポイントはイラストレータというアプリケーションを使い始めた1989年に出会った概念。イラストレータというソフトを使ったことのある人なら知っていると思うが、いわゆる曲線を描くときに曲線の変わり目となるところを指定するポイントのことで、画面上にアンカーポイントを打ち、そこに次のポイントへのベクトルを指定することで、曲線を描く。

それまでは曲線を描くときは座標上で連続する点を集合させることで曲線に見えるようにつくるデータであったのに対し、このアンカーポイントによる曲線(ベジェ曲線というらしい)は曲線の曲がりどころにポイントを打ち、次に向かうベクトルの属性を与えることで曲線を描くという画期的な考え方だった。コンピューターのシステムのことなんかさっぱりわからなかったが、とにかくこの曲線の描き方には感動した。

当時「アンカーポイントの旅」という詩のような文章を書き、1992年の大阪での展覧会には空間一部屋使ってそのタイトルのインスタレーション作品を展示したほどの入れ込みよう…

一番何に感動したのかというと、…アンカーポイントで描く曲線を…自分の活動の紆余曲折に例えるわけだが…、現在打つアンカーポイントのベクトルの方向と強さによって、過去からここまで来ている曲線の表情が変わるという点だった。ひとつ前に打たれたアンカーポイントには座標とベクトルが与えられているわけだが、座標は変わらないのだけれども、曲線の表情は変わる。

つまり、このアンカーポイントの打ち方次第で過去の意味が変わるという点に気付き感動した。

人は生まれてから死ぬまで、時間軸をひたすら進むとすれば、後戻りできない一本の曲線を描いているようだと感じ、何かどこかの場所で何らかの表現をするということはアンカーポイントを打ち、次のベクトルを表明することなんじゃないかと思った。強い意志のときは強いベクトルだし、自信のないときは弱いベクトル…しかし、ポイントを打たなければならない節目がその時々にあり、それをどこに打つかでどのような曲線が描けるかが変わる。似たような場所に弱いポイントをたくさん打つような時もあれば、突然とんでもないところに全く違う方向性と強い意志でありえないポイントを打つことだってできる。



次に打つポイントの座標とベクトルで将来の曲線が変わってゆくということはイメージしやすいが、実は次に打つポイントの座標とベクトルで過去、つまりひとつ前に打った座標からの曲線の表情が変わるという現象は、過去は変えれないことが当たり前だと思っていた考えを覆し新鮮だった。

過去の活動の事実は変わらないとしても、その意味変わる・・・過去に行った行動の意味は現在に行っている行動によって変わる…という事実を教えてくれた。

このアンカーポイントを打つという感覚はプレゼンテーションの作り方にも活かされている。僕はアンカーポイントの終着点を設定しないやり方…つまり目標とか到達点とかいわゆる「こうありたい」とかのビジョンのようなものをなるべくつくらず、活動の連鎖を重視しているので、最終的なイメージを求められることの多いプレゼンテーションでは説得力を失うことが多い。それに対して…おそらくこれは僕のオリジナルのプレゼンテーションの作り方だと思うが…過去と現在までの状況を説明したうえで、次のポイントの座標とベクトルを明確に、しかも説得力だけを盛り込んでつくることにしている。・・・とはいえ、最近はプレゼンテーション資料すら作ったことがないが…。

とにかく、OS,レイヤー、アンカーポイント…ずべて89年ごろ心に響き、影響をうけ、その後もずっとある意味更新されていない概念。

しかし、当時は通じなくて苦労した感覚だが、さすがにそれから四半世紀が過ぎて、これらの感覚が当たり前の世代が地域での活動を動かしている。そのあたりの感覚が前提になっているのはうれしい。

でも、そろそろ更新したほうがいいのかなぁ…。 今の30歳ぐらいの人は何に影響を受けて活動しているのかな…

なんだか最近、古い話ばかりですみません。

過去の関連するブログ
秋葉原のアーツちよだ3331の設営3日目

ストラクチャル・アート?



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# by fuji-studio | 2012-06-07 00:10 | ・思索雑感/ImageTrash
そういえば藤浩志企画制作室20周年記念日だった
6月6日はかえるの日だってことを知ったのは2000年ぐらいに福岡で「福岡かえる展」というかえる好きが集まった展覧会に出品することにいなった時に教えてもらい初めて知り、偶然の一致に驚いたことがある。

6月6日というと、このブログタイトルにもなっている藤浩志企画制作室という個人事務所の設立記念日。

実は、1992年に青山スパイラルガーデンでの当時にしては大規模な個展が6月に決まり、当時勤めていた都市計画事務所を辞めることにして、何か事務所名が必要かなと考えて、なんとなくつけた名称が「藤浩志企画制作室」

個人事務所を語ると設立はいつですか?と聞かれることが多くなり、実はしばらくしてから設立日を設定しようということになり、なんとなく6月6日に雨ザーザー降ってきての絵描き歌が好きだったので6月6日とすることにした。その日がまさか全国的にかえるの日として認定されているとは…。

その時制作していたのが当時一か月分の給料すべてで購入した一トンのお米が古くなり、それで2048匹のお米のカエル(かえるの形のおにぎり)を作っていたころ。2048匹のお米のかえるを作るためにサラリーマンをやめて、藤浩志企画制作室をつくったわけだから、その設立の日が「かえるの日」という運命に驚いた。


そしてなんとついに20周年。さらになんと…いまだにかえるを引きずっていて、この7月15日からはじまる展覧会のタイトルが「セントラルかえるステーション」どこまでもかえるから逃れられない。(展覧会は9月9日まで・・・あ、9月9日は息子の誕生日だ!)

