|
ますますこのブログから離れてきた。 2004年からはじめたこのブログが僕の中で旬の時期が終わったのかもしれないが、なんとなく、2014年までは…10年は続けてみようと思う。
しかし、このブログで当初そうとういろいろな思いを言葉にしてきたし、いろいろな現場をプロセスのままレポートしてきた。 震災以降ツイッターの利用が加速し、その後facebookの利用がさらに加速し、今はほとんどfacebookに記述することが多いので、その分このブログサイトから離れているという理由もある。特に4月以降、十和田に常駐するようになってから、移動する時間が無くなったこともあり、移動時間に書いていたこのブログから離れがちになっている。しかも十和田市現代美術館のブログも書くことになり、なんだか個人の言葉で書くことの難しさを知り、ここで自由気ままに書いてきた中途半端な言葉をうらやましく思う。 そんな僕の個人的なある種自由な呟きのようなここでの言葉を、同時代にそれぞれの地域プロジェクトの現場で活動してきたある意味の「同僚達」は、批判や共感の対象としたり言葉化するときのスケールのようなものとして利用してくれていたようで、おかげで・・・というか、面白いことにそれぞれの地域の現場にはかなり共感できる感覚が連鎖していることを感じている。 そのあたりの感覚をまさにこのブログを分析し、それぞれの地域の現場でのキーパーソンにヒヤリングなどして論文を書いていたのが東京芸大の大学院の中山亜美。 その論文が十和田に届き、ようやく一通り、目にした。 なるほど。これまでの活動の僕自身の知らなかった客観的な分析がとても参考になる。 読み進めてゆくごとに、それぞれの過去の現場の状況が記憶によみがえってきて面白い、本当にその都度、成り行きにかなり感覚的に対応しながら現場の行方を観察していた自分の態度を思い出す。 確かにその都度考えることは、ひとつのその時々でのベクトルだったと思う。どっちのほうにどのフックをかけるのか。 僕自身が行ってきた活動はまさに仕掛けであって、システムを作っていたわけではない・・・ということ。 この論文、どこかのサイトで公開していないの? とにかく慣れないことはするべきだ。
そもそも慣れないことだらけの中で人生は始まっていたし、慣れない状態から自分がなじんでくるときの振る舞いの奥底に自分自身の大切な部分が垣間見れするような気がしてビビッドだ。しかしどうしても時間が経つと慣れてしまうし、慣れてしまうということはなんだか「わかったような気になってしまう。」のでそれが気に入らない。 本当は何も知らないしわかっていないのに、わかってしまうような気がすること・・・それが一番危険な気がする。 自分自身は自分自身の思い込み(わかっているつもり)によって規制され、束縛されているのだと思う。 以前の僕の周りには時折「わかっている」人達がいた。「わかっている人」はそれ以上をわかろうとしないし、自分の考えを変えようとしないので、一緒に話していてもあまり興味を持てなかった。 しかし、わからない人と話をしていると・・・いや違う・・・わかろうとしている人と話をすると、とにかくいい時間が過ごせる。 しかし、人生せめて死ぬ前ぐらいにはなんだかすべてをわかった気になって死んでみたいと思っている。 そこまでどのような「わからない旅」を連鎖させるのか…に興味がある。いい時間を過ごすために人生があるのだから、もっと「わかろうとする人」と過ごす時間・・・に価値がある。 逆転すると…自分自身が「わかろうとする人」にならなければいい時間は発生しない・・・のかもしれない。 この一か月、久しぶりにわからないことだらけ。 あれだけわかっていたつもりの「アート」も多分いま一番わからなくなっているのだと思う。 ちょっと以前の僕であれば「いや、アートはわかるべきものではなく、感じるべきものだったり味わうべきものだったりだから・・・」と説明していたかもしれない。 しかし、今はわからなくなっている状態がとてもここちいいかも。 一度「美術館」についてここで語りたいですね。・・・っていうか、動画にしようかな。しかし、さもわかったように話す自分が嫌だな。 なんだかんだと慣れない生活をしているうちに10日が過ぎた。
3月末に十和田に入ってその日から新規採用の面接だとか引継ぎだとか、とにかく美術館という器の運営に立ち会って、それを平穏に動かすことを見つめながら右往左往しているうちに休みもなく10日が過ぎた。久しぶりに休みたいと思ったが、実は家の中の荷物はそのまま、しかもいろいろな個人の仕事が山積みで自分の時間は混沌状態。 特別企画展として4月21日からはじまる栗林さんの設営を手伝いたいと思いつつも、実際はそれどころではなく、設営はその道のプロたちが集結していてとても手際よく物事が進んでいて、うらやましく横目でながめるばかり。美術館の空間を巨大な装置と組み替えるようなアーティストの仕事を久しぶりに目の当たりにして、自分自身、忘れかけてきた「空間に向き合う感覚」が刺激される。 この10年、特にビニプラ、かえっこ以降、自分自身でがっつり作りこむことを避けて、とにかく全国各地にいろいろな種まき活動をしつつ・・・それはそれで、僕にしかできない、大切な活動もあるだろうと自分を納得させつつも、なんだか大きな方向転換をしなければならないと感じていた。 とくにこの5年ほど、急性膵炎で入院したことがきっかけとなって、仕事やりかたを転換したいと切望していた。動き続けて、年間の半分は移動時間に費やす日々を変えるきっかけがほしかったのだと思う。 それと、これまで行ってきた地域フォーマットのアーツに類する活動も次の段階に確実に入ってきていて、特に震災以降…というか、原発の事故以降、これまでの活動を文章にまとめつつ、個人的には次の段階に動かなければと思っていた。東北を活動の拠点にしたほうがいいのではないかとの発想が頭をよぎったこともある。 …そんな時期に…というかほんの一か月ぐらい前のことだが…豊島区の雑司が谷の鬼子母神を朝お参りしているところに…ちょうど消防訓練をしているのを眺めているとき…信頼している稀なアーティストの友人からの電話。その発想に思わず面白がってしまった。草の根的な地域活動の立ち上げを仕掛けてきたアーティストが地域のアートセンター(美術館?)の運営に関わるという発想。 地域のアートプロジェクトにおいて、しくみづくりと拠点形成は卵と鶏の関係とされ、そのあり方について深める時期にきているのも確か。これまでの立場のように、風の立場として移動しつつあらゆる情報や種や意識を運ぶ存在も重要であるが、深く一つの地域に入り込み、しくみの内部からの視点で、地域に対して何が可能で、何が重石や束縛なのか・・・。 それを見極め、新しいあり方を模索する土や水の存在の視点を持つことにも興味はシフトしていた。 文章にしても、しゃべり方も、行動のとり方もそうだが、なんだかついつい遠回りをしてしまう癖がある。回りくどく遠い周辺から核心に迫ろうとしてしまう。スパッと直接の行動がとれない。 その結果…十和田市現代美術館と称されるアートセンターに常勤するという予想ですらできなかった展開。 しかもこの僕が「ナンジョウアンドアソシエイツ」の社員という立場。 そこが一番うける。地域系アートプロジェクトは確実に次の段階に来ているという証のようなものかな。 とにかく青森の十和田を拠点に何ができるか。東北を盛り上げるきっかけにもなればいい。 ※写真前半は十和田市現代美術館からドライブしてはじめていった十和田湖の様子。まだ氷が張っていたがぼちぼち解け始めている様子。 青森の十和田市は人口6万5千人の町。