十和田に来てみるとなんと十和田市では昔、全国かえるジャンぴょん大会なるものを行っていたとかで、街のあちこちにかえるがいる。かえるはずっと追っかけてくる。

それにしても・・・藤浩志企画制作室という名称をつけたことで、こんなことになったんだなと思う。企画室だったら、もっとちゃんとした企画事務所になっていたかもしれないし、ちゃんと流通を目指していたかも。


あるいは制作室だけだったら、現場をまわることなく、いろいろ作品を制作するスタンスで結構売れる作家になっていたりして…。

もともと制作する時間を過ごすのがたまらなくいい。しかし何を制作するのかが自分の中から湧き出てくるタイプではなかったので、それを企画するのが重要だと思っていた。企画が決まれば制作に没頭できる時間ができる。本当は制作に没頭する時間を企画したかったのかもしれないが…いろいろな現場を回るうちにいろいろと考えてしまうので、OS的とか地域の主体性とか水の役割とか・・・結果として、もろもろの状況を作ることになってきた。

実はこの企画制作室というのを数年前から離れようとしていた。そもそも、この名称の裏側には藤浩志という自分自身を企画して制作するという意思を名前にしたもの。しかし、最近、その意思が色あせてきた。

もっと流れの中にあっていいと思うようになったからかな・・・。というか、自分自身の抱える素材が膨大になり、制作するべきものが膨大になり、もっと自分とか作品そのものに向かい合う時間がほしくなったのだと思う。

コアとしての自分をひたすらオープンにするためにはそのフレームすらもう必要なくなったのかも。

とにかく、藤浩志企画制作室20年、おめでとう。 しかし、そろそろ僕自身も「かえる」時かな・・・。





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# by fuji-studio | 2012-06-06 06:06 | ・思索雑感/ImageTrash
仕組みが先か拠点が先か。それは問題ではなく、その在り方について(再考6)
地域の活動を作ってゆく上で、活動を作り出すための仕組みとして、アートプロジェクトというフォーマットがとても有効に利用できるのではないかと考えている。仕組みをつくることで、地域資源としての様々な場を使い、いろいろな表現が展開することで、そこから活動の連鎖を促すことができる。

仕組みがなければただの空き地だったり空き家だったりで、そこにまさに様々なアプリケーションが起動するかのようなOS的な仕組みを組み込むことで、場は活きはじめる。 

一方で仕組みをつくる為には様々な人とのつながりが必要だし、活動を作りたい人を集めるための場…つまり拠点が必要だという考え方もある。とくにまちをどうこうしようというのではなく、とにかく場を設けることでそこが吸引力となって面白い人たちが集まってくる。集まることで何かそこから活動が滲み出てきて、結果的に地域の活動の仕組みができてしまう。

仕組みと拠点の問題は鶏が先か卵が先かの問題で、地域のプロジェクトの現場では必ず論議される時期の来る問題だと思う。実はどちらが先かなんてことはあまり重要ではないじゃないような気がする。実はたぶん、何らかの形で成長する段階でどちらもが必要になってくるのだろう。問題はその在り方だと思う。

拠点をもたない仕組みの場合、不必要に集まるところや集まる時間がないがゆえに、目的志向の会議、目的志向のイベントになりがちで、不必要な、無駄な要素が排除されがちになる。目的に合致した要素を集めることができても、目的以外の要素は集まりにくい。場を持たないメリットももちろんある。 場所の運営費用に束縛されないという面はとても大きく、予算を活動そのものにかけることができる。束縛されるものが少ないので、プロジェクト事態に色が付きにくいこともあり、変幻自在に変化してゆける可能性を持っている。また逆に自由であるがゆえにプロジェクトの継続性を保ちにくい面もある。

一方拠点を持ちつつ運営する場合、いつでも常時予期せぬ誰かと出会う可能性が出てくる。その場の持つ空気感のようなものが人をひきつけ、こちらから声をかけなくても、場そのものが魅力的だった場合、そこに人が集まってくる。エネルギーを持つ人が集まるとそこから自然と活動は湧き出てくる。一方で家賃、光熱・通信費、その場を運営するための人件費などの問題も発生する。場を運営してゆくために活動を作らなければならないという束縛をうけることになりがちで、場の方向性に自然と色や傾向がつくことが多い。

この仕組みと拠点が成長してゆく段階でぶつかる問題…。それはそこで展開される表現の完成度や強度に対する意識との葛藤のようなものかな…。

ここで再認識する必要があるのは、「活動をつくる」ための仕組みであったり拠点であったはずだということ。しかし当たり前のように「しっかり見せる活動」も必要となってくる。

ここで再認識しなければならないことは、「完成された活動を見せる」ための仕組みや拠点とは根本的に異なる性格のものだということ。つまりそこに過去における美術館やギャラリーのシステム、あるいは劇場等のシステムや国際芸術祭などのシステムとは異なり、あくまでも「つくること」にベクトルがあるかどうかによる。ということじゃないかなと思う。

自分自身の活動を振り返り、「つくるための拠点」づくりと「つくるための仕組み」づくりにどれだけの時間とお金を費やしてきたかを考えるとぞっとする。そしてその運営のためにもろもろの右往左往を余儀なくされてきた。

僕自身の性質として、完成されたものを楽しむ時間よりも、つくるというプロセスにいる時間が好きなだけなんだと思う。もちろん完成されたものを楽しむ時間も楽しいし、生活の中には必要だと思う。しかし、つくる時間にいる面白さを捨てることはできない。だって誰かが作らなければ、次の時代の完成品はできないんだものね。

仕組みと拠点が車の両輪のように必要だとして、その縦軸に「つくる」ところと「みる」ところはやはり両輪のように必要なのだと思う。その限りなく「つくる」ところに近い現場にもっとも興味があるということだと思う。