そこに4年前に開館したのが十和田市現代美術館。 創造的地域に繋がってゆくためにつくられたアートセンター。おそらくそこに必要なOSを探ることが必要なのだと思う。 これまで鹿児島や福岡を拠点にいろいろな地域を巡りながら風の人としてふるまってきましたが、昨日の4月1日よりとりあえず1年、面白くなりそうならば3年間、十和田という地域に向かいながら土の役割と水の役割についてじっくり考え活動してゆきたいと思っています。 ということで、とりあえずのあいさつ。 今日は消防や近隣へのあいさつなどから始まり、ドイツ・ベルリン在住の坂戸館長を含めて新しい体制のスタッフとのミーティング。 じわっと動き出します。 どうなることやら。 乞うご期待! 豊島区で去年の10月に突然たちあげたMiracle Waterという概念。
その概念のネーミングを活動チームの名前として活動をはじめ、その活動のひとつとして雑司が谷の駅の中にある としまアートステーションZの一部に「モコモコラボ」というぬいぐるみ素材を自由に扱える自由工房をオープンしていた。 今回僕が十和田にゆき、実質的にあまり活動に参加できないのと、アートステーションの性格からいろいろなアーティストに活動をバトンタッチしてゆくということで、一旦ミラクルウォーターは凍結、あるいは蒸発するということで、それにともないモコモコラボもクローズすることにした。 本当はモコモコラボはZを離れたあとに豊島区の雑司が谷の周辺の空き家や空き店舗などを利用して部室的な場としてどこかに移転するイメージをもっていたが、としまアートステーション事業がまだしっかり事務局として動いていない面もあり、候補地を探したりいろいろな交渉をしたり、予算を確保したりの動きは全くできない様子だったので、今回それは見送ることに。 とりあえず3年後、事業がパイロット事業からもっとちゃんとした本格事業として動き始め、事務局もちゃんと動ける体制になったところでいろいろ仕掛けたいということになった。その3年間、僕としてはアートサンターが地域に果たす役割を十和田という地域でその可能性について内側から考えることになる。 ディスカッションの現場にこれまでかかわってきたメンバーや参加者の他に次に僕のバトンを受け取り、新しい活動を行う新しいアーティスト、岸井大輔もやってきて、この手のプロジェクトとしては珍しい引き継ぎが行われる。 さらにとしまアートステーションZにはモコモコラボのベクトルの延長に…なんと!衣装いじり系のアーティストのひびのこづえさんが登場するのだとか。 なんだかおもしろい展開になってきましたね。 おそらくこれから数年後、池袋はもう2段階ぐらいを経て・・・面白くなるんだろうなぁ。 宮城県のえずこホールで東京都文化発信事業が宮城県内で行ってきた文化事業による被災地支援事業の報告会とパネルディスカッションが開催され、かなり興味深い話が飛び交った。
なかでも最大のキーワードはソフトクリーム。女川で活動する岡さんの登場し、ソフトクリームの話を熱弁。 いやー、ソフトクリーム、昔から力はあると思っていたが、・・・なるほど。 しくみや場にはツールが必要という話で、ソフトクリームのパワーは意外とすごいという話。 そのうち詳しくお話しできるかな・・・。 福岡の西の端っこの海水浴場、筑前深江海水浴場。
そこの海の家の土地にずいぶん前から計画し、ようやくできた(?)海の家スタジオ。あまりにもシンプルな図面だが、建築コストを削ってゆくのに3年近くかかる。工事もなぜだか9月から半年間かかり・・・ようやく引き渡し。実質工事してたの2か月半ぐらいかな・・・・。 引き渡されたものの、まだ内壁はなく、トイレの壁もなく排水パイプがひとつ床から飛び出している状態。とりあえずそのあたりに落ちていた流しをつけてホームセンターで買ってきた最安値の水栓をつけて・・・水を出そうとしたが…まだ水道のメーターがない。 このまま内装工事を数か月かけていじりたいところだが・・・なんともうすぐ十和田に行くことに・・・。とりあえず一年は十和田拠点に動くことになるのだけど・・・最長3年は十和田にいることになるのかな。 だから・・・内装がおわるのは…5年後ぐらい・・・。 今年から糸島でアートプロジェクト・・・「糸島アーツファーム」が始まろうとしているのにその現場に立ち会えないのもつらいなぁ。 高知県立美術館でまちづかいのレクチャー。
福岡から高知に向かう飛行機トラブルで大変な目にあって、結局愛媛県の松山空港まで飛び、そこからレンタカーで2時間半とばして美術館への到着はレクチャー開始の10分前。 JALの言うとおりに一旦羽田まで飛んで高知へ向かう便におとなしく乗っていたら、レクチャーーに一時間45分遅れる予定だった・・・。 事前にどのような参加者かなどの確認をしなかったので、話の焦点がなかなか定まらず、実は相当ピンボケになった話だったと思う。高知のみなさんごめんなさい。 しかし高知の人は熱い。その熱さ、なんだか血が騒ぐ。 日本列島の端っこのエリアのネットワーク、興味がありますね。 ところで写真は高知の宝物、沢田マンションのほんの一部。高知県立美術館とは関係ありませんが、ある種のアートセンターのあるべき姿かな・・・。 空間をいじるという作業を数十年という時間をかけて重ねている。建築物の魅力を引き出そうと限界まで挑んでいる態度が素晴らしいのだと思う。 しかし、建築物が態度を持ってしめしているというのは凄い。それをいじったり使っている人たちも凄いが、それが存在する高知はやっぱり教務深いところだなぁ。3・11をどのように過ごしたのか・・・という自分自身の行動や思い、ありようを客観視することで、なんだかその人の本質的な部分が理解できたり、そのひとの置かれている状況がわかるような気がする。
僕自身は東京のアーツ千代田3331で行われてる震災復興関係の展示の仕込みに悩みつつ、案のじょうモヤモヤしつつ、モヤモヤはなんだか次の「イメージの種になる!」などと言い訳をつけながら、「モヤモヤ会議」なるものを行って、モヤモヤしていた。 モヤモヤは現状に対する違和感やズレからくる「言葉にならないなんとも居心地悪い中途半端な状態」だけれども、そのモヤモヤを形にしようと…「右往左往しつつ作業に没頭すること」…はかなり面白い状態を獲得できる。だからといって、そのモヤモヤに直接答えが出るわけではないのだけど、確実にもやもやの状態はスリップする。そしてスリップの向こう側で別の課題や作業が発生し、モヤモヤがいつの間にか別のイメージに繋がる。 とにかく、モヤモヤを無視することなく、モヤモヤをいじろうとすることが大切だと思っているし、その向こう側に次のイメージが発生し、・・・それは必ずしもモヤモヤへの直接の答えではないけれど次のイメージへの連鎖の種になる…という法則。 そもそもモヤモヤはもやもやであって、具体的な問題とか課題ではないので、それでいいんじゃないかなってこと。しかし具体的な問題とか課題がある場合は別でしょうね。 でもでも・・・具体的な問題や課題だと思っているその命題そのものや仮定や前提条件が間違っているかもしれないことを思うと…モヤモヤだよね。 ああ、モヤモヤ。 でもモヤモヤは可能性の始まりだと・・・そう思おう! 「地域とアート」という言葉がどのような時期からどのような関係の中で語られてきたのかもう忘れてしまった・・・ということはそれをアーカイブする時期が来ている・・のだと思う。