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# by fuji-studio | 2012-06-06 01:01 | ・思索雑感/ImageTrash
イメージはどこから来るのか。(再考5)
「自分の内側からイメージが湧き出てくる…。」

美術大学で美術を勉強していた頃、イメージというのはアーティストの内側から湧き出てくるものだとばかり思っていたし、そのように教えられているような気がしていた。(誰に教えられたのかさっぱりわからないが…)

確かに周りには自分の内側からイメージが湧き出てくる人もたくさんいて羨ましかった。

しかし、僕の場合、どうも自分の内側を覗き込んでみても何かを吐き出そうとしても、たいしたものはなく、自分の中には何もないということを思い知った。

自分の中から出てくるイメージはせいぜいアニメや漫画で植えつけられたイメージと、どこかで見たことのある教科書やメディアからの知識と、あまり思い出したくないような数々の体験の記憶と…。

とにかく自分の内側から湧き出てくるイメージなんてろくなものではないとあきらめた時から、意外な形でイメージが湧き出てくることに気付いた。

人との対話の中からイメージは湧き出て来る。場所との、素材との、様々な対話の中からイメージは湧き出て来る。

作家は自分の中からイメージを作り出すものだという教訓のようなものを無視して、むしろ作家なんかにならなくてもいいと思った頃から、興味深く実現したいと思えるイメージが後輩や友人との会話の中から湧き出てきた。

やりたいことがあったわけではなかった。「何かがやりたい。」という思いは強かった。自分自身をエネルギーの巨大なゴジラに例えるぐらい、単に動きたかった。動ければなんでもよかったんだと思う。

たまたま演劇をやりたいと思っていた友人が横に座っていたので、演劇をやりはじめたし、なにか面白いことをやりたいと思っていた後輩がいたから面白いことをやろうと思った。

劇団の仲間や後輩と嫌になるほどの対話を重ね、演劇空間に対しての対話をはじめ、その挙句に京都のまちとの対話の中で活動をつくってゆく面白さに出会い、右往左往して、パプアニューギニアの奥地で社会学者のフィールドワークという手法と出会う。

日本に帰り土地再開発業者・都市計画事務所での修行を経て紆余曲折の後…

地域のリサーチから始め、地域に対話の場をつくり、そこから出てきたイメージを地域実験として活動を立ち上げるという手法を導き出してみた。

ある時、イメージが立ち上がる前の状態があることに気づき、その状態を「モヤモヤ」と名付けてみた。

モヤモヤはイメージを作り出す種だとあらゆるところで話はじめると、そのモヤモヤという言葉が一部ではやり始めた。モヤモヤは個人の中にも、家庭や企業の中にも、地域社会の中にもいろいろな形であり、共感する人が多かったのだと思う。

モヤモヤはどこから来るのか。それは日常の対話の中で抱く違和感やズレのようなものから発生するのではないかと考えるようになった。多くの場合無視するように心がけている違和感やズレ。それが実はイメージを発生させる大切な種なのではないか。

あらゆる種類の対話の中でふと抱く違和感。それを無視することなく、それに向き合い、これを語ろうとする、なんらかの具体的な、具現化された形にしようとする。そこから実はイメージが発生するのじゃないかな…と思っている。

個人の違和感、地域の違和感をしっかり、なんらかのイメージとしてしっかり形にできるとすればそれはどのような手法がいいのか。それは様々な手段で表現しながら考える…というのがいいと思う。



過去の関連ブログ
イメージはどこから発生し、どこにゆくのか?

3331での311のモヤモヤ会議

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# by fuji-studio | 2012-06-05 23:15 | ・思索雑感/ImageTrash
地域で表現することとその仕組み。(再考4)
表現することって自分自身の日常の行為を超えることなんじゃないかなと考えている。

どちらかというと流されてしまっている日常の違和感をはたと立ち止まり疑問視して、客観視し、それを何らかの形として表に現す。

それはどんな手法でもいいと思うが、それぞれに得意とする、あるいはフェチとする手法があるのだと思う。言葉を使うだとか、楽器をつかうだとか、行動で現すだとか、描いてみるとか・・・、しかし、その手法すらも、自分自身で決めてしまい固定されてしまっていたり、不自由になっていたりして、経験を重ねればそれだけなお、自分自身を超えるハードルが高くなる。

まったく絵を描いたことのない人が絵筆を持ち、自分の感情を画面にぶつける経験ができたとしたら、その人にとってそれは大きな表現だと思うが、描き始めた絵を毎日のように描き重ねるうちにそれが日常化してしまう。その状態に違和感を抱き、そこに向き合い、自分の感情を超えることができかどうか。それがつぎの表現となる。

その意味では表現はつねに相対的な行動の中にあり、連鎖を促す特質のものだと思う。最初から強度のある表現はできないが、表現を重ねることでとんでもないところまで行く場合もある。

それはおいといて、いま、ここでは注目すべきことは表現することで周りとの関係が変わるということだと思う。 関係が変わるということは存在の仕方…あり方そのものが変わるということ…

日常料理をしたことのない人が料理という手段を使って表現をしはじめるとする。今まで興味もなかった食材、あるいは調理器具、台所との関係が変わってくる。これまでは縁のなかったスーパーの野菜売り場や市場やあるいは畑までもが関係のある重要な場として輝き始める。

しかしそのうち料理は日常の行為になる。最初は自分の食事しか作らなかった人が周りの人の分まで作るようになるとすれば、それはまた表現だと思う。同居人や家族はありがたがるか迷惑がるかわからないが、年齢や嗜好や健康を考え食材や調味料を選ぶようになり、一緒に食べるという時間をつくることになる。さらに表現が深まり、10人分作りはじめたとしたら、ホームパーティを開催することになったり、料理のデリバリィをしはじめたり…関係はさらにとんでもない方向へと広がってゆく。

日常の行為をふと客観視し、日常を超えることで表現は始まり、それは次の表現への連鎖へと導く。

いつもの通勤路をほんの少し早起きして少しだけ遠回りして歩いてみる。それが日常化したら、今度はもっと拡大してみる。降りる駅を変えてみる。あるいは自転車で通ってみる。地図をつくりはじめる。写真をとってサイトにアップしてみる…。些細なことから表現ははじまり、それは日常の関係に変化をもたらす。そして、どこまでも連鎖を促す特質を持っている。

地域の中で様々な表現を展開するのはどうだろう。

表現することは何も絵を描いたり音楽を奏でたりすることだけではない。

地域の中で当たり前になってしまっている日常をふと見つめ直し、違和感に向き合い、日常を超える表現を試みることで地域の中の様々な関係が変わり、表現の連鎖がはじまる。

地域に日常には様々な地域素材があり、活きているものもあれば、眠っているもの、まだ誰もその価値に気付いていないもの、発芽する前の状態のもの様々にある。

地域素材にはいろいろな種類のものがある。産品と呼ばれる生産物素材。生産物に付随する様々な技術素材、あるいはそこから排出される廃棄物素材。もしくは歴史的遺跡や近代遺産、あるいは空き店舗、空き家、廃墟、個人的な思い入れのある様々な建造物素材。公園や河川、海岸、山林、鎮守の森、空地などの空間素材。歴史や伝説、言い伝え、風習も含む物語素材。そして様々な人材等々…。

それらが表現しはじめたらどうなるだろう。これまで関係のなかったものが様々に繋がり始め、些細な活動は活動へと連鎖をはじめる。

(それらのものと自分自身との関係が深まるということは、自分自身の在り方、存在の仕方そのものが変わってくるということをも意味する。)

様々な実験的な表現を展開できるかなり自由度の高い仕組みとしてアートプロジェクトというフォーマットはあると考えている。

・・・と書いてみたが、その一方で…表現なんかしなくていいんじゃないか、そのままでいいんじゃないかという意見も聞こえてくる。…まさにその通り。表現なんかしなくてもいい。 しかしせざるを得ない性質の場合、仕方ないんだと思う。…それと、関係を変えたいと思っている場合とか…このままではいけないと思っている場合とか…

まあ、仕方ないんだろうね。

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日常的な行為と表現行為との違い。
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# by fuji-studio | 2012-06-04 23:59 | ・思索雑感/ImageTrash
つくる時間を楽しむ。(再考3)
つくる時間を楽しむ。つくっている時間が楽しい。つくっている時、何かの作業に没頭している時間がとてもいい。当たり前の話だが、完成してしまうとその楽しい時間はその余韻を残して終わってしまう。

つくる時間は何かを期待する時間だと思う。少なくとも何かができるという希望に向かっている時間である。

希望が持てない時間にいるとすれば、とりあえず、なんでもいいから作業に没頭してみるのがいいと思う。そこには不思議な時間が発生する。

子どもの頃、喘息が苦しくなるとプラモデルをつくって苦しみから逃れる技術を学んだ。

とにかく、プラモデルをつくる時間が好きだった。箱に描かれたイメージを目指してバラバラの部品を組み立て始める。一旦組み立て始めると夢中で作っていた。

しかし出来上がってみるとイメージしていたものとはなんだか違う。こんなもんかな?と 箱に描かれた絵と見比べてみるが、なんだか違う。


プラモデル屋の店先に飾られたリアルな模型の数々に刺激を受けて、それなりに塗装し、汚し塗装も覚えて頑張った時期もある。その時が一番楽しかったかもしれない。

特別な材料や技術を手に入れ、なんでも作れるような錯覚を楽しんでいた。しかし、そのうち限りなく上の世界の技術と出会い、自分の限界を知りいつのまにか遠のいてしまった。

プラモデルを作りはじめた小学一年の頃、父親がまだ難しいだろうと横から手を出して作ってしまったことがある。この時ほどのショックはなかった。

完成したプラモデルをもらっても何の楽しみもない。楽しみのすべてをもぎ取られた感覚は今でも残っている。


住宅や家財道具、家庭生活全般にしても同じかもしれない。

本来生活のすべてを自分でつくることほど贅沢な時間はないとわかっているのに、すべての技術を身に着けているわけではないので、専門家に頼んだ方が良質のものが揃うことを知ってしまっている。

しかもつくる時間なんてどこにもない。せいぜい仕事をして稼いだ給料で格安のモノをそろえて生活らしさをつくることで納得しようとする。あらゆる情報を追っかけるだけで日々の時間は過ぎてゆく。


父親や母親が子どもの為にとせっせと家庭らしさを購入して揃えていった時期もあったと思う。

揃えてゆく側は楽しいに違いないが、ただ押し付けられた子ども達はどうなのだろう。何が楽しいのかなにが有難いのかさえ分からなくなってしまっているのだと思う。一緒に生活をつくる時間をはたしてどれだけ楽しんでいるのだろうか。