というか、インターネット利用が日常化し、ビジュアルサイトや動画サイトを直ちに手元で検索する生活が定着し、ウェブ上に存在することだけが存在するようになってきた現実を考えると、地域とアートの重層的な過去の試みもちゃんとアーカイブするプロジェクトは、相応のフォーマットを模索し整備し、広くネットワークし、多くの関係する機関が枠組みを外して構築しなければならないのだと思う。 今日はたまたまお昼に地域創造が行っているの全国の地域系アートプロジェクトの事例集や提言書のまとめの検討会議に出席し、夜にはアサヒアートフェスティバルの10年間の蓄積された全国の事例をどのようにアーカイブし、出版するかという課題を話し合う企画会議に出席した。 対象となるプロジェクトは相当かぶっている。しかし、一方は自治体の首長に向けてのかなり専門的な視線と分析から切り込んでいるのに対して、一方は地域でプロジェクトを始めようとしている市民に向けての好意と興味からにじみ出てきている感じがある。 僕にとってはどちらの視点も興味深いが・・・というかそもそも地域とアートについて多くの社会人が出席し、普通に会議されていることに対しての妙な感じもある。僕が活動をはじめた大学時代、おそらく1970年代後半から1980年代の前半、当時の先端的なアート志向の学生のトピックは、野外彫刻から社会彫刻へ、さらに彫刻という概念が拡散し、空間へのアプローチの手法、インスタレーションという手法への興味だったように思う。 その興味を満たすべく貸しギャラリーのシステムと並行して一般的な屋外や公共空間、空き家、空き施設を利用したプロジェクトタイプがたまたま地域の中で試みられていた記憶がある。当時、空き地や空き施設を利用して活動を志向した理由は大きく3つあった。 1、ギャラリーには収まらないスケールの作品制作に対する欲求。2、金銭的に貸しギャラリーを借りれないという理由。 3、美術関係者外部の人等への接触に対する興味。 僕自身は先端的なアートに対する興味は全くなかったがたまたま美術大学にいて、周りの友人の影響を受けながら、おそらく1と2と3+αの理由により、地域と関わることになった。しかし当時は「展覧会をおこなう」というフォーマットしか知らなかったし、地域のシステムを読み込む知識なんてまったくなかった。 ・・・なんて昔話を始めると相当長くなるのでやめよう。詳しく知りたい人は、なぁがぁ~~~~~いインタビューがあるので根性があればご覧ください。 とにかく、そこからじわーっと連鎖して発生したシステムが地域のアートプロジェクトというフォーマットなの だろうが・・・まさかここまで・・・次の時代の風景を変えてしまうほどの重要なシステムになる可能性の入口まで来てしまうとは…。 僕としてはまだまだ入口で、何も行っていないし、できていないという感覚が強い。 だからもっとちゃんと、もっと深く、もっと凄い現場を作りたいという欲求だけは大きい。 とにかく、次の動きをしなければ…。 ようやく次の展開が見えてきた。がんばろ。 ※おもいっきり昔の作品写真を使ってみました。1983年の京都三条大橋の下の鴨川に自作のこいのぼり13点を無許可で設営したときの記録です。 鹿児島市荒田(あらた)という地域の鹿児島交通局電停前という路面電車の停留所の目の前が僕の生まれ育ったところ。昔は川沿いの荒れた田んぼだったんだと思う。
1950年代後半にそこに建てられたコンクリート2階建ての住宅で生まれ育ったが、そこを改修してイイスペイスという手作りのカフェを経営していたのが1989年から1996年の7年間。もう四半世紀も前の話・・・ 1993年の鹿児島の水害の都市整備の問題で鹿児島県といろいろぶつかり紆余曲折の末、1998年そこにつくられたのがイイテラス。その空き部屋を利用してなんとなく302という貸し部屋が誕生したのがこの1月。 本当はだれかに借りてほしいが…シェアオフィスでもいいし、シェアスタジオでもとにかく家賃収入がないとやばい…とにかくそこで、この半年間桜島に暮らして桜島の火山灰を使って桜島のシルエットの絵を描いたジェンダー吉永の桜島の展覧会がスタートした。 展覧会場としては初めて使ってもう空間だったので、その展示に立ち会い、・・・プレオープニングとして急遽ソークイベントのようなことを夜の7時ぐらいからなんとなくゆるりと始める。しかし、ちょうど吹上でのアートプロジェクトが終わったあとで、山中カメラさんが別府に帰る前ということで、吹上出品作家関係者がぞろぞろと集まってきてくれて…以前取手プロジェクトでお会いしたことのある奥中さんとか吹上で頑張っている博多君とか蒲生でお世話になった永里君とか… とにかく面白いメンバーで吹上の報告会のようなディスカッションが始まり…吹上の山中カメラの音頭にやられた水脈系の人もいろいろ集まってきて…ずるずると出入りがありながら…なかなか終わらず・・・気づけば夜中の2時。語り始めると終わらないなぁ。 とにかくいろいろな活動は、本当に思いもせぬところで微妙に繋がり、そしてここからまた繋がってゆくんだろうなと感じている。 イイテラス302でのジェンダー吉永の展覧会はたぶん10日までだったかな…13時ごろから夜の7時ごろまで作家本人がいるかも…ぜひお越しください。入場無料。お茶もセルフですが…飲めます。鹿児島です。 10日にエンディングを行うという噂。 舞鶴は学生時代になんどか車で通過したことがあるまち。そこを拠点に活動しているのがまいづるRB
数年前からアサヒアートフェスティバルの関係で活動については耳にしてきたし、なぜだか、日比野さんとか小山田君とか山田創平さんとか周辺の人がたくさんかかわっていて興味をもっていた。 そこで地元の人に向けての「つなぐこと」がテーマのレクチャーシリーズがあり、2時間という短い時間だけどそれなりに思いをぶつけてみる。それにしても、確かに地形的に、歴史的にとても重要なところ。 それがゆえにかなり重い重石や手枷足枷でがんじがらめで窮屈な印象のところだったが、しかし、その中でいろいろ闘っている気骨が見えてくる。 それはそうと、それなりに改装された赤レンガ群の中で…ありえなく魅力的で重要な…しかし、組織の都合上手つかずで重石と枷だらけの赤レンガ倉庫の一部に…ここは僕の作業場の倉庫ではないかと勘違いするほどの…ペットボトルを利用した「まちかざり」の部品の山…興味深かったなぁ。 僕がペットボトルを利用した活動をはじめて12年経つのだからまあ、一般的に流通しててもおかしくはない。不思議な体験でした。2時間の予定が結局3時間しゃべりつつけたレクチャーに参加したみなさん、お疲れ様でした。 北九州のスペースワールドの横にあるイノベーションギャラリーで北九州の建築系の学生の団体、tonicaが企画する合同好評会で学生との対話を楽しむ。