まちについても同じことがいえるのかもしれない。


つくるプロセスにおいて、様々なコミュニケーションが発生する。それがとても貴重だということは理解していたはずだ。

素材や道具と向き合う深いコミュニケーション。自分の感覚や常識とその場とのコミュニケーション。そして一緒につくる人との様々な質のコミュニケーション。

つくる時間がもぎ取られているとすれば、それはコミュニケーションそのものがもぎ取られていることになる。

全国各地で様々な形で発生しているアートプロジェクトを、地域の中に「つくる」プロセスを発生させる新しいシステムとして注目してみてはどうだろうか。

決して完成することのない地域活動にふさわしく、様々なつくる時間を発生させるシステムとしてアートプロジェクトはある。

そこには多層でさまざまな質のコミュニケーションが生まれ、予期しなかった関係が発生する。そしてそこから様々な活動の連鎖が生まれてゆく…のではないかなぁ。


※写真はプラモデルをつくる写真と20年以上前に購入した中古のシンクに組み込んだカウンターテーブルのイ上の使用歴10年以上と5年以上のなじんだ醤油さし、そして全国初?制作中の総ぬいぐるみ断熱の壁。



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# by fuji-studio | 2012-06-03 21:18 | ・思索雑感/ImageTrash
アサヒアートフェス10年のアーカイブのためのいわき湯本での合宿
アサヒアートフェスティバルが10年経過し、その10年をまとめようということで、かれこれ1年前ぐらいからぼちぼち動き始めている。去年は10周年の本をどのようにつくるかという編集をスクール形式でおこなったが、その流れで、アーカイブはウェブ上で行ったほうがいいという話と、ちゃんとつかえるようなアーカイブや本の話を重ねてきた。

で、今年はウェブでのデジタルアーカイブについて専門家を招いて勉強会をしつつ、実際のアーカイブの制作に向かうというもの。

今回の合宿では今年参加の多い福島県のいわきの湯本の温泉ホテルで合宿し、実際に入力する「入力祭り」つき。入力していたのはわずか数時間で、あとはいろいろないわきの現場を見て回るツアー。


大型観光バスの運転手はいろいろ狭いとことを走らなければならないので不機嫌だったが、なかなか興味深いところを巡る。

その中で特に小名浜のUDOKというスペース。これはまさに僕が探していた部室を実践しているところ。


晴耕雨読からネーミングをとっているが、晴耕を昼間の仕事の部分とすれば、雨読は仕事していないときのこと。それを場の名称であり、コンセプトとして、小名浜の街中にまさにまちに開かれた部室のようなあり方で存在していた。


メンバーを部員と呼んでいて、部費をちゃんと集めているあたりもまさに部活動。しかし、活動はそれぞれ様々で余計なものや余計な価値観に縛られていないところがいい。

しかもこのUDOKの中心メンバーはなぜだか新潟と縁が深い。

面白くなりそうですね。この部室活動。





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# by fuji-studio | 2012-06-03 14:09 | ■福島・いわきでの活動
地域活動での土、風、光、水の性質について(再考2)
数年前、とある地域でのシンポジウム会場で「土の人」と「風の人」の話題になり、違和感を持ちながら聞いたことがある。いろいろな地域で活動を行おうとすると、外から来る人に対して「どうせすぐいなくなるのだから何も期待していない」と拒絶する態度と出会うこともある。その会場では地元の人を「土の人」と呼び、外から来たアーティストを「風の人」と呼んでいたのだけれど…。確かにそういう面もあるが、そう単純なものでもないと思う…。

土・風・光・水・4種類の性質

人にはいろいろな性質(たち)がある。何か面白い種を見つけると、自分で所有して育てたがる性質。何かに使えるんじゃないかと思い様々なところに運び何かに役立てようとする性質。その素晴らしさを広く多くの人に伝えたがる性質。自分の楽しみとしてその存在そのものを面白がる性質。人はそれぞれ複雑にいろいろな性格を持っているので、単純に分類はできない。しかし、それぞれ接し方に性質の違いがあり、自分自身がどういう性質なのかについてはその複合度合も含めて自覚してもいいような気がしている。

それを仮に種が発芽し成長するために必要な4つの要素に例えてみる。

土の性質 自分のフィールドで育てたがる
風の性質 いろいろなところに運びたがる
光の性質 いろいろな人に紹介したがる
水の性質 とにかく興味関心を注ぎ面白がる

地元で地域のことを憂い考え、何かしなければならないと考えている人の多くは土の性質が色濃くあると思う。しかし地域の歴史も含めた様々な地域遺産に光をあて、地道に研究、発表している光の性質の人も地域には数多くいる。

地域の内側からは見えにくいかもしれないけれど、地域の特性や面白いものをちゃんとほかの地域で語り広げようと外で活動している風の存在も忘れてはならない。そして最も注目したいのはいろいろな興味深い活動に必ず登場し楽しんでくれる水の存在だと考えている。

土の豊醸化

土の性質の人は土地に根差している人が多いものの、意外と外からやってきたり、あるいは一度外に出て帰ってきた人も多い。その土壌の質について客観的に捉える視点を持っていて、愛着を感じつつ、そこで活動を育てようとする。

問題はその地域の土の質なのかなと思う。肥沃で豊饒な土地であれば問題はないが、荒れ果てていたり、傷だらけだったり、病んでいたり、枯れていたり、薬漬けにされていたりする場合もある。「文化なんて無縁の不毛の地だ!」と自嘲する声も聞こえるが、実は地域の豊醸化(ほうじょうか)は小さなきっかけから動き出す。

地域でなんらかの表現行為を行うことは、苗を植える行為に近いんじゃないかと考えてきた。

仮に開花しなくても、実が収穫できなくても、その苗は枯れて土に戻り、養分になり、つぎの苗の開花に繋がる。そのように考えると無駄な表現行為は一切ないんだと思えてくる。どんな些細なつまらない表現行為でもなんらかの養分として、その土地の経験として蓄積されるのだと考えれば、なんだってやってみたほうがいい。

まったく閉じた環境にある場合でも、土が熱を発することで上昇気流が起こる。突然、なんらかの要因でその地域に光があてられはじまる場合もある。あるいはその地域で何か事件がおこり、ヒートアップする場合もある。もしくは地域で誰かが動きだし、何かが始まり発酵し、それが地域の熱になることもある。

とにかく土が熱を帯びはじめると上昇気流が生じ、風が吹く。その風に乗り様々な人、モノ、情報等が流れ込んでくる。たまには新しい種を運んでくる。あるいは風は雨雲を運び、地域に水を注ぐ。適正な水と適正な光があり、土に十分な養分がある場合、種は発芽し、成長し、開花し、実る。もちろん開花しなくてもその繰り返しののちに地域は豊饒化に向かい、いずれ花は咲く。

そもそも種は地域に多種多様に眠っていると考える方が自然なのかもしれない。何らかの要因で、土の中に深く眠っていたり、光の当たらないところでじっと発芽を待っている。それが外的要因で、外からの種の為に耕され、光があたることで地域の環境が変わり、眠っていた種が地域の中から様々に発芽する。

水の存在の特性と重要性

この豊醸化のプロセスにおいて、あるいは種の発芽・成長においても、水の存在がとても重要であることは分かっているものの、地域における水の存在についてあまり語られてこなかった。

土の存在はすべてを育てるベースとなるので地域の主体として語られる。また風の存在は珍しいモノ、情報、人、意識を運んでくるので話題になりやすい。光の存在はまさに活動そのものに光をあてるメディアであり、助言や批評であり、影響が見えやすい。土、風、光の存在は仕事に直結している場合も多くそれぞれの立場に束縛されてしまうこともある。

しかし、水の存在は仕事上の立場に束縛されることなく興味・関心の範囲で自由に動くことを志向しているので、いいものはいい、ダメものはダメと利害関係を超えて明確に発言してくれる。その意味ではとても信頼できる存在なのだが。興味を失うと何のためらいもなく他のところへ流れてゆくので、名前が残ることが少ない。

そもそも水のあり方も様々で土壌の発酵の為の湿気であったり、発芽の為の水分であったり、朝露であったり、あるいは蒸発して大気に溜まる雨雲であったり、注がれる雨であったり、流れる川であったり、常に状態を変えて変化し続ける触媒の存在ということも興味深い。

水の在り方が地域の風土をつくる。

地域の風土を知るには地域の水の在り方を認識しておくことが大切だと思う。砂漠にも熱帯雨林にも低湿地帯にも文化は育つ。その在り方の違いは水の在り方、人と水との関係の在り方の違いなのではないかと考えるようになった。

水の流れは濁流になれば多くの文化を破壊する恐怖にもなる。あるいは一見清らかな清流には養分はなく生物は存在せず、淀みの中に多くの生物が生息する場合もある。ささやかな流は和みにもなり、安らぎにもなる。水は感性に直結している存在のような気がする。生きる上で水は必要不可欠なように、地域活動にも水の存在は不可欠だということがあまり語られてこなかったように思う。

とにかく興味や関心を注ぐ水の存在がなければ、どのような活動も発生することもなければ育つこともないのかもしれない。

何か些細な活動を思いついた人がいたとして、その人の横で「面白いね」とささやく無名の誰かがいたからあらゆることは動き始めたのだと確信している。

※一部の写真はいわきの田中さんちの田んぼ

過去の関連ブログとか・・・
水…か。風土…土と風をつなぐものだな。
Miracle Waterについて
東京事典でのインタビュー「水の溜まりと水栽培」



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# by fuji-studio | 2012-06-02 07:30 | ・思索雑感/ImageTrash
イイという価値観について(再考1)
イイ家族とか、イイ作品とか、いい地域というときのイイという価値について、基本的に子どもの頃から周辺とぶつかってきた。ぶつかるかゆえに考えざるを得ないことも多かった。

僕は即答できるタイプではないので、多くの場合その場では答えられずに、黙ってしまい、その分じわっと抱え込み、かなり時間がたって自分でも忘れた頃、ふと自分なりの考えを思いついてしまう。その時には周辺の話題や関心は他に移っていて、だれも聞いてくれないこともしばしば。

イイという価値判断はだれがつくりどこから流れてきて、どのように定着しているのだろう?

イイという価値が大量にメディアや街に溢れ、あるいは先輩や先生から押し付けられ、とにかく濁流に流されているような気がしてならなかった。自分としての価値を考える前に多くの価値が与えられ、そのなかで上手に泳ぎわたることができなかったのだと思う。


イイという価値観は絶対的なものだという話もあったかもしれないけど、そんな幻想はもう通用しない。誰かにとってイイものが他の誰かにとってはダメなものはいっぱいある。ある人にとってのイイ関係でも他の人には迷惑な場合もある。

イイという価値観は相対的なものであり状況によって変化する。それを確信してから楽になった。そして…イイという価値は「誰と」語り合うのかによって一番変化するというあたりまえの事実に気付いてから目の前は明るくなった。

駅前に何十年もたち続けている裸の姿の女性像を具象彫刻を目指している作家とみると、その表現力の凄さ視線が行き凄い作品だなと思ってしまうけれども、女性の権利の問題を行っている人と見ると、女性を裸で立たせていることそのものが問題だと思ってしまう。思春期の子どもとそこを通るときはなるべく見ないようにして無視してしまう。


上質の水が湧き出る自然の泉の横でペットボトルに入った市販の水はほとんど価値がないと思われがちだが、その水の研究開発者といると、自然に湧き出る水よりペットボトルの中の水のほうが美味しく感じることだってある。砂漠の中でペットボトルの中に入った水はどう考えても貴重品で価値が高いが、横にペットボトル不買運動の厳しい人が登場するとペットボトルに入っていることそのものが悪いのでなんだか水の価値もなくなってしまう。