一緒に講評した建築家の質が高く面白く、それぞれの現場をとても楽しめた。学生がいろいろと食いついてくるのが印象的。 いいなぁ。経験値が少ないだけにそれに反比例して可能性はたくさんある。 かれらの今後20年間で培う意識がその後の20年間の風景をつくることになる。美術と同じように建築にもいろいろなシステムがあり、(いや、建築周辺のほうがもっと多層だな。)・・・それぞれまったく違うフォーマットがあるが…あたりまえだけど、学生はまだその違いについて知らない。 しかもそのシステムは変化し続け、学生が活動する時代の本流のシステムは未だにない…かもしれない…というイメージをだれも持つことはできない。 結局その現場に立ってみないと見えないんですよね。その現場の生臭い匂いは… だからこそ、今の建築にまつわる状況に違和感を抱く学生は現在の建築の様々なシステムを疑いつつ、孤立感を感じつつも、その中途半端な…仮設暮らしの気持ちを抱えながら活動を連鎖させ続ける強さが必要になる。 結局、どの時代もそうやって来たのだと思う。 今日の学生の中から建築の概念を変える次の時代の建築家が登場するのだと思うと本当に楽しい、 長野県の茅野市の茅野の駅前にある茅野市民館
茅野駅に直結している図書館とホールと美術館等の複合施設だが、その公共部分…つまり、普段は使われていないホールやギャラリー以外のところを使って参加者が各自活動を行うというワークショップを開催する。 茅野市は地理的条件から氷点下になる日数が多い地域ということで、寒天の里として有名だとかで…この建築物も寒天を相当意識してデザインされている…のかな? とにかく空間的には魅力的な隙間が多く、何か仕掛けたくなるところもい多いので、参加者を募って「2時間だけの小さなアートプロジェクト」の実験というフレームをもうけてみた。 アートプロジェクトはいろいろな形の表現活動を包括できるフォーマットとして注目している。絵画展なら壁のあるフォーマットが求められるし、パフォーマンスならば広いフロアか広場かが求められ、演奏するなら音の響きのいい観客が停留できるところが必要だが、茅野市民館にもいろいろなフォーマットに利用できる場がたくさんある。 小さな…というタイトルは時間的にもわずか二日間のワークショップで、それぞれの準備時間も2時間程度、発表時間も2時間程度ととても短いものだということを意味しつつ… 実は、プロジェクトは本来地域の様々な場で展開されるべきものであり、それを繋ぐ拠点としてこのようなアートセンター的文化芸術交流拠点はあるべきだと思っていることを暗示している。 たとえば、茅野という地域にアートプロジェクトというシステムがインストールされることで茅野市民館そのものが単にホールとか美術館という過去の概念を超え、地域に対して大きな期待と可能性をつくる施設として成熟するような気がしてならない。 地域に潜在する様々な魅力的な場、空間、施設、構造物、歴史、素材、人材、組織、風習・・・もろもろ・・・に対してそこに暮らす人やこの地域に魅力や関心を持った人が深くかかわり…これまでの常識的な関係を超えてさらに深くかわり… その結果としてにじみ出てくるもの、できてしまう現象、変化、些細な物語の蓄積が大切なのだと思う。というか、そのような魅力にあふれる地域素材があまりにも使われていないし、忘れられているし、がんじがらめに束縛されている様な気がしてならない。 経済発展という束縛や文化財という束縛、活性化、有効利用という錘が、様々な可能性を排除してきたような気がしてならない。あるいは「文化・芸術」というキースレーズそのものが重石となって新しい感性の発生を抑えてきた状況もあるのかもしれない。 そこに暮らす人が解放され、深く、興味深くかかわる経験の蓄積が次の新しい何かに連鎖するのだと信じている。今回のワークショップはわずか2日間で2時間単位のワークショップ。 ここに数か月とか数年という時間軸を持ち込むことで相当なことになるのではないかと期待する。この秋の終わりから冬にかけて次の段階の、、、もう少し大きなプロジェクトの発生を促す拠点づくりのデモンストレーションを行う予定。 全国の美術館やホールなどの文化交流施設がこのような視点を持ち、地域に「なにかを作ろうとする態度」が広がってゆくといいのになぁ…と思いながら…地域に当たり前のようにある可能性の広がる現場…病院、学校、福祉施設、消防、警察、防災センター等に本当に深くアーツが浸透するとどうなるのかというイメージを妄想する。それが当たり前になる時代への展開が必要だな…。 僕がまだ京都の大学の学生だった頃、千葉県の我孫子にスクオッターズハウスギャラリーというアーティストが運営するギャラリーがあって、そこの企画で行った我孫子市内の数か所で行った展覧会「残暑見舞」
この時僕が行ったのは 「ナマズの群像建設未定地」という何かをつくるふりをするという活動だった…という話は随分前にこのブログでも紹介したことがある。その時に一緒になった作家が今回のレクチャーの仕掛け人の中瀬さん。中瀬さんとは長い間お会いすることがなかったが、今回この授業に呼んでいただき久しぶりに時間を過ごし、この我孫子での夏の体験やここで知り合った東京芸大彫刻科…どちらかというとラグビー部系の遺伝子が僕の活動の初期的体験として重要だったことを思い出した。 そこから随分長い間…、それぞれ全く違うアプローチで活動を続けてきたが、かなり多くのシンクロする価値観を持っていて興味深い。講座とワークショップをということだったので、最近気にしている「フェチと表現と編集技術」についての超論を無理やり「彫刻論」という授業の中で行い、金沢美大の学生に僕の粗削りな言葉でぶつけてみた。 反応がすごくいい。 今回は編集について学ぶためにFacebookを利用して、参加した学生がそれぞれ簡単な行為を画像、あるいは文章としてアップロードしてもらう。夜は打ち上げを兼ねて、外部にもオープンにして、そのネタを見ながらディスカッションをする企画をKapoの一階のmojoで行い盛り上がる。 皆さんお疲れ様でした。学生の感性は予想よりはるかに面白く、本当に期待に満ちた時間だったな。 ありがとうございました。 北本市での日本文化デザインフォーラムの開催はかれこれ3年目…かな。
雑木林での取り組みもじわじわと広がってきている。(全体の活動が見れるサイトはどこ?)僕の北本との関わりはさらにその前からで、ここでもまずはじめにディスカッションの為のキャンプを企画した。 そこに関わった多くのアーティストや市民活動のグループとの関わりが、今の北本の活動へと変化しながら繋がり続けている。その裏側には多くの葛藤や悩みや苦しみ、挫折もある。運営事務局も行政も皆素人なので多くの誤解も迷惑も渦巻いている。 しかし、その紆余曲折(プロセス)が地域の風景を作り出し、そこで人は変化し、活動も変化する。北本でのアートプロジェクトをイメージした時に、外からの作家が大型のプロジェクトをやるような越後妻有タイプではなく、この地域の周辺の何かを作りたいと思っているエネルギーが集まってきて、ここから何かが発生するような状況を作るべきだと強く思っていた。 荒川の広大な河川敷きと雑木林が点在し、果樹園と桜が印象的で、空気と水の流れを感じるの東京近郊のこの地は、何かを作り続けて暮らしたいと考える創作者にとって魅力的な場であるはずだし、そもそも、この周辺にはそのような創作者がたくさん生まれ育ち、暮らしているに違いない。 当時は今のような「水を集める」の概念はなく、むしろ「土を開拓する」イメージだったのかもしれない。まちの変化は世代単位で変化する。 その単位にいかに新しいベクトルを作るのかが重要だと思っている。 僕の個人的な常識では1世代は33年。66年で2世代。今の北本のまちの風景は2世代前と1世代前の価値観によってつくられてきた。 ここに定着する人が何を考え何を行うのかで風景は変わるはずだが、時間の感覚が長いので自覚的にそれを捉えるには一生かかってしまう。 でも確実に風景はつくられ変化してゆくので、その変化に関わる人の意識がどのような経験をするのかが重要だと思う。 で、北本に関わりかれこれ4年ぐらいは過ぎているが、今回はじめて、目に見えるいわゆるブツとしての作品を展示してみる。単純にブツが作品なのではなく、僕としてはかなり入り組んだデモンストレーションの為のブツなのだが、そのストラクチャーに興味を持ち、それを読み込もうとする人はほとんどいない。 まあいい。ブツを目にすると人は安心するし、喜んでくれる。特にこのかわいい眼の無垢そうな動物たちに惑わされ、「かわいい」「おもしろい!」とのツイートの数は多い…だけど… 根本的なところでディスカッションしたいと思っているし、話したいこと、実践すべきことも山ほどある。そこからわかりたいこと、知りたいことがたくさんある。そのような場を作らなければならないんだけど… 仕組みに関わる人が育つのは難しいね。 僕自身、まだまだ力不足だなー… 埼玉県の北本市の雑木林に魅かれて北本氏にやってきた架空のB級動物彫刻家クスタケシ。
彼が雑木林に隣接する一軒家の納屋に間伐材を使って動物をつくる工房を作ったとの設定で彫刻をする。 雑木林に落ちていた間伐材を利用して、いかにもつくりそうな動物を数点制作する。そのプロセスの結果…納屋には、木彫の為の道具や材料がそろってゆくことになる。 それを収めるところを…やはり間伐材の枝で作りたくなる。それがなんとも楽しい作業。いままでもそちらに力を入れてきた。僕の場合…作品を作ること以上に作品を作る環境をつくることに執着する性質がある。 彫刻はそれなりに作るながら…切れ端の枝を繋いで作業がしやすい空間を作ってゆく…その作業に数日没頭する。 その工房を…雑木林の枝に興味を持った人が自由に使える木工の部室…クラブルーム的なたまり場にならないかなと考えながら制作する。 今後の活動で行いたいことはこの「部室」的な半分オープンな…しかし個性の充満した活動の為の場づくりだと確信している。それをどのような仕組みに組み込むのかが大きな課題。 クラブルームというと更衣室的で汗臭そうだし、クラブハウスというと高級感が漂い、なんだかその間のいい言葉が欲しい。クラブボックスという呼び名を大学時代は使っていたが…このあたりが検討しどころ。 どちらにせよ、その空間をつくる為に活動を行い、実際に制作しながら結果として空間ができてゆくというプロセスが重要な気がする。 様々な地域に絡む活動に参加し、一緒に活動することで結果として空間が作られ、その空間をどのように開いてゆくのかのシクミをつくることが課題なのだが…北本ではこのシクミまで考えれる余裕がない。 とにかく、雑木林の枝がとても魅力的であり、可能性と期待が大きいことは確かで、その枝は生活の中からとても遠いところに行ってしまった地域社会であることも確かですね。4回連続のAAF学校。前回は2日連続だったが今回は一日のみで最終回。会場はなじみ深いアーツ千代田3331。
デザイナーで仕事研究家の「自分の仕事をつくる」の本で有名な西村佳哲さんをゲスト講師に招いてのインタビューから出版までの流れを事細かに編集者の影山さんが質問する形で進む。アサヒアートフェスティバル(AAF)は全国各地で行われているアートプロジェクトのネットワークで、それぞれのプロジェクトの現場では絶対に報告書などには登場しない小さな、しかし大切な多くの物語が潜在している。 それをどのように導き出し、本としてどれだけ面白く大切なものにできるかが問題・・・西村さんの話はとてもよかった。西村さんのインタビューする側の態度についての話、心構えのような話は30年前に聞いておきたかった話。 いつでも聞き手は強者の立場であり、語り手は不安要素を抱えた弱い立場にいるということへの自覚。聞き手のやってはいけない態度。そしてさらにインタビューした素材をどのように文章化するのかの秘密のメモまで公開していただき本当に興味深かった。 インタビューと取材の違い。思考レベルを聞き出すのではなく、感情の前にある感覚、その根底にある何らかの存在に気づき、感覚を引き出すような生の話に向き合う態度のような話。 全く考えてみたこともない。そういえば、感じていたのかもしれないが…。 それと読み手を飽きさせない文章の構成の話。やっぱり文章もデザイナーの視点で描いているんだなと深く関心する。 参加者も大いに満足した5日間、全4回のスクールだったが…さてここからが本番。どうやって10年本作ろうか… それにしても… こうやってスクールやってからいろいろな記録本見ると…本当にちゃんと読み手側に立った編集の視点で作っている記録集って少ないなぁ。 デザインはいいのだけど…といのも多い。 確かに読みにくいですよね。多くの記録集は。なんだか…わかっているような気になっている状態が一番恐ろしいんだなと最近感じる。わかっているようでも実は何もわかっていない。わかっていないことに気づき努力するところから次の状態のものは生まれるが、わかっているようでいるとそこからは結局たいしたものは生まれていない。 しかし、みんな大量に納得して大量にわかっているつもりで大量に作っているんだなぁ… 経験を重ねてくるとそこに大きな罠があるんだと思う。嫌だねえ。 えずこホールからすれば「藤浩志とカンがえる」だが、僕からすると「えずこホールとカンがえる」となるのかな。 結局だれとその状況に対峙するかでその状況の意味も変わるし、価値も変わる。
誰と語るのかによって今回の災害後の状況も意味も変わる。だから…やっぱり多く語らなければならないし、もっともっと深く語り合う現場は重要だと思う。 去年の6月からえずこホールと、災害後の現場で様々な活動を行っている人にヒヤリングをおこない、そこから考えたことをさらに考える為に、第三者の編集という視点を入れて2日間のスケジュールでディスカッションを重ねる。ランダムに気になった意見を列記してみる。 ・ピストルを撃ちこまれるようにいきなり外部から襲い掛かった災害ではなく、もともと地域社会がもっていた問題、内包していた問題がデフォルメされてあぶりだされてきた。 ・自然災害と人的災害ではどう向き合うべきかが本来違うべきだ。そのことについてもっと深めて考えるべきじゃないの。 ・震災前から興味のあったことについての活動が、結局災害後、やるべきことが明確になり活動が加速しているのが特徴的? ・仮住まいが続いているが、仮住まいによって新鮮な視点が身に着いた。 ・仮住まいであると同時に意識の上でもなかなか安定できないでいる。 ・人生ずっと仮住まいであり、落ち着くことないことが自然なのかも。 ・昔ながらの小さな地域の特性や対立までもがあぶりだされてきた。 ・語れないことがたくさんある。語れること声の大きなことだけが伝わってしまう。その違和感 ・あたりまえだが、何度も通ってようやくお互いの理解の違いのギャップを埋めることができる。 ・災害の現場で活動している人との対話からは、学ぶべきことがたくさんある。 ・なげかける言葉が蓄積されて…重い。 ・記憶の風化の速度は本当に早い。直後のことは本当に忘れている。 ・マスメディア的な扱いではなく、小さな被災や小さなエピソードをしっかり拾ってゆくことが大切 ・言葉によって情景が見えなければならない。 ・自分自身が思っていたことを語れなかった時期が長かったが最近ようやく語れるようになってきた。 ・境界線にいるから発言ができるのではないか。境界線にいることの自覚と責任 ・こうまでしても…なぜ残りたいのか。なぜ出てゆこうとしないのか ・自分自身に問いたいことが浮かび上がってくる。 ・もともと人との関わりを持っている人は前に進むのが早い。 ・白黒ではなく「考える」というある種のモラトリアムな手法はアートならではの有効性なのではないか。それでも少しは前に進む。 ・問題について語り考えるうちに何かがズレて活動が始まる。その結果問題からズレて問題から距離をとることができる。 ・自分自身へのカウンセリング ・狂言/呆者能の台本をつくり、上演してみる。 その他もろもろ以下省略。 現場でのヒヤリングや活動の紹介もまとめつつ、参加者が何を考え、何を学んだのかについてディスカッションの中からキーフレーズを抜出し、対話形式で語ってゆくのはどうかとの話が出た。しかし、参加者はえずこホールの周辺の人だけではなく、福島からとか金沢とか大阪からの参加があり興味深かった。さて、どうまとめるか。とにかく何らかの形にしなければ存在しないことになる。 記録を存在させることで、いや、伝わるものとして存在させることでしか、この災害で考えなければならない多くのことが消えてしまう。 そうはさせるものか。 動物彫刻家のクスタケシが埼玉県の北本市に制作工房をつくったという設定で雑木林でクスタケシ工房で制作した動物彫刻を展示し、デモンストレーションを行う…というプランを実施するために2日前から北本市に入ったものの…
北本ビタミンが用意してくれたプレハブ小屋には水がなく、電気もなく、隙間だらけで…しかも作業スペースの5m先には隣の民家の窓が…これでは騒音や粉じんの出る作業は長時間できないし…それ以前に使えるトイレもないし…電気がないと工具が使えないし…一瞬福岡に戻ろうかと思ったが、先月から入っている若い作家が何もない屋外で孤軍奮闘している態度に接すると…僕も頑張らなければ…と思う。 それにしても…チェーンソーなど音を出す工房にするにはあまりにも隣の民家との距離が近すぎる。それからすると僕の養鶏場跡の制作スタジオも、今の自宅の小さな作業スペースも恵まれた制作環境だな…と思う。それはまさにクラブ活動の部室づくり的な拠点づくりでありながら、北本市内に「クスタケシの工房」という、「藤島八十郎の家」のような、パブリックアートに変わる「人を連れてゆき、案内できるポイント」をつくろうとしていることなのだが、そのあたりの仕掛けが理解されるのは難しかったようだ。 そうか。やっぱり、部室コンセプトの方がいいんだろうな。たとえば…「クスタケシクラブという雑木林の伐採された気を使っていろいろつくるクラブ活動の部室をつくる」というコンセプトの方がよかったに違いない。とにかく、新潟での部室ビルダー「かえるぐみ」頑張ろう。 それにしても雑木林の会の人達の活動は素晴らしく、すごい大きさのログハウスづくりに取り組んでいる。ログハウスの作り方の本を見ながら、はじめてつくるというログハウスにしてはやたらとでかすぎないか?皆さんとてもいい感じにしっかりと作るプロセスを楽しんでいるあたりがまたなんともいい。 とりあえずレジデンスとして使っていいといわれる家に案内されて軽トラックを借りて自由に動ける環境になったが、自炊する調理道具とか調味料とか浄水器とか生活用品が微妙に足りない。いつでもそうだが生活道具類をそろえるところから始める現場は無駄な出費と時間がかかる。 この二日間でホームセンターやスーパーに通い生活の必需品と工房の道具類がそろったので、どうにか明日からクスタケシを演じることができる。 とりあえずはこのレジデンスの納屋を工房にするとベストなのだが…ここは西尾君が展示に使うのだとか。やっぱりあの隣が民家のプレハブに移動するのは気が進まない。 移動型の工房カーにしようかな…いづれにしても今回は無理かな… そういえばクスタケシという動物彫刻家は自分でイメージを作る人ではなかった。だれかがイメージを作ってくれないと作品はできないんだった… とりあえず、いかにも…という感じのものをいくつか作ってみるか。 本当は大きな馬とか牛とか象とかが彫りたいんだけど…時間がなかかるな… 工房があればそこで大きな象をつくりかけているの風景もまたいい。 そうだ、雑司ヶ谷の空き地に展示できる彫刻彫ろうかな…雑司が谷のフェンスの中に入れる象の像とか…やはり小さい動物にしよう。 アサヒアートフェスティバルのこれまでの活動を俯瞰しつつ、その10年記録本の出版の為にキーワードを抽出するワークショップ型スクールの2日間。
会場は谷中にあるオルタナティブスペースのhigure 17-15 casここは2005年にkosuge1-16と一緒に行ったコフジビル17年の最終的な展覧会を開催した懐かしい場所。 久しぶりに谷中にきました。 空間としてはこじんまりとしているが、谷中の風景が見える雰囲気は開放的でとてもいい。初日は2005年AAF参加団体のすべてを網羅した記録DVDと、たまたま泉山君がしっかり編集して残してくれていた大宰府スタードームフェスティバルの記録映像を見ながら、もろもろ説明やら裏話やら雑談しつつ…キーワードを拾い上げて行ってもらう。 たまたま2005年のAAFは僕が関わっていたプロジェクトがいくつかあり、その裏話などで脱線してしまうので、やたらと時間が経ってしまい…ごめんなさい。 しかも大宰府スタードームフェスティバルは、2004年ぐらいに僕が主催していたオープンディスカッションplants!がきっかけではじまったので、記録映像の中に2005年当時の怪しげな藤浩志が、なにやら酔っぱらいぎみに…今となってはあたりまえのような話を懸命に恥ずかしげもなく朗々と語っている。ああ、みっともない。記録映像とは恐ろしい。 しかし、2005年という時代が…わずか7年前だが…いや、もう7年というべきか…2012年のアートプロジェクトと地域の関係では当たり前のようなことが、当時は結構力説すべきことだったんだなぁ…と、時間の流れによる「あたりまえのこと」の変化を面白く思う。2日目は2011年のAAFの報告会に提出された記録画像を皆でみながら対話し、そこでキーワードを週出してもらう。 結局、時間切れになり、参加者にそれぞれ心に残ったことを語ってもらったが…その視点が僕らにしてみればなかなか新鮮で大切な言葉があった。 そのいくつかを列記してみる。・・僕の記憶で勝手に編集されてしまっていますが… ・AAFは色が鮮やかだと思いました。←日常はもっとグレイなのだとか。 ・アートプロジェクトはエネルギーが集まってきて発生するんだな。 ・問題があり解決を作ってゆこうとするプロセスにアートがあるんですね。 ・アートはタブーに触れようとしている ・ちょっとやってみようという気持ちから始まるんですね。 ・取り残された存在(場所とか建物とか人とか)と、人と違った活動をやろうとしたり、オリジナリティを探ろうとしているアーティストは相性がいいんだな思った。 ・インキュベーション・アクティベーション・カルティベーション ・利害に関係なく人が集まっている。→興味と関心で集まってくるんですよね。 ・おじさんは女の子としゃべりたいんですね。←おばさんも男の子としゃべりたいしね。 ・あたりまえの日常の中で紡ぐ自分たちの物語 ・AAFというしくみ自体が育とうとしているし、育っているんですね。 ・あなたの好きにしなさい。私たちも踊りたい。 ・いつでも「これからはじめます」という姿勢。←もう出来上がったものに途中からは入りにくい。 ・結局、どういう効果が生まれたのかが知りたい。 ・・・とまあ、いろいろ。 僕があらためて納得できたのは… 面白いことをしようとしているところには面白いことをしたいという人が集まってくる。その人達がまた面白いので、面白さが連鎖してゆき、とんでもないことが起こる期待が高まるんだな…ということ。 特にAAFの場合は「アサヒビールがスポンサー」という匂いの漂いが、やっぱり飲み会へ導き、そこでさらに面白い人達と期待に満ちた会話をしながらこの上なく幸せな時間が過ごせる…老若男女が入り乱れながら…というかんじでしょうか。実際にいくつもの妄想が現実になってゆく現場に立ち会うたびごとに…人のイメージ力と実践力の集積は凄いと思う。 次のAAFスクールはいよいよ最終回。物語へと導く授業。 1996年のミュージアム・シティ・天神に出品し、そのワークショップの時に福岡に来て、たたまたま休みの日に意を決して地下鉄に乗り訪れて見つけた筑前深江の駅から徒歩7分の農家だった家。
雨漏りしていたが、不動産屋で現状のままということで家賃3万5千円で契約し、その後13年近く暮らしていた家。子ども達も成長させてもらった家なので思い入れも大きい。出るときはほとんど内装業者のようにきれいに壁紙はったり襖張ったり、天井まで張り替えて返却した。 そのあとに若い自然農業をしている女性が暮らしはじめ、最近そのパートナーが韓国の子ども達の交流事業を行っているということで、20名近い子ども達がその家で合宿し。しかもイベントとしてかえっこを開催するというのでぼくらも手伝うことになった。 ずっと暮らしていた家でまさかのかえっこ。世の中どういう縁で何がおこるかわからない。なんとも不思議な体験だったが… 最近、自然農業のネットワークからか、いろいろな興味深い人が深江の街に興味を持ち暮らし始めている。 今日の料理は自然農の野菜のピザとか煮物とか、とても豊か。ピザは庭でダンボール箱でピザ窯をつくり焼いたのだとか。 玄海原発まで30キロ圏内というただ一点の汚点を除いては本当にいい地域。 水がありえないくらいいいし、海の幸が豊かで、山では狩猟もできる。 いろいろなおもしろい人が集まるからまたさらに面白くなる。そうやってこの地域は作られてきたんだろうな。 土地の力か。人の力か。 余談だけど、家に自転車で帰る途中近くのスーパーに立ち寄ると、かえっこで楽しんでいた韓国の子どもたちがお土産にとお菓子とかカップラーメンとかをたくさん購入していて…そのあと家に戻りカップめん大会になっていたのだとか。 うーん…。子どもに自然農の野菜の価値はわからんだろうな… 僕が暮らす福岡県糸島市でいよいよアートプロジェクトが始まりそうです。
僕が暮らす地域の同じ小学校校区で数年前からアーティストインレジデンス事業を始めたスタジオkuraその松崎君が都市計画デザイナー、コンサルタントの佐藤さんの後押しもありはじめようと覚悟したのが糸島アーツファームというかなり長期的な視点を持って展開しようとしているアーツなプロジェクト。 最初に家に企画書を持ってきたときは糸島アートファームという名前がついていたが、僕がアートよりもアーツの方がいいんじゃないかな?と話したことでアーツファームになった。アートからアーツ、つまり複数形にすることでアートの文脈から少しずらし、いろいろなジャンルを横断するような活動ができるのではないかという思惑がある。 アーツファームといえば、僕が2008年に思いついた大阪の此花区での考え方。 大阪では都市型の映像系やメディア系、デザイン系のクリエイターやアーティストが暮らし、様々な活動を育てるエリアとしての此花アーツファームだったが、この福岡の糸島の場合は地引網のある海水浴場と玄界灘と狩猟のできる山、そして田んぼと畑と畜産と水と…自然と人の営みの関係の在り方に対しての様々なアーツを実践し、探ってゆくエリアとして模索されるのだと思う。 とにかく興味を持ってくれそうな関係者が集まってミーティング。 今年からじわじわとはじまり、2年に一度、あるいは数年に一度の大型のプロジェクトを目指してゆく。 家の海の家のスタジオも当然いろいろ関わってゆくことになる。よろしくお願いします。 サポートスタッフの宿泊先を確保しなければ・・・。 筑前深江海水浴場の海の家のところに建てている「つくる家」。
外壁と窓まで付きましたが…中身は空っぽです。外壁、強風に耐えれるかどうか不安な感じ。窓はしっかりしているのですが。 やはり外壁もうちょっとしっかり作ろう。格安で丈夫な素材無いでしょうか? 中身は空っぽのままで内壁とか内装とか…一番楽しいところは自分で行うつもりでそのままにしてもらっています。…というかお金がないのでここまでしか頼めない。 この建築・・・半分セルフビルドな建築、此花とかでも試みたかったやり方。 お金がないというのと時間がないというのと…結局時間の隙間を作ってちまちまと何年もかけて内装してゆくのかな。つくるプロセスを楽しいと思っているので仕方ない。 隣の昭和初期のボロボロの家もいじりどころ満載。 ああ、時間が欲しい…と思いながら、なぜだか時間は刻々と過ぎてゆきああ、もう今年も終わりじゃないですか。 ああ、来年もまたウロウロしながら、ゴミまみれ、廃棄物まみれになりながら、整理整頓、掃除、清掃…重ねるうちに一年が終わるのかな… 自分の家をいじる時間はなさそうだけど、さらに「部室ビルダー」という活動を始めるつもりで、さらに空き家とか空き店舗とか空き地とかいじる生活になるのかな… まあ、運命というか、宿命というか… この場所でじっくり作品を作りながら暮らす生活…って理想ですが、結局活動つくる為にドタバタと動きまわってしまう性質だから仕方ない。 久しぶりに家に帰ると、原田君から荷物が届いている。
原田君が理事長をしている日本タム協会というのはイギリスとかイタリアとかで伝統的なタンブレロというスポーツを日本で広めようとしている協会。 原田君はイギリスでそのスポーツに出会い、日本にまだ伝わっていないことに気づき日本での協会をつくった。その競技に必要なバット(テニスのラケットのようなもの)が国内で販売されていないので、輸入することになったが、ついでにオリジナルのバットをつくることになり、デザインを頼まれた。 僕もタンブレロをやりたいと思っていたが、バットがなかったのでオリジナル作品を4つオーダーし、送られてきた。 さっそく興味深々の息子を連れだし、隣の駐車場で試しに使ってみる。テニスと違って直接ボールの感触が伝わり気持ちいい。時間さえあれば…僕もタンブレロのクラブ活動をはじめたいのだが…問題は時間。 時間がないのは結局、マネジメントが悪いからなんでしょうね。…っていうか、セルフマネジメントが全くできていない。 マネジメントできる人と一緒に仕事したいですね。…永遠の課題だな。 ちなみに…日本タム協会の豊島支部長って誰だか知っていますか?知る人ぞ知るあの人です。ちゃんと生きていたんですね。 そうそう。このバット4000円で販売されていたそうですが、実はもう売り切れだとか。残念でした。 いわきアリオスで6月から2ヶ月に一度ぐらいのペースで開催してきたモヤモヤ復興会議。