いつも通っている見慣れた駅前から次の通りまでの50mの通勤路を足の悪い両親と歩く。少しの段差が気になり交通量が気になり、信号の変わる速さにいらだつ。生まれたての赤ちゃんを抱えた妻と歩く。排気ガスと大気汚染が気になり街の騒音と下品な看板を迷惑だと思う。社会学・歴史学の専門家と歩く。まちにしみついている時間の襞がやたらと目につき石碑や表示物や地名を興味深く思う。


イイという価値は誰との関係の中で変化する。ということは何か行動を行う時に一番重要なのは、誰と行うかということだということがわかる。

あらゆることをネガティブに捉え、つまらないつまらないとつぶやく人といると何も作りたくなくなってしまうし、面白い面白いとつぶやく人といると、なんだかなんでも作れそうな気がしてくる。

地域づくりにおいても「誰と」つくるかの関係が変化しつつあるのだと思う。何をつくるかではなく、その前提として、「誰と」つくるのか。そのことが一番重要なのだと思う。

イイという価値はそれぞれの層によって全く違う。圧倒的にイイとされる大きな価値観を持ち込むのではなく、様々な層との小さなイイ関係を複層的に綿密に重ねてゆくイメージなのかもしれない。

ミルフィーユ的にじわっと積層された強度。そんなかんじかな。

でもイイは時代によってかならず変化し続ける。



※写真と本文は何の関係もありません。

これまでにブログに書いた関連記事もリンクしときます。
いいもの、いいところ、いいまち・・・の条件。あたりまえのことですが・・・。

学校の先生に向けて書いた原稿 「と」の関係性




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# by fuji-studio | 2012-06-01 23:40 | ・思索雑感/ImageTrash
地域系アートプロジェクトに関する雑感の再考をしてみようかな。
アサヒアートフェスティバル(AAF)がかれこれ10年になるねと話をしはじめたのがもう2年近く前。

そこからなんだか単なる10周年の記録本とかつくっても面白くないよなぁと思い、ついついメーリングリストに投げかけた文章から10年本をつくるプロセスがAAFスクールという形になってはじまってしまった。それが去年。

いろいろ書籍とウェブの役割について日ごろから考えていることを編集者の影山君とかと話しているうちに同じことを考えている人が数多くいることに気付き、気が付いたら入江さんとかも参加してもらってAAFの10年をいろいろな角度から記録してゆくことが結構重要なのかなという話に拡がってきて、ウェブでのアーカイブのプロジェクトまで進みそう…

なんだかんだと紆余曲折あり、AAFスクールの参加者が全国各地のAAFの現場を訪れ独自の形で取材した文章もそろい、そろそろ原稿を書かなければならないというところまできた。

みんなの取材した文章はそれぞれ興味深く重要で、心に響くものばかり。それを横目で見ながら僕は僕でこれまで考えてきたことをまとめて文章化したほがいいということになってきた。

ちょうど…メルボルンの現場に滞在中で夜の時間は今のところこうやって原稿に向き合うことができるのでちょうどいいと思っていたのだが、ワードの作文の中にいると一人ぐるぐる考え込んでしまってどうも文章が暗くこもりがち。

で、いろいろな地域系アートプロジェクトに関係するような文章を再考するために、ここのところめっきり使うことのなくなったこのブログサイトを使って整理してみることにした。

いろいろ意見もらいながら書くのもいいのかなと。

ということで、再考シリーズ、これから夜な夜な、レジデンスの部屋で書いてみます。

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# by fuji-studio | 2012-06-01 19:37 | ・思索雑感/ImageTrash
システムのための仕掛け・・・
ますますこのブログから離れてきた。 2004年からはじめたこのブログが僕の中で旬の時期が終わったのかもしれないが、なんとなく、2014年までは…10年は続けてみようと思う。

しかし、このブログで当初そうとういろいろな思いを言葉にしてきたし、いろいろな現場をプロセスのままレポートしてきた。

震災以降ツイッターの利用が加速し、その後facebookの利用がさらに加速し、今はほとんどfacebookに記述することが多いので、その分このブログサイトから離れているという理由もある。

特に4月以降、十和田に常駐するようになってから、移動する時間が無くなったこともあり、移動時間に書いていたこのブログから離れがちになっている。しかも十和田市現代美術館のブログも書くことになり、なんだか個人の言葉で書くことの難しさを知り、ここで自由気ままに書いてきた中途半端な言葉をうらやましく思う。

そんな僕の個人的なある種自由な呟きのようなここでの言葉を、同時代にそれぞれの地域プロジェクトの現場で活動してきたある意味の「同僚達」は、批判や共感の対象としたり言葉化するときのスケールのようなものとして利用してくれていたようで、おかげで・・・というか、面白いことにそれぞれの地域の現場にはかなり共感できる感覚が連鎖していることを感じている。

そのあたりの感覚をまさにこのブログを分析し、それぞれの地域の現場でのキーパーソンにヒヤリングなどして論文を書いていたのが東京芸大の大学院の中山亜美。

その論文が十和田に届き、ようやく一通り、目にした。

なるほど。これまでの活動の僕自身の知らなかった客観的な分析がとても参考になる。

読み進めてゆくごとに、それぞれの過去の現場の状況が記憶によみがえってきて面白い、本当にその都度、成り行きにかなり感覚的に対応しながら現場の行方を観察していた自分の態度を思い出す。

確かにその都度考えることは、ひとつのその時々でのベクトルだったと思う。どっちのほうにどのフックをかけるのか。

僕自身が行ってきた活動はまさに仕掛けであって、システムを作っていたわけではない・・・ということ。

この論文、どこかのサイトで公開していないの?