放射能汚染に対してはまだまだ不安とモヤモヤ感はあるものの、6月に開催した時に比べるとモヤモヤレベルは随分と変化し、それぞれ活動の方向性が見えてきた感じがする。 今日は劇団どくんごの五月うかさんとインデアンビレッジキャンプの吉田さんをゲストに迎え、なんとも不思議な方向性から話が進行する。劇団どくんご の活動は個人的には懐かしいテント芝居。 全国を移動しながら公演を行うという形式だが、時代を超えて活動を継続してきただけに、すでに演劇を超えていて、テント芝居という形を使った新しいプロジェクトの形。とにかく興味深いくて面白そう。 テント芝居をつくるという活動プロセスが、地域の利用許可から広報、仮設構造物の設営、プレイベントの準備、開催等々様々な実践的ワークショップの要素を持っていて、地域の活動の拠点形成のプロセスの実践そのものである。インデアンビレッジキャンプはアリオスプランツに関わりが深い活動。 山でインデアン村を作るという活動について噂は聞いていたがちゃんと話を聞くのは初めて。自然エネルギーと手作業にこだわる態度がすごくいい。 参加者のディスカッションでは今後の活動として、いわき湯本温泉旅館を使った映像系、闇系、ひなび系のアートフェスの開催予告のアイデアや、アリオスでの子どもプロジェクトの手芸ワークショップの展開、歴史や郷土芸能、風習や伝説などを漫画にして残してゆく活動や、プランツから発生した いわき冒険映画祭の次の開催に向けての部室づくりの話や、中之作古民家公民館化プロジェクト。自然エネルギーを使った屋外舞台フェスの開催アイデア等…盛りだくさんの活動イメージが蓄積されてきた。しかし、いわきの人のエネルギーのあり様はなんだかすごい。炭鉱遺伝子パワーかな。 震災被災を経て向き合うテーマが深刻なだけに、さらにパワーアップしてズレてゆくような傾向にあるのが頼もしい。 ところで、アリオスが定期的に出しているアリオスペーパーに特集される予定だが…「カモメの視線」の映像DVDを出しているパラグライダーでの撮影者がこの会議にも毎回出席して今後の活動の展開に期待が大きい。 彼の映像の一部がサイトからも見れますが、災害以前の福島の海岸線がいかに美しいかを残す…つまりもう見れなくなってしまった映像記録…が販売されている。 是非ご覧ください。 2009年夏以来毎年関わることになった大阪天神橋の下、中之島公園。
一昨年前の夏の2か月間、この場所にカエル工房をつくったり、常設のかえっこ会場を作ったり公園に『活動の場」をつくる実験を行った。 そして去年、青森ねぶたの廃材の木材部分だけを利用して、白龍を制作し、この場所に展示した。 そして今年の春、福岡のスタジオにほぼ3か月間こもって制作したのが青森ねぶた廃材の針金素材で制作した飛龍。6月に新博多駅のアミュプラザの吹き抜け部分に設営し、その後鹿児島の蒲生町まで旅し、青森ねぶた「天神・菅原道真」の廃材の旅、青森ー鹿児島は完結した。 しかし、龍はまだまだ暴れ続けている。今回は木材の龍と針金の龍2体を絡ませて制作してみた。 それぞれの龍が巴状に絡み合う様子。2者の異なる種類で同類の形態のものが円環状に繋がる… この巴の状態が何を表しているのかはわからないが、必然的にできてしまった形 数十万個のLEDライトがアニメキャラクターとか星だとか、ハートだとか…いわゆる一般的な明るい記号を浮かび上がらせている会場の光のイベントの会場。その片隅で、ここだけ地味に薄暗い光が針金を照らしている。 設営を終えて夕暮れになり、蛍光灯の白い光を当ててみると、昼間は見えなかった針金の線がきれいに浮かび上がり何とも言えない雰囲気を醸し出している。 明治大理石との3年間の僕の仕事は今年で終わりにさせてもらうが…ただ均質のLEDの装飾としてのイルミネーションのイベントとしてではなく、様々な新しい光の在り方について試行錯誤する実験場としての「光のルネッサンス」となるといいのになと思う。 さて、この龍の旅は少しづつ形を変えながらもまだまだ続きます。次はどこに登場するのか… 先週から4回連続で始まったアサヒアートフェスティバルのAAF School
これまでの活動記録をアーカイブし、なおかつ書籍としt出版するためのプロセスをスクールという形で一般参加者に開いている。 先週に引き続きその2回目のスクール今日はメセナ協議会の事務局長に就任したばかりの荻原さんをゲストに招いてのAAFのポジショニングを考えるレクチャーとディスカッション。 参加者には謎の言葉が飛び交いすぎて…分からなかったことも多かったかなと反省しつつも、…それにも増して興味深い話題が多かった。 何かを認識しようとすると、それぞれの立場でいろいろなズレが生じているのもまた興味深い。 アートマネジメントという言葉…つまり概念が登場したのが1990年ごろからだとか。ボランティア、NPO、コラボレーション、ワークショップ、CSR、アートプロジェクト等々以前なかった言葉がこの20年間の間にその時々発生し…つまり概念が生まれ、ひとの行動が、活動が生まれてきた歴史を見ていった。 それまでなかった意識が言語化されることで新しい活動が生まれる。 その連鎖が次の活動を産み出すんだなぁ。
|
藤浩志のサイトはこちら
カテゴリ
全体
ご案内/Information ■青森&十和田での活動 ◎瀬戸内国際芸術祭・藤島八十郎 ◎埼玉・北本ビタミン ◎大阪・中之島での水都大阪 ◎大阪・此花アーツファーム ◎大阪・新世界等での活動 ◎福岡・筑前深江での活動 ○イイスペイス@イイテラス ◎ギャラリー等での活動 ○Kaekko System ■サンタフェビエンナーレ ■バングラデッシュビエンナーレ ○夢の鳥 DreamingBird ○イザ!カエルキャラバン ○デコポリ・ビニプラ系活動 ■海外での活動 ○動物彫刻家・クスタケシ ・様々な地域活動の実験 ・講座/対話/研究会 ・スタジオ作業日誌 ・ドローイングとか ・生活周辺/LifeScape ・思索雑感/ImageTrash ■宮城・えずこホールとの活動 ■茨城・取手Art Project ■富山・氷見での活動 ■高知・四万十神楽交響楽 ●北九州での活動 ■鹿児島での活動 ■東京での活動 ■沖縄での活動 ■新潟での活動 ■秋田・大館での活動 ■福島・いわきでの活動 ■兵庫での活動 ■岐阜の養老天命反転地 ●京都・つくるところ実験 ■桜島での活動 ■福岡での活動 ■京都での活動 ■群馬での活動 ■山梨での活動 ■長野での活動 ・目についちゃった。 ・単純記録/Diary ・過去作品データ ※ご意見挨拶等はこちら ・縁の深い人・家族 タグ
対話・講座・研究会(93)
地域活動(93) まちづかい(71) アートプロジェクト(65) ワークショップ(44) かえっこ(40) 展覧会(36) ペットボトル(27) 海岸(23) はへん系(22) ポリプラ(18) 鳥系(17) 生活空間(16) ハッピー系(15) 大学(15) 龍系(14) ぬいぐるみ系(13) 素描(13) 鹿児島(12) 建築(9) ファン
ブログパーツ
検索
以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
お気に入りブログ
Skypeボタン
|