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# by fuji-studio | 2012-05-22 08:44 | ・講座/対話/研究会
十和田での「わからないことだらけ」の一か月。
とにかく慣れないことはするべきだ。

そもそも慣れないことだらけの中で人生は始まっていたし、慣れない状態から自分がなじんでくるときの振る舞いの奥底に自分自身の大切な部分が垣間見れするような気がしてビビッドだ。

しかしどうしても時間が経つと慣れてしまうし、慣れてしまうということはなんだか「わかったような気になってしまう。」のでそれが気に入らない。

本当は何も知らないしわかっていないのに、わかってしまうような気がすること・・・それが一番危険な気がする。

自分自身は自分自身の思い込み(わかっているつもり)によって規制され、束縛されているのだと思う。

以前の僕の周りには時折「わかっている」人達がいた。「わかっている人」はそれ以上をわかろうとしないし、自分の考えを変えようとしないので、一緒に話していてもあまり興味を持てなかった。

しかし、わからない人と話をしていると・・・いや違う・・・わかろうとしている人と話をすると、とにかくいい時間が過ごせる。

しかし、人生せめて死ぬ前ぐらいにはなんだかすべてをわかった気になって死んでみたいと思っている。

そこまでどのような「わからない旅」を連鎖させるのか…に興味がある。

いい時間を過ごすために人生があるのだから、もっと「わかろうとする人」と過ごす時間・・・に価値がある。

逆転すると…自分自身が「わかろうとする人」にならなければいい時間は発生しない・・・のかもしれない。

この一か月、久しぶりにわからないことだらけ。

あれだけわかっていたつもりの「アート」も多分いま一番わからなくなっているのだと思う。

ちょっと以前の僕であれば「いや、アートはわかるべきものではなく、感じるべきものだったり味わうべきものだったりだから・・・」と説明していたかもしれない。

しかし、今はわからなくなっている状態がとてもここちいいかも。


一度「美術館」についてここで語りたいですね。・・・っていうか、動画にしようかな。しかし、さもわかったように話す自分が嫌だな。




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# by fuji-studio | 2012-05-06 22:21 | ・思索雑感/ImageTrash
青森県の十和田市でなぜ暮らし始めたのか。
なんだかんだと慣れない生活をしているうちに10日が過ぎた。

3月末に十和田に入ってその日から新規採用の面接だとか引継ぎだとか、とにかく美術館という器の運営に立ち会って、それを平穏に動かすことを見つめながら右往左往しているうちに休みもなく10日が過ぎた。

久しぶりに休みたいと思ったが、実は家の中の荷物はそのまま、しかもいろいろな個人の仕事が山積みで自分の時間は混沌状態。


特別企画展として4月21日からはじまる栗林さんの設営を手伝いたいと思いつつも、実際はそれどころではなく、設営はその道のプロたちが集結していてとても手際よく物事が進んでいて、うらやましく横目でながめるばかり。

美術館の空間を巨大な装置と組み替えるようなアーティストの仕事を久しぶりに目の当たりにして、自分自身、忘れかけてきた「空間に向き合う感覚」が刺激される。


この10年、特にビニプラ、かえっこ以降、自分自身でがっつり作りこむことを避けて、とにかく全国各地にいろいろな種まき活動をしつつ・・・それはそれで、僕にしかできない、大切な活動もあるだろうと自分を納得させつつも、なんだか大きな方向転換をしなければならないと感じていた。


とくにこの5年ほど、急性膵炎で入院したことがきっかけとなって、仕事やりかたを転換したいと切望していた。

動き続けて、年間の半分は移動時間に費やす日々を変えるきっかけがほしかったのだと思う。

それと、これまで行ってきた地域フォーマットのアーツに類する活動も次の段階に確実に入ってきていて、特に震災以降…というか、原発の事故以降、これまでの活動を文章にまとめつつ、個人的には次の段階に動かなければと思っていた。東北を活動の拠点にしたほうがいいのではないかとの発想が頭をよぎったこともある。


…そんな時期に…というかほんの一か月ぐらい前のことだが…豊島区の雑司が谷の鬼子母神を朝お参りしているところに…ちょうど消防訓練をしているのを眺めているとき…信頼している稀なアーティストの友人からの電話。

その発想に思わず面白がってしまった。草の根的な地域活動の立ち上げを仕掛けてきたアーティストが地域のアートセンター(美術館?)の運営に関わるという発想。


地域のアートプロジェクトにおいて、しくみづくりと拠点形成は卵と鶏の関係とされ、そのあり方について深める時期にきているのも確か。

これまでの立場のように、風の立場として移動しつつあらゆる情報や種や意識を運ぶ存在も重要であるが、深く一つの地域に入り込み、しくみの内部からの視点で、地域に対して何が可能で、何が重石や束縛なのか・・・。

それを見極め、新しいあり方を模索する土や水の存在の視点を持つことにも興味はシフトしていた。

文章にしても、しゃべり方も、行動のとり方もそうだが、なんだかついつい遠回りをしてしまう癖がある。回りくどく遠い周辺から核心に迫ろうとしてしまう。スパッと直接の行動がとれない。

その結果…十和田市現代美術館と称されるアートセンターに常勤するという予想ですらできなかった展開。

しかもこの僕が「ナンジョウアンドアソシエイツ」の社員という立場。

そこが一番うける。地域系アートプロジェクトは確実に次の段階に来ているという証のようなものかな。

とにかく青森の十和田を拠点に何ができるか。東北を盛り上げるきっかけにもなればいい。

※写真前半は十和田市現代美術館からドライブしてはじめていった十和田湖の様子。まだ氷が張っていたがぼちぼち解け始めている様子。



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# by fuji-studio | 2012-04-11 19:42 | ■青森&十和田での活動


